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「なんだ? 俺の服はどこに消えたんだ?」
新しく生まれた勇信の最初の言葉だった。
「おい、待ってくれ……。また俺が」
「裸……ってことは、俺はまさか」
ふたりは目を合わせたまま固まった。
「おい、どうなってんだ! 説明しろ。なんでもうひとり増えてんだ!」
大きな声で叫んだのは、トレーニングを終えてリビングに戻ったジョーだった。
「目を閉じたらこうなった」
「目を閉じたらこうなった」
「……そっちの服着た方。おまえが説明してみろ」
入り口に立つジョーが冷たい目でふたりを交互に見ている。
「ずっと頭の中が混乱してて、気を紛らわせようとウィスキーをたらふく飲んだ。で、少し横になったらこいつが現れた」
「そんなことより、服を着ないと」
全裸の勇信が立ち上がり、そそくさとドレスルームに去っていった。
「まさかさらに増えるとは思ってもみなかった……。すぐにでも主治医に連絡して、明日精密検査を受けなきゃマズいぞ。くまなく全身を検査してもらう必要がありそうだ」
「精密検査は俺じゃなくおまえが受けたほうがいい。また筋肉量が増えてないか?」
「増殖は俺じゃなくおまえを起点としてる。俺もそうだし、今生まれたヤツも裸だったろ。なのにおまえはずっと服を着たままだ。これがどういう意味かわかるよな」
「俺が増殖の母体……」
ソファに座る勇信もまた、ジョーと同じことを考えていた。
「いや、待て! 精密検査なんてとんでもない! もし母体であるおまえが精密検査を受けて、主治医の前で増殖でもしたら……」
「くそっ! いつまた増えるかわからないってことは、検査どころか外出もできないんじゃないのか!? 家族に会うことすら危険だ」
「いよいよ非常事態だぞ、これは」
ふたりの勇信は途方に暮れて頭を掻きむしった。
「少なくとも俺だけでも検査を受けるべきだな」
ジョーが言った。
「いや、それも危険だ。そっちが増殖しないとは限らない」
「たしかに」
そのとき3人目の勇信がドレスルームから戻ってきた。
彼はどういうわけかスーツに身を包んでいた。
「おい、何勝手に話進めてんだ? それぞれがしっかり情報共有しておかないと、あとで混乱が広がるぞ!」
「それより何だその服装? 今から仕事にでも行くつもりか」
「今から言うことをよく聞け。今後スーツを着てもいいのは俺だけだ。おまえらはニ度とスーツに触れるんじゃないぞ。そして、今から俺のことを『常務』と呼ぶんだ」
「常務は俺だ」
「常務は俺だ」
残るふたりが言った。
「じゃ聞くが、おまえら今からでも仕事がしたいか」
「……酔ってて仕事どころじゃない」
「俺はこれからシャワーを浴びて、その後はストレッチで疲れた筋肉をほぐさないと」
「ほらみろ。俺は今からでも仕事に復帰したいと思っている。処理すべき案件が山積みだからな。だからスーツは俺のものだ」
「あれだけウィスキーを飲んだのに、仕事がしたいのか?」
「仕事への情熱は、体内アルコール濃度とは関係ない。少なくとも俺にとってはな」
「まさか、おまえも何かに特化した勇信……」
ソファに座る勇信がため息をついた。
「そうだろうな。何に特化してるかはわからんが」
新しい勇信が言った。
「ものは考えようだ。こいつが仕事をやってくれるなら大歓迎じゃないか。そっちの母体さんはいつまた増えるかわからないし、俺は晴れて兄さんの調査に集中できそうだ。うまくいったじゃないか」
「ただ常務という呼び名は受け入れられない」
ソファに座る勇信が立ち上がった。
「なんでだ? 理由を言ってみろ」
「常務は人事においての単なるポジションじゃない。俺という人間の誇りだ。俺はずっと責任感を持って働いてきたし、これからもそうするつもりだった。だからせめて『ビジネスマン』くらいにとどめておいてくれ。次に常務などと自称したら、そのときは――」
「ビジネスマンか、オッケーだ。しょせんお互いが混乱しないための呼称だから何でもいいさ」
新しい勇信が拍子抜けするほどあっさりと言った。
「それぞれに呼称をつけるのはいい案だな。さらにいうなら、それぞれに見合った服装にしておけばよりいいんじゃないか?」
ジョーはそう言ってドレスルームへと去っていった。
残った勇信たちは、言葉を交わすことなくジョーの帰りを待った。
しばらくして戻ったジョーは、側面に黒い線の入った、黄色のトラックスーツに身を包んでいた。
片手にはヌンチャクを持っている。
「ブルース・リーの衣装か。昔ハロウィーンパーティーで無理矢理着さされたやつだ」
「ブルース・リーと呼ばれたいのか?」
「いや、今後俺を『ジョー』と呼んでくれ。昨日トレーナーとして自分をジョーと名乗ったとき、なんだかしっくりときたんでな」
「ジョー」とビジネスマンは言った。
「ビジネスマン」とジョーは言った。
ジョーとビジネスマンの視線が、ソファに座る勇信へと向けられた。
「俺は……何にも特化していない」
「自分を定義できないのは、残念なことじゃないさ。俺たちの方こそが例外なんだからな。おまえは普通の吾妻勇信だ。オリジナルであり、元祖ってわけだ」
オリジナル……と勇信がつぶやいた。
「おまえを名づけてやろう」
「おまえを名づけてやろう」
ふたりが勇信に一歩近づいた。
「キャプテン。おまえはキャプテンだ」
「キャプテン。おまえはキャプテンだ」
「俺の名は……キャプテン」
「いわば素材そのものの吾妻勇信。薄味の勇信。そして母体であるからには、おまえを中心に据えておく。自分がオリジナルであるのを忘れず、まっすぐに生きてくれ」
「そういうことだ。じゃ俺は仕事をはじめさせてもらうよ」
「俺はちょっとストレッチしてくる」
ふたりが去り、キャプテンとなった勇信は自分の胸に手を当てた。
「俺は、キャプテン……」