……さっき話しかけなければ、寝ていたのだろうか、と真剣に映画を見ている夏菜を見ながら有生は思っていた。
今日こそ、なにかをどうにかしなければ、と焦る。
どうも指月もこいつに気があるようだし。
実はこいつ、モテるのかもしれん。
まあ、黙っていれば可愛いし。
黙ってなくとも、なんとなく可愛いし……と思ったとき、夏菜が、
「わー、ハワイが凍ってますよ~」
と氷の世界になったSF映画を見ながら声を上げる。
「ハワイか。
そういえば、ハワイは徐々に日本に近づいてきているというが。
日本に来たときには、もうハワイじゃないと思うんだがな」
ま、ハワイじゃないというか。
南の島じゃないというかな、とくだらぬことを言いながら、有生は映画の内容に期待していた。
映画が盛り上がってピンチになったら、こっちもピンチになった気分になって、吊り橋効果で、心が近づかないだろうかと。
「金返せ」
夏菜は映画を見終わったあと、有生が画面に向かって、そうぼそりと呟くのを聞いた。
いやこれ、動画サイトの無料配信分ですよね~、と思う夏菜の横で有生は立ち上がり、叫び出す。
「とんでもない駄作だ!
何処も盛り上がらなかったじゃないかっ。
こんなもので全米は泣かないっ。
雪丸だって泣かないぞっ」
何故、雪丸さん……と思いながら見ていると、有生はまたソファに腰を下ろした。
新規プロジェクトについて考えているような真剣さで、電源を落とした画面を見つめている。
「で、でもまあ、こういうSF系のは当たりハズレが激しいですからね~。
ハズレに当たるのもまた一興というか。
あとになって思い返してみると、ハズレの方が印象深いというか」
ははは、と笑いながら言ってみたのだが、有生はまだ画面を見つめている。
「計画の見直しが必要だ……」
と呟いた有生に、
「え? 地球脱出計画の?」
と訊いてしまう。
まだ頭の中がSFだった。
早く此処から逃げないと、外から寒波と氷が押し寄せてくるっと思っている。
「……暖房ってありがたいですね」
とエアコンを見ながら、なんとなく呟いたとき、有生がおのれに言い聞かせるように言い出した。
「大丈夫だ。
何度、失敗しても俺は立ち上がる」
いや、貴方もその駄作に頭を支配されているではないですか……、と映画とまったく同じセリフを言い出す有生に思う。
「何故、失敗したのか。
そこを見極めることが大事だ」
は、はあ……と夏菜は適当な相槌を打った。
そもそもなにを失敗したんですかと思っていたからだ。
「映画が盛り上がって、手に汗握ったり、感動したりするといいなと期待してしまったのは俺の逃げだ」
いや、映画が面白いといいなっていうのは、映画見る前、誰でも思うことだと思うんですけど……。
「夏菜」
と有生は地球の命運を背負って旅立つ宇宙飛行士のような瞳で、夏菜の両手を握り、言ってくる。
「俺は映画が盛り上がって、お前が感動に涙したところで、そっとお前の手を握り、お前がこっちを振り向いたタイミングを逃さず、見つめ合って、そのまま終わりまで見たあと、『映画、よかったですね……』と美しい涙を落としながら言ってくるお前に、そっとキスするつもりだったのにっ!」
……立て板に水のようにロクでもないことを言い出したぞ。
なんかおかしいな、と思って見ると、有生の足許にカラになったフルーティなセメダインのボトルがあった。
映画のあまりのつまらなさに、ずっと呑んでいたようだ。
「だが、それは俺の弱さで逃げだ!
