死体がないのは気になるものの、その他に特に変わったことはなさそう。部屋を出ようとドアを開けた。
「!!」
開かれたドアの向こうには顔があった。一瞬息が止まりそうになる。この人……昨日の!生きていたの!?
てっきり彼女は死んだものだと思い込んでいた私は、思わず何度も何度も足を確かめた。……足はある。幽霊じゃないよね?それを確認してホッと息をついた。それじゃやっぱり、無事だったんだ……。
昨夜死んでいたように見えたのは勘違いで……ううん、それとも最初からそんな事実はなかった?あれは全部、私が見た夢だったの?よく分からない。彼女が無事ならどっちでもいいか……。
「あの、無事でよかったです」
「…………」
「大丈夫ですか?どこか怪我とか……」
「…………」
「あ、の……」
「…………」
女の人は俯いているだけで、なんの反応も返ってこない。見えてないのかな。また不安になった。もしかしてこれも夢の中の出来事なの?
そう思った時、手の中の十字架の存在を思い出した。
「あっ、そうだ。これ……」
握りしめている十字架の感触は、はっきりしている。やっぱり夢じゃないよね?
「返さなくちゃって思ったの。大事なものだと思って……」
ペンダントを差し出しながら、ドアノブに手をかけた。
「よかった、返せて。私ーー」
開けたドアの向こうにあったのは、半分血まみれの顔だ。うそ……。どう見ても、立って歩ける怪我じゃない。
十字架を差し出したまま凍りつく目の前で、その舌がずるりと伸びた。
「いやあッ!!」
思わず手に持っていたものーー拾った十字架のペンダントを投げつける。
「ギャアアッ!」
短い悲鳴と共に、それは地面に崩れ落ちた。ガタガタと震える足元に這いつくばり、うめいている。どうなってるの!!何が起きて!これは……。いったいこれは!
グッと呻き声が止まった。ぐりと首が捩れて顔がもたげられる。その目は、真っ赤に血塗られていた。これは、ヒトなの!?
「アウェアアァーー!」
もしかしたら彼女は、何か喋ったのかもしれない。かすかにそんな調子だった。でもそれは、言葉とは呼べない。彼女を突き飛ばして、部屋を飛び出した。
どうなってるの!?何が起きて!!ああ、とにかく逃げなきゃ!!じっとしてたら捕まっちゃうわ!
西側の扉へ飛び込んだ瞬間、あることを閃く。そうだ、掛け金!!このドアには掛け金がついている!私は咄嗟にドアに掛け金をかけた。
「グエエッ!!」
「きゃあッ!」
女の人が追いついたのは、掛け金を引いたのと同時だった。手を振り払うようにして、ドアから退く。ドアが激しく揺れて、鉄格子に血だらけの顔を押し付けていた。
「ギイイッ!!」
赤く濡れた目がぎょろぎょろと不規則に動き回って、私を狙っている。ずるっと赤い舌が鉄格子の隙間から伸びた。さらに下がる。
舌は二メートルくらい伸びて、もどかしげに空で唸った。大丈夫……ここまでは届かない……。
「グエエーー!!」
「!」
苛立った咆哮に、蹲って耳を塞ぐ。どうしよう。どうしたらいいの?ここから動けないわ。だって、そこの鉄の扉は閉まってて!
泣きたい気分でドアを見上げた私は、目を見開いた。ドアの隙間から光が漏れている。開いてる!鉄の扉の向こうへ飛び込んだ。
重い鉄のドアをしっかり閉めると、彼女の声は聞こえなくなった。
「はあ、はあ……」
ノブを握りしめた手が震えている。だいじょうぶ……大丈夫。深呼吸、しよ……。
ノブにしがみついた格好のまま、息を吸って吐いてを繰り返した。それを何度か繰り返すと、ようやく部屋を見渡す余裕ができる。
「あっ……」
思わず息を呑んだ。
長く伸びた廊下。その突き当たりには同じドアがもう一つ。廊下を挟んで、両側には空の牢が並んでいる。その牢の道の真ん中に、一人の男の子が立っていた。
「!?」
一瞬またさっきの女の人のような「お化け」かと思ったけど、その目は赤くない。違う、お化けじゃない。
彼は私を見ていた。赤くないグレーの目でじっと。その視線に気圧されて呼吸が止まる。不意に男の子がニコッと笑った。
「こんばんは」
「こんっ……」
止まっていた息を意識的に吐き出して、呼吸を再開。
「こん、ばんは……」
「ここで何してるの?」
「……えっと……出口を探してて……」
「どうやってここに?」
何だろう。笑顔なのに、空気が張り詰めている。この子の右手が、腰の銃にかけられているから?
「物置から……地下道、通って……でも扉が閉まっちゃったから……」
「地下道……あの井戸の下の?」
「うん」
「誰かに連れてこられたわけじゃないんだ?」
「わからない……声がして、階段を落ちたら……地下にいたの」
「声?」
「私を呼ぶ声がするの」
「…………」
彼は黙り込んだ。何かを考えている短い間の後、唐突に話題を変える。
「もしかして、体弱い?」
「えっ、私?……私の?」
「そう。最近、食欲はある?」
「…………」
目をぱちくりさせた。質問の意味は分かるのに、意図が分からない。男の子は真面目な顔で答えを待っている。それならちゃんと答えなくちゃよね?
「食欲は……あんまり……体も強くないです。学校ずっとお休みにしてる……」
そういえば、昨日はお薬しか飲んでない。ずっとベットにいて動かないせいか、ほとんどお腹が空かないのだ。
「最近は特に具合が悪い感じ?」
「うん。そうだと思う」
「そっか……」
右手を銃から離すと、私へ差し出した。
「手ェ、出して」
「!?」
咄嗟に背中に手を隠した私に、彼は肩をすくめた。
「大丈夫、痛いことはしないよ。脈を測りたいだけ」
言いながら、ウエストバッグから腕時計を引っ張り出す。
「脈……?」
「ね」
促されて恐る恐る手を差し出すと、私の手首を取った。私、そんなに具合悪そうに見えた?
「あの……大丈夫。今は調子いいから……」
そう言ってみたけど、反応はない。男の子は左手で持った腕時計の秒針に目を落としたまま、動かない。邪魔しない方が良さそう。仕方なく、そのままじっとしていることにした。
名前も知らない子に初対面で脈を取られるなんて、変なの……。暇なので、少しだけ下にある少年の顔を眺める。私の方がちょっとだけ背が高い。いくつなのかな。私より年下に見えるのに、随分しっかりしている。私も年齢の割に小さくみられるから……この子もそうかな?
少し色素の抜けた髪の色は、なぜか懐かしい気がした。前にどこかでこんな色の髪の人と出会った気がする。誰だったかな……。
そんなことを考えていたら、不意に男の子が顔を上げた。どうして、そんな痛ましそうな目をするの?
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