「……綺麗だなぁ」
電車に乗ると席には座らずドア付近に立つ。日々の日課になりつつある景色の観賞目的で。やや曇りがかっていたが鮮やかな夕焼け空が広がっていた。
「ん…」
対話相手がいないと考え事ばかりしてしまう。その大半がネガティブな内容。友達が少ない事が原因でいつも孤独な帰り道に。上手く周りに馴染めない消極的な性格を少しだけ忌み嫌った。
「どうしてるかな…」
住宅街や川を眺めていると条件反射のように昨日の出来事が脳裏をよぎる。女性と共に泣いている小学生を助けたイベントが。
「そう都合良くはいかないか…」
辺りを見回してみたがそれらしき姿は見受けられない。例の女の子は車内のどこにも存在していなかった。
「可愛かったなぁ…」
周りにはあまりいないタイプの異性。同級生にも先輩後輩にも。一度会っただけなのにその顔が鮮明に思い出せる。それ程までに昨日の女性は印象的で容姿が優れていた。
「よっと」
電車を降りた後は改札をくぐる。パスケースに入った定期を使って。駅前にあったタクシー乗り場やパン屋を通過すると住宅街に突入。登校時とは少しルートをズラして歩いた。
「ふぅ…」
途中、遊具等が並べられた公園に立ち寄る。設置されたベンチに鞄を置くと倒れ込むように着席。
たまにこうして寄り道をしていた。鬱な気分を紛らわせる為に。
「あ~あ…」
辺りを見回していると視線の先に自分以外の利用者を発見。滑り台を拠点に小学生の集団が駆け回っていた。
「あの頃に戻れたらなぁ…」
そうすれば人生をやり直せる。今の情けない物とは違うまともな内容に。発想は常に懐古主義でモラトリアムをこじらせた形。典型的なネガティブ人間の思考回路だった。
「ほっ」
自虐的な気分に浸った後は端末を頭上に掲げる。画面をカメラモードに切り替えて。
空の一部に浮かぶ不自然な物体に注目。雲の隙間を縫って大きな旅客機が飛んでいた。
「どうやってあんな鉄の塊を飛ばしてるんだろう…」
不思議でならない。原理を説明される前も後も。
「あれ?」
立ち上がって撮影位置を変えていると足元に違和感を覚える。靴の先端に何かが衝突した事で。
「……ハサミ?」
それはこの場に相応しくない落とし物。物を切り刻む時に使う文房具だった。
「こんな所に捨てていかなくても…」
拾って確認してみたがサイズが小さい。しかも刃と持ち手部分が共に存在しているのが片側だけ。恐らく使い物にならなくなったから誰かが投棄していったのだろう。とんだ迷惑行為だった。
「ん~…」
かつてハサミとカッターの差について真剣に悩んだ過去がある。折り紙を切り分ける時にどちらを使用するかを尋ねられた事がキッカケで。
片方は刃を出すだけなのに、もう片方は挟む作業を加えなくてはならない。その違いが子供ながらにミステリアスだった。
「ただいま」
気分転換した後は重い腰を上げて再び帰路に就く。のんびりペースで自宅に到着した。
「ん?」
玄関を開けると中へ入る。そこで見覚えのない女性用の靴を発見した。
「母さんのかな…」
ひょっとしたら新しい物を購入したのかもしれない。もしくは香織が友達を連れて来ているか。
憶測を巡らせるが本人の履き物が見当たらない。大して気にも止めずに奥へと進んだ。
「んむっ、んむっ…」
リビングへとやって来ると鞄をテーブルの上に置く。冷蔵庫から紅茶のペットボトルを取り出して豪快に一気飲み。
「ふぅ…」
水分補給した後は静まり返った家の中を見回した。テレビも冷房もついていない室内を。
どこかに誰かが隠れているのではないか。そう思えるような奇妙な不気味さが所々に漂っていた。
「……ん」
その光景がキッカケで昔の記憶を思い出してしまう。まだ今の家族と暮らす前の意識を。
学校から帰って来ても誰もいない家。物音一つしない部屋。寂しくなかったといえば嘘だった。けど慣れてしまえばそれらは日常でしかない。
首から紐でブラ下げた鍵で玄関を開ける作業。1人で食べる夕食も1人で見るテレビも。小学生の時の自分には当たり前の生活だった。
唯一の家族だった父親が育児放棄をしていた訳じゃない。単純に多忙だっただけ。
そして両親が再婚してから改めて思い返すと怖くなる。もし父親と何かしらの事情で死別していたとしたら、1人取り残された息子は一体どうやって生きていけば良かったのかと。
「昔みたいにアニメの再放送とかやってくれないかなぁ…」
リビングにあるテレビをつけてみたがワイドショーやドラマの再放送ばかり。面白そうな番組がやってなかったのですぐに電源を切った。
「あ~あ…」
バイトも部活動もしていないので放課後は基本的に暇。香織は友達とどこかに寄り道しているのだろう。両親はまだしばらく帰ってこない。
やる事もないので自室へと移る事に。廊下へと移動して階段に足をかけた。
「あ、そうだ」
数段上がった所で引き返す。催した自然現象を解消しようと。
うちは広い家の割にトイレが一階にしか設置されていない。その為、深夜でもわざわざ階段を下りてくる必要があった。
「二階にもトイレがあったらなぁ…」
ドアノブに手をかけながら独り言を呟く。誰にも聞いてもらえないささやかな愚痴を。
「……は?」
「え…」
しかしドアを開けた瞬間に全身が硬直。その原因は同年代と思しき女性の先客だった。