映画に頼ろうとした俺が莫迦だったっ。
映画が面白かろうが、面白くなかろうが、俺の目的はその先にある!」
なにかこう、崇高な感じに語り出したんだが……と思ったとき、
「夏菜」
と言いながら、有生は夏菜のいるラグの上に下りてきた。
「俺の真の目的はお前だ」
戦いの果てに、真の敵にたどり着いたときのように有生は言ってくる。
「俺はずっと、今日こそ、お前となにかしようと思っていた!」
たっ、高らかにおかしなことを宣言しないでくださいっ、と思ったとき、有生がラグの上に夏菜を押し倒そうとした。
反射的に有生の顎を片手で抑え、片手で床に落ちないよう踏ん張る。
きゃっと倒れる女子の方が可愛いんだろうなと思いながらも、染み付いた技が止められない。
「逃げるなっ」
と叫ばれ、ひいっ、と縮み上がりながらも、夏菜は有生をガードしたままだった。
有生を押し返そうとしている右手を、有生が強くつかんできた。
夏菜の目を見つめ、静かに言ってくる。
「……戦え」
いや、なにとですか……と思っていると、
「男に迫られると、反射的に技を繰り出して、男を投げ飛ばそうとする自分とだよ」
と有生が言う。
でっ、でもですねっ。
こちらにも断る権利ってあると思うんですよねっ。
ライオンの前の仔ねずみのように、震えながらも夏菜はそう思っていた。
だが、緊張のあまり、言葉が出ない。
上に乗られて有生の重みと体温を直に感じているせいだ。
寝技の練習以外で、こんなに男の人と近づいたことはない。
「俺が嫌いか?」
と有生が囁いてくる。
そ、そう真っ直ぐ訊かれると困りますね。
逃げ場がないではないですか。
せめて、視線をそらしてください……とおのれの視線を泳がせてみたが、有生の視線が追いかけてくる。
「じゃあ、いいな」
と返事をしない夏菜に有生が言ってきた。
いやいやいやっ。
確かに嫌いとは言ってませんが、好きとも言ってませんっ!
と思ったときには、ラグの上に押し倒されていた。
夏菜はカーテン全開の窓を見ながら叫ぶ。
「開いてますっ」
「大丈夫だ。
UFOくらいしか覗けない」
「じゃあ、UFOがいますっ」
飛んでない、と見もせず言う有生に押さえつけられ、キスされる。
有生の手が胸許にかかった。
「い、今、昼間ですよっ」
とその手を抑え、叫んでみたが、
「昼間ならしちゃ駄目だという法律はない。
酒も昼間から呑んでいる。
愛を確かめ合うのも昼間でもいいはずだ」
と反論される。
ひーっ。
意味がわからない、この酔っ払い~っと思わず、手近にあったものをつかむと、
「花札では殴り殺せないぞ」
と有生がそちらを見もせず言ってきた。
100均で買ったまま、まだやっていない花札をラグの上に置いていたのを見ていたようだ。
だが、夏菜は牽制するように有生を見たまま、片手で箱を開けると、中から一枚花札を取り出した。
まだ一度も使っていない切れ味のいい薄い紙の札を有生の首筋に当てる。
滑らす前に、有生の手がそれを止めた。
「殺す気かっ」
「死なないですよっ。
ちょっと首が切れるだけですよっ」
「……やはり、じいさんの予言通りだな。
襲いかかろうとした男は夫でも殺ろうとするとは」
命がけで恥じらうなっ、と言われてしまう。
まあ、命をかけているのは社長だが……。
「で、でもでもでも、あのっ。
社長っ。
ほらっ、今、酔ってらっしゃるんでっ。
そういうの嫌かなって」
と言うと、有生がようやく少し考える風な顔をした。
「だってほらっ。
目が覚めたとき、社長のご記憶にないとか、嫌じゃないですかっ」
と無理やり拒絶する理由をひねり出す。
「そ、そうですっ。
今はちょっと、ほら……
嫌かなって」
今限定の拒絶に有生の心がちょっぴり動いたようだった。
夏菜は有生の目を見つめ、その魂に訴えかけるように言ってみた。
「正気になってから襲ってくださいっ」
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