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午前十時を少し回った頃、市の消防団の班長が病院に駆け込んできて、院長を呼んでくれと喚いた。何事かと、亮介も受け付けのある待合室に向かった。消防団の班長は意外な事を院長に告げた。
「この先の避難所に、三十人もバスで運ばれて来たんだよ。入院患者だってんだが」
「入院患者? それでそのバスは?」
いぶかしげに訊く院長に、消防団の班長も首を傾げながら答えた。
「その人たち下ろしたら、すぐに行っちまった。次の避難者運ばねえといけねえ、って言って」
とりあえず看護師長の宮田が班長について避難所へ行き、一時間後に戻って来て院長をはじめ医師たちに状況を報告した。手の空いている病院のスタッフ全員が押し合いへし合いする院長室で宮田は困り果てたという表情で告げた。
「三つ葉厚生病院の入院患者さんたちでした。全員六十五歳以上の高齢の患者さんばかりで、かなり進んだ認知症の方も数人いるようです」
「それにしても、なんでここへ?」
山倉が額に深い縦皺を寄せながら言う。宮田が言葉を続けた。
「よく分からないんですが、どうも何カ所もあちこちに着いて、そしたらまたもっと遠くへ避難、その繰り返しがあったらしいんです」
「それで医師は何人ついて来たんだ?」
児玉が訊いた。宮田は大きくため息をついてから答えた。
「それが、医師も看護師も一人も同行していないんです。患者さんたちだけが運ばれてきたみたいで」
「そんな無責任な! 三つ葉厚生の連中は何をやっているんだ?」
そういきり立つ児玉の言葉を院長が手を上げて遮った。
「そうか」
院長は小さくうなずきながら言った。
「わずか二日の間に、避難指示の範囲が二キロ、三キロ、二十キロと広がったせいだろう。送り出した方も情報や指揮系統が混乱しているんだ。ここならぎりぎり二十キロの外だからね」
「しかし院長」
内科医の一人が青い顔で言った。
「たった二キロの差で、本当に大丈夫なんですか、ここは? 放射性物質なんて風向き次第でどこまで飛ぶかなんて分からないでしょう。単純に同心円で何キロまで、それ、意味があるんでしょうか?」
院長も顔をしかめながら、しかし宥めるように言った。
「それを私たちが言っても始まらない。宮田さん、避難所でその患者さんたちを受け入れてもらえそうでしたか?」
宮田は反射的に首を大きく横に振った。
「とても無理です。今でも避難所はギュウギュウ詰め状態でした。夜みんなが横になったら身動きする隙間も無いとかで」
「ではやむを得ませんね。三つ葉厚生病院の患者さんたちは、うちで引き受けましょう」
「本気ですか、院長!」
山倉が声を荒げた。
「うちのキャパは、完全にパンクしますよ!」
だが院長は決然とした口調で宣言した。
「だからと言って、患者さんを放置するわけにはいかんでしょう。よその市町村の病院の患者さんと言っても、同じ福島県民だ。見捨てるなんてできませんよ」
それから夕方にかけて、消防団員に誘導されて三つ葉厚生病院の患者たちが南宗田市立中央病院に連れて来られた。ほとんどが慢性疾患の高齢者で、救急治療が必要ない事が救いだったが、ただでさえ込み合っている病院内に新たに三十人も収容したため、院内は文字通り足の踏み場もない状態になった。
定時検診のため亮介が外科病棟へ行くと、骨折で入院している桜田が廊下に座り込んで、恋人らしい若い女性と話し込んでいた。
「桜田さん、どうしたんですか? そんな所で」
そう言った亮介に桜田は事もなげに答えた。
「俺のベッド、他の患者さんに譲ったんだ。俺は入院つっても」
そう言って桜田は、床に投げ出した自分の脚のギプスをポンと手で叩いた。
「こいつがくっ付くのを待ってるだけだからさ。俺は若いんだから、廊下で充分だ」
その夜は、亮介をはじめ病院の医師と看護師は、三つ葉厚生病院から避難してきた患者の聞き取りに追われた。患者たちは大まかな自分の症状は答えられたが、治療にどんな薬を使っていたか、それが全く分からなかった。中には自分の名前すら答えられない重度の認知症の患者も三人いた。
「参ったな」
内科医の山倉が途中でつぶやいた。
「急性じゃないとは言え、薬の種類が分からないんじゃ下手に処方できん。せめてカルテがあればいいんだが」
亮介はちょっと時間が空くたびに一階待合室のテレビでニュースを確認しに行った。原発に関する新しい情報はこれと言って出ていなかった。
「頼むから、これ以上何も起きないでくれよ」
亮介はテレビの画面に向かって祈るような気分でつぶやいた。
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