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4 マリアージュ
「美味しいかい?陽葵ちゃん」
「はい、とっても!いつも絶品!」
既に何度そのやりとりを繰り返し聴いたかわからない程、陽葵はうちに……いや、一二三に馴染んでいた。そのうちに、【美味しいかい?】が【美味いー?】になり、【はい】が【うん】になるだろうことは目に見えて解る。
居心地が、悪い……
「独歩くんも、沢山食べてね。……どうしたんだい?」
「あ、ああ。すまん。ちょっと考え事してた」
大好物のオムライスも、金曜日のビールも、今は殆ど味がしない。
ただただ喉が渇いて、不味いビールを飲み干すと、和気藹々と話す二人を尻目にそっと席を立った。
「……せんぱ……」
自分を呼ぶ声を聴こえなかったことにし、後ろ手にリビングのドアを閉めると、トイレに閉じこもった。
薄々、気付いてはいた。
二人の距離だけじゃない。自分の気持ちにも。
俺は、さっき飲み干したクソほどに不味いビールみたいだ。
陽葵はオムライス。そして、それに合うシャンパンは一二三だ。俺じゃない。
こうやって気持ちをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせても無意味なのを、俺は知っていた。
それでも。
例えば何か科学変化的なことが起きて、あいつに伝わる気がしていたんだ。
……ほんのちょっと前までは。
あいつの隣が似合うのは、きっと俺じゃない。
……それでも。
幻でもいいから。
あの笑顔が、俺のためだけにあると
信じてる……
「独歩君どうしたんだろうね。……少し様子を見てくるよ」
お願いします……というか細い声を背に受けて、一二三は最近では珍しくしょげている幼馴染の元へ向かう。
コンコンとトイレのドアをノックすると『ヒッ』と言う情けない声が聞こえた。
「どっぽっちーん?腹でも壊したぁ?」
一二三はジャケットを脱ぎながら、トイレの主に声をかけた。
本人は気づいていない様だが。
あれだけの量のビールを煽っていたから、吐いていてもおかしくはない。
「……放っておいてくれ……」
頼む……と、小さな声が聞こえてきた。
自分に、不手際でもあっただろうか。
先程までは楽しそうに食事を……していたのは自分達だけだったことにはたと気付く。
「独歩、ごめん、俺……」
「いいんだ!」
言いかけた言葉を遮るように、大きな音と共に絞り出すような声が聞こえてきた。
「いいんだ……お、俺は……俺なんかより……」
〝お前の方があいつに相応しい〟
その言葉で、漸くすべての言動に合点がいった。
そういえば、先生から独歩の様子が変だったから、よくよく観察して報告してほしいと連絡が来ていたのだった。(興味本位だろうが)
「独歩……」
一二三は、ふうと溜息を吐き次の言葉を考えた。
本心の方が良いだろう。
「三人で、が楽しくて、三人の時間が好きだったのは、俺っちだけだったん?」
「ひふ……」
「俺っちはさ、陽葵ちゃんは可愛い妹だと思ってるよ。それ以上も以下もない」
口を挟まれぬよう、全て言ってしまおうと矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「独歩。独歩はどうなの?ただの後輩?ただの妹的な存在?俺っちなんかの存在で、諦められるような、薄っぺらい気持ちなの?」
「……陽葵の気持ちはどうなるんだよ……」
小さく、しっかりとした声が聞こえた。
「俺っちの気持ちはどーなんの?」
それに、陽葵ちゃんだってそうじゃないかもしれないっしょ。
ドアノブを捻ると、簡単に開いた。
「独歩ちん、鍵かけてないじゃん」
笑いながら大事な幼馴染に近づくと、一二三は涙でぐしゃぐしゃな顔を袖で拭った。
「ただの妹、かぁ……」
開けかけたリビングのドアノブから、陽葵はそっと手を離した。
それはそっか。そうだよね。
ナンバーワンホストさんだし、チャンピオンだもんね。
半ば強引に自分を納得させる。
調子に乗っていた自分が恥ずかしい。
気を紛らわそうと、先輩の席に並べてあった次のビールを開ける。
ぬるい。不味い。
「……まるで、私、みたいだな。……恰好悪い……」
ふと、時計を見遣る。
「23時、か。よし」
食べ終わった食器を下げ、スーツに着替え、飲みかけの缶ビールを持つ。
「んぉわ!……陽葵ちゃん、どったの?」
「え、と、ちょっと諸用を思い出したので……今日のところは、帰りますね!御馳走様でした」
一二三の素っ頓狂な声に、少しだけ泣きそうになりながらなんとか早口で誤魔化す。
「陽葵、お前もしかして、聴こえ……おえ……」
空気の読めない先輩に、半ば八つ当たりでボディーブローをし、その家を後にした。
「う……朝?」
どうやって帰ったのかも、持ち出した死ぬほど不味いビールがどうなったかも覚えていない。
時間を確認しようと寝返りを打つと、一面の桃色が視界を覆った。
「おねーさん、おはよぉ」
見透かされるような、深い海の様な瞳と目があった。
「安心して!なぁんにもシテないから★」
屈託なく笑う笑顔。
もぉー大変だったんだよ!おねぇさんおいしくないビール抱えてわんわん泣いてたんだからー!少年がぷりぷりと文句を言う。
「う……覚えてない……おかしいそんなはずは……」
だって私は……
「まあ、嘘なんですけどね」
少年の後ろから、呆れた様な落ち着いた声が聞こえた。
「これ乱数。嘘はいけませんよ。……こほん。酔った貴女がイヌ公の上から降りられなくなっていたのを、こうして我々が助けたという訳です」
イヌ公!そこまで泥酔していたのか?まさか薬を……
「おいゲンタロー!嘘に嘘を重ねるんじゃねぇよ」
「貴方には言われたくないですね」
わぁテレビで見た人たちしかいなぁい。これはドッキリか何かかな……
現実逃避を始める思考を遮るように、濃紺の髪が目の前を染めた。
「俺たちの目の前で、階段から転げ落ちてきたんだよ。怪我、してねぇか?」
「帝統はんにしては、まともなことを言わはりますなぁ」
「ウルセェな」
帝統がバツが悪そうにそっぽを向くと、乱数が不意に頭を撫で回してくる。
「んー。たんこぶとかは、ダイジョブそうだねー。あっスーツとシャツはクリーニングに出したから、ボクのブランドの部屋着を着てもらってるよん♪」
そういえば、ゆったりとした着心地の良い服を着ている。
「身体にも傷はありませんでしたね。ね、帝統はん」
「うにゃ?!」
「えっ……私脱がされたんですか……」
恋人でも家族でも無い人に……?
「まあ、嘘なんですけど」
「そ、そうですか……」
彼らに何を聞いてもあまり信じられそうに無いので、これ以上の追求はやめることにした。