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青白い雪が壁に吹き付けられている。
レンガと壁の足元には、風が作った小さな雪の山がある。
そこに自分の足が埋もれるように、投げ出されている。
僕は手を付きながら、身体を起こす。
けれど、自立しているのもやっとだった。
引っ張られるように背中は反り返り、首は真上を向くことしか出来ない。
「く…そっ…」
全身を駆け抜ける電流のような痛みに歯を食いしばる。
しかし、どうやっても立つことは出来そうになかった。
というのも、立ち上がる気にもなれなかった。
「見捨てられ…たんだっ…」
僕は涙を流していた。
頬をつたうものすら拭えない。
抱えきれない喪失感に押しつぶされてしまいそうだった。
僕にはおじさんしかいなかったのに…。
オキザリスの花が浮かぶ。
あなたを決して捨てない。
あれは嘘だったのだろうか。
僕が贈ったブルーローズも今は枯れてしまっていた。
大切な家族のような気持ちはいつからか、不信感に変わってしまっていたのかもしれない。
僕は這いつくばりながら、宛もなく彷徨う。
ここから離れなければ。
おじさんを脅した人達からも。
僕の亡骸を見つけてしまうかもしれない他人からも。
そして、大切だったあの人からも。
僕は街灯とは逆の闇が広がる路地の方へ、
レンガに張り付くようにかじかむ手を動かして、進んだ。
指先に削れるような擦れる感覚があれど、
僕は意識が消えるまで地面を這いつくばっていた。
涙などとうに頬で凍てついていた。
「…い…立て…くっ…んだ…」
傍で誰かの声が聞こえる。
薄ら目を開けるが、視界は霞んでいて何も見えない。
「こっち…だ…くぞ…」
それは僕に向けられた言葉なのだろうか。
僕は誰かに支えられているようだった。
けれど、それがいい人か悪い人か。
判断もなく、ただ身を委ねるしかなかった。
僕の身体はもう、動く事を諦めていた。
眠るように意識を断つ。
しかし、次の瞬間には身体に衝撃が来る。
「うっ…」
わずかな呻き声とともに、地面へ投げられたのだと気付く。
「いいか…ここに居るものはこれから、学園に向かってもらう」
それはあまりにもハッキリと聞き取れた。
僕は力を振り絞って、身体を起こす。
まだ痛む傷を抱えながら。
目の前には腕を後ろに組んだ男性が立っていた。
黒帽子を被り、警官のような身なりをしていた。
ぼやけた視界を持ち上げていくと、同じ緑色の瞳と目が合った。
「あ…貴方は…」
彼はどこかで見覚えのある顔立ちをしていた。
けれど逆光で正確には見えない。
彼は僕を一瞥したかと思うと
何も言わずどこかへ去っていく。
追うような言葉も声も、何も発せないまま。
足音はなくなっていた。
その時、すぐ傍から同じく項垂れたような人達が
数名居ることに気付く。
僕は未だぼやけた目を擦り、壁に背を持たれ
辺りを見渡す。
それはどこか小さな個室のようだった。
床は木造というより、木の血小板に乗っているような感じだった。
何かをすったような薄くなった痕がある。
壁のようなそれらは貨物列車にあるコンテナの内側だった。
途端、外から大きな音が聞こえる。
衝撃音のようだった。
それと共に大きな揺れが、僕らを波のように揺らす。
どうやら僕らを乗せた貨物列車が動き出したようだった。
僕と他の数名は誰一人、言葉を発することはなかった。
全員が男性であるようだが、誰も皆
怪我をしていたり、突っ伏したままだったり、
項垂れたりしていた。
ホームレスとまではいかないが、
荒れた姿をしている。
自分もどうやらその一人のようだ。
幸いにもこの空間には空調管理があるようで、
寒さに凍えることは無かった。
けれど…。
どこか知らぬ未開の地へ送られてしまう事になったのは避けようがない事態だった。
少なくとも、あの人がいた場所にはもう二度と戻れそうにない。
名も知らぬ数名と共に拉致をされたような。
この世に不必要になった人間の買収のような。
目指す先に待っているのは奴隷のような扱いか。
どれも日常に希望を持たせる考えが浮かぶ事はない。
捨てられたんだ…。
僕はもう、生きる意味を失っていた。
それくらい僕の人生には彼しかいなかったのだ。
改めて思うと、僕には何も無かったのだと思う。
僕には家族が居たはずだが、育つ頃には傍におじさんしかいなかった。
家族写真など見た事もない。
思い出となるものは一切持ち合わせていない。
だからこそ、僕にはおじさんしかいなかったのに。
僕はうずくまりながら、静かに涙を流していた。
気付いたら眠ってしまっていたようだ。
僕は眩しい光に目を覚ました。
「やっと、起きたか。クインテッド」
目の前の人物は、確かに僕の名前を呼んだ気がする。
その人は、僕の手を引いて立ち上がらせる。
「っ…どなたでしょうか…」
あまりに強すぎる光に、目を開けられなかった。
世界が白く明るく照らされていく中、
僕はその輝きに焼き尽くされてしまうようだった。
「名乗りはしない。君は…この先から動けそうか?」
身体に力は入らないままだった。
男性は僕を支えたまま、どこかへ向かっているようだった。
僕の足が歩いているのか分からない。
麻痺のような感覚。
骨折しているのかもしれない。
なぜだが、動かすという発想が神経と繋がらない。
「歩けそうにないか…一度車椅子へ座らせよう」
その声に他の誰かの足音が近付いてくる。
何かを轢くような音。おそらく車椅子だろう。
僕は彼らに促されたまま、腰をかける。
首は項垂れたまま力が入らない。
そのまま前に倒れてしまいそうな身体を、
誰かが必死に抑えてくれていた。
「僕なんか…ほっておいて下さい…」
それは言葉に出来たのか分からない声だった。
一向に支える腕が離れる気配はない。
きっと言葉になっていなかったのかもしれない。
僕はそのまま諦めては彼らに身を任せた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
再び声が聞こえるまで僕は眠りに落ちていた。
「あぁ、ここまでくればもう戻ることは無いよ」
誰かが僕に話しかけていた。
「どういうことですか?」
僕はその人に聞き返した。
「涙を流す必要は無い。君はもう己で道を選べるんだ」
彼は僕の問いかけに答えぬまま、続ける。
「言っている事が分かりません。貴方は誰なのですか」
必死に口を動かして言葉を伝える。
「大丈夫。君の命は僕が守る。だから、今は楽しく過ごしてくれることを願っている」
その人は言い終えたのが、近くに気配を感じなくなっていた。
顔を上げられないまま、何も分からないまま。
僕は学園にたどり着いていたようだ。