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「病院?」
幹雄の鋭い目線が美晴を射抜いた。びく、と肩が震えるが今日ばかりは引き下がるわけにはいかない。
「朝起きたらお腹に違和感があって…赤ちゃんが心配なので、病院で診てもらいたいのです」
いつもより強く訴えた。朝から腹痛が酷いのだ。腹が張っているような気がしてならない。もしもせっかく授かった命になにかあったらと思うと――
「いいかい美晴。なんでもかんでもすぐに病院へいけばいいという考えはよくない。妊娠は病気じゃないんだ。金がもったいないだろう。余分なことにかける金はないよ」
病院へ行きたいと幹雄に訴えるも、一蹴されてしまった。
「それより朝食まだ?」
「あ、ごめんなさい。もうすぐできます」
「ほんとグズだね、美晴は。あと、今日の夜から出張になったから用意しといて」
「……はい、かしこまりました」
夫にこう言われてしまっては勝手に動けない。仕方なく家でじっとしていたが、腹痛は治まるどころかどんどん酷くなっていく。朝の掃除を終えた段階で立てなくなってしまい、腹を抱えてベッドでゆがかれたエビのように丸まった。時折目の前が真っ白になるようなほどの激しい痛みが襲ってくる。
(――痛いっ、お腹が張り裂けそう!!)
奥歯を噛みしめ、必死に痛みと闘う。あまりの痛みに生理的に流れる涙が美晴の頬を濡らした。家にはひとりきりで、誰も頼れる人はいない。
まだ腹痛がましだった頃に病院へ行けばよかったと後悔するが、もう自分ではどうしようもない状態になってしまった。部屋の窓から射し込む陽光がまぶしく、美晴は目を閉じてじっと痛みに耐えた。
寝室からは時計の秒針の音がリズミカルに刻んでいる。それがやけに大きく、自分の心臓の鼓動とリンクして聞こえた。連動してこめかみが痛くなるため深い呼吸を数回試みたが、それもまた別の痛みを引き起こした。
今夜から幹雄の出張が決まっているが、その用意もできていない。叱られるから立ち上がりたいのに痛みで動けない。夕食の準備もできていない。考えただけで恐ろしく歯が浮いてカチカチと音を立てて身体が震えた。腹痛はさらに酷くなる。
(どうしよう、どうしよう……)
頭の中は混沌とし、痛みと焦りの波に飲み込まれていった。夫の厳しい顔と罵声が浮かび上がってくると息が詰まりそうだった。うまく呼吸ができずに涙が溢れた。
「帰ったぞ」
気が付くと幹雄が帰ってくる時間となっていた。痛みで気を失っていたようだ。なにも用意ができていないことをどんな風に責められるのだろうか。怖くて震えてしまう。
「なんだ美晴、電気もつけないでなにをやっているんだ?」
夫は美晴をあちこち探している。やがて乱暴に寝室の扉が開けられ、廊下から漏れる光が室内に差し込んだ。片方のベッドが大きく膨らんでいるのを見て、これみよがしに幹雄はため息をついた。
「なにをしているんだ?」
幹雄はベッドに近づき、全体を覆っていた布団を取り上げた。中でくるまっていた美晴の身体がむき出しになる。カタカタと震える自身を抱きしめながら彼女が虚ろな目を幹雄に向けた。
「まさか朝から寝ているとか言わないよな? 一体どれだけ怠慢なんだよ」幹雄の声は冷たく怒りを含んでいた。
美晴は声を絞り出そうとしたが、痛みでうまく言葉が出てこない。彼女の声は大層弱々しく震えていた。「ごめんなさい、体調が悪くて…」
しかしそんな彼女に幹雄から掛けられた言葉が――「夕飯は?」だった。