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王都の境には森がある。
石畳の街道から外れたそこは何十年、何百年と風景が変わらず、迷い込んだ人間は時を遡ってしまったかのような錯覚を覚えてしまう。
けれど、時の流れと共に木々は伸び、獣は新しい命を繋ぎ、ゆっくりとその景色を変えていく。
そんな森の中に、ポツンと小さな家がある。
かつてはレンガ造りの建物だったそこは、屋根や煙突にまで蔦が伸びている。
小さな窓の一つには真新しい花籠があり、人の手で育てられたスノーフレークが春の風を受けて心地よさそうに揺れている。開け放たれた窓に吊るされたカーテンも同じように。
けれど、この家主はここには居ない。
さらに森の奥、樹齢何百年かわからない槐の樹の下に眠る育ての母に花を手向けていた。
*
役目を終えた紡織師は、槐の木の下に眠る。
先代の紡織師も、先々代の紡織師も。この地で息を引き取ることができなかった紡織師も、魂だけはここに辿り着くと言われている。ここが初代の紡織師が眠る場所だから。
そんな幾つもの遺体を根に絡ませながら成長し続ける大木だが、不思議と気味悪さはない。何度ここに足を運んでも心地よく、懐かしい。
いずれ自分が眠りに付く場所だからなのだろうか。それとも、師匠が魂の一部をここに置いていってくれたからなのだろうか。
そんなことを考えながら、アネモネはユキヤナギで作ったリースを槐の木の根元に置き、祈りの形に手を組んだ。
といっても、仕事で家を空ける時以外はほぼ毎日ここに足を向けているので、別段話すことは無い。
最近はもっぱら、親代わりであり師匠と良い仲だったタンジーの近況報告ばかりだ。
昨年の秋、無事仕事を終えると共に大失恋をしたアネモネが帰宅すれば、タンジーは一心不乱にキャンパスに向かって筆を動かしていた。「おかえり」という言葉を翌日、言う程に。
冬に入ってからも寝食を忘れて筆を動かし続けるタンジーを心配して、アネモネは食事を運び、暖炉の薪を絶やさないようにして、気絶するように眠る彼の身体に毛布を掛けた。
おかげで失恋の苦しみを味わうことなく季節を超えることができたけれど、別の意味でアネモネは眠れない日々を送る羽目になった。
その後、雪が解けたある日の早朝、タンジーは『やっと絵が完成した』と満足そうにアネモネを叩き起こして、そのまま出かけてしまった。
あまりに早い出発だったので、うっかりタンジーの行先を聞き忘れてしまったけれど、どうやら今回はかなり遠くに足を向けるようだ。
普段なら、たとえ行く先を聞き忘れても、タンジーはマメな人だから商会経由の手紙で報告してくれるが、今回に限っては「西に東に色々と」と濁されてしまって未だに消息がつかめない状態だ。
でも、そのせいかいつもより手紙が届く回数が多いので一先ずは安心している。まぁ、元気そうなので何よりだ。
「……師匠、タンジーからのお手紙置いておきますね」
祈りを終えたアネモネは、上着のポケットからミモザの花が描かれているカードをリースの隣に置いた。
旅に出た際タンジーは、アネモネに手紙を出す時には必ず師匠宛ての手紙を同封する。それは、長い手紙だったり今日みたいなカードだったり様々だ。
ちなみにアネモネは師匠宛ての手紙を開封したことは一度もないので、どんな内容なのかは知らない。
死んだからといって、個人のプライバシーを覗き見することは許さないことだとアネモネは思っている。
「では師匠、私はこれで失礼します。ゆっくり読んで下さい。また、来ます」
立ち上がったアネモネは、ぺこりと頭を下げると槐の木に背を向けた。