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あの夜から一週間経っても森川さんから連絡はなかった



私は相変わらずアルバイトの毎日で朝は新聞配達、昼から夜までカフェのウエイトレスという、森川さんと出会う前と変わらない生活を送っている



「ねえねえ、藍璃さ、あのイケメンとどうなったん?」



ゴフッ……




危ない、サンドイッチが喉に詰まるところだった




仕事が一段落して遅いお昼休憩中にスタッフルームで店長のまかないサンドイッチを食べていると、同じバイト仲間のなっちゃんこと『渡辺 那奈』が、突然訊いてきた




「あのイケメンって?」




私はわざと何の事?と、とぼけてみせる



……またなっちゃんは、絶対に森川さんのことを言っているよね


私が森川さんにアイスコーヒーをぶちまけたあの時は店が混んでいて忙殺していたから手助けしたくても出来なかったと、那奈は後に言っていたけれど、忙しく動き回りながら森川さんの事をよく観察していたようだ


あれからずっと、『イケメンだったけど、何かないの?』と、私にはよく分からない“何か”が私と森川さんの間にあったのではと期待しているらしい


那奈は、呆れたように吐息をつく



「私は一週間馬鹿みたいに同じ質問をずっと藍璃にしてんの。もういい加減教えてくれてもいいんじゃない?」



私と同じサンドイッチを持ちながら、ずいっと身を乗り出して聞き出す気満々の顔をしている



一度那奈に“何かあった”と勘付かれたら最後で、私は一週間那奈から尋問を受けていた



私は心の中で、両手を上げ降参のポーズをしてから全てを言うことにした



「なんもないよ。 ただ」



「ただ?」



「あの日の夜、食事に行っただけ」



そう言うと、那奈は目を見開きながら口をパクパクさせて、驚いた表情になった



「夜、食事に行ったん⁈ 初対面なのに⁈ あのイケメンと⁈」



「うん。ただ、それだけ」



「それだけって、マジで⁈ すごいがん。あんな大人でイケメンと出会ったその日にしかも夜、ご飯食べに行くなんて!でさ、あのイケメン、藍璃に名刺渡してたがん?」



なんか最初から知っているような口ぶりだったけれど、やっぱりそんなところまで見ていたんだ


私は、那奈の観察眼に感服した



「うん、名刺もらってそれに載ってた番号にかけたよ」



「だからぁ、思うんだけどそれって、藍璃に気があったんじゃない?」



「ええぇ……、そんなわけないよ。あるわけないない。名刺を渡されたのは、スーツの弁償について話し合うからってことだったよ」



那奈は、何を言っているのか



納得いかない顔をしている那奈を横目に、私はサンドイッチを食べ始めた



「でもさ、もうスーツの弁償はいいって言ったんでしょ?」



「うん、まぁ」



「それで、食事に連れて行った。しかも夜に。やっぱりそれって気があったからだよ。だって普通、全く気がなかったらわざわざ食事になんて誘わんよ。特に男の人は」



社会人の彼氏がいる那奈は、確信有り気にきっぱりと断言する



そうなのかなぁと思いながら私は、森川さんのある言葉を思い出した



「そういえば、最初弁償って言ったのは食事に誘う為の口実だったって、言われた」



私がそう言うと那奈は、パーっと明るい表情になった



「ほら! それ絶対に気があるだって!えーと、あのイケメンの名前、何?」



「森川さん」



「森川さんね。絶対に、藍璃に気があるんだわ」



「気があるって、だからそんなわけないって。私と森川さん、多分歳も一回りくらい違うんだよ?森川さんにしたら、私は子供だよ。相手にしてくれるわけないがん」



「『相手にしてくれる』?」



あ……



言ってから自分が今、なんて言ったのか分かった


まるで、私に気があってほしいと思っているのと同じことを言った



那奈は、ニヤニヤと笑った


「へ〜、相手にしてほしいんだ。へ〜やっぱりね。 藍璃が、森川さんのこと好きなんだぁ」



『好き』



その言葉に、かぁっと顔が熱くなる



「好きとか、そんな……。 森川さんとは出会ったばかりなのに、好きとか」



私は、段々俯いていった



きっと真っ赤になっている今の顔を、那奈には見られたくない



「一目惚れとかあるがん。少し喋っただけで、うっかり好きになる場合もあるがん」



「でも私、そういうのよく分からんの。好きとかいまいち分からんのよ」



だって、誰かを好きになったことなんて、一度もないから



「もしかしてさぁ藍璃、恋したことないん?」



私は、コクっと頷いた



「恋した時の気持ちが分からんの?」



「うん。 相手にどういう気持ちになったら、相手のことが好きって自覚するんだろうって」



那奈は『うーん』と考える素振りをしてから、『そうだなぁ』と切り出した



「その人のことをずっと考えたり、考えただけで胸が苦しくなったり温かくなったり、その人の笑顔が見たいとか声が聞きたいとか、名前を呼ばれただけで胸がキュッとしたり。 もう、頭ん中その人でいっぱいなら、それが恋だよ。藍璃、森川さんのこと、一日に何回考えてる?」



「……もう、分からんくらい」



一日何回なんて、もう数え切れないくらい森川さんのことを考えている



私は、あの夜から一週間経った今日まで森川さんを思い浮かべて、考えない日なんて無かった



ずっと、一日中どんな時も、森川さんの端整な顔を思い出して、今何をしているんだろうと考えている



「一日中。なら、もう確信だがん。好きなんだって認めやあ」



確かに那奈が言った通り、森川さんを思い出しただけで心臓がおかしくなる



もしかして、これが、恋なの?



こんな簡単に、恋をするの?



「好きかどうかは分からんけど、」



「分からんって、まぁ、仕方ないか」



「けど、森川さんのことは……」



『気になるかも』と言いかけたその時、テーブルの上に置いてある私のスマホが震えた




画面には『メッセージ 【森川さん】』と表示していた



「お! 噂をすれば」



私のスマホを一緒に覗き込む那奈は、何故か嬉しそうに『早く開きゃあ』と私を急かした



メッセージを開くと、『急に連絡してごめんね。良かったら今日、会えない?』



……どうしよう、どう返信すればいい



「きゃあー! 『会えない?』だって! どう、返事すんの?」



今、それを迷っているの



「どう、返しゃあいい?」



那奈は、大きな吐息をついた



「どうって、それは藍璃が思ってることを返しゃあいいがん。会いたくないなら、会いたくないって」



それは、絶対無い!



会えるなら、会いたい



私は那奈にメールの内容についてアドバイスを教示してもらいながら、森川さんとメールで短い間やりとりをした


『お久しぶりです。椎奈です』


緊張で震える指先でスマホのキーボードを打って、返信を書く


「違う違う。そこは名字じゃなくて“藍璃”でいいんだって!ビジネスメールじゃないんだから。気になる人からのメールには下の名前が一番フランクにやり取り出来て、そんでぐっと距離が縮みやすくなんの。森川さん藍璃って知っとるんでしょ?」



さっそく、那奈の辛口添削が入る


「知っとるけど、でも恥ずかしい……」


「恥ずかしくなんてない!顔が見えないメールじゃん。じゃあどうすんの?これから直接会ったら。メールだけで恥ずかしがってたら、直接顔見たらろくに話せずに卒倒しそうだわ。そんなんじゃ、せっかく会えて自分の想い伝えるチャンスあっても伝えずじまいで何か始まる前に終わっちゃうよ?」


喝を入れる那奈に、私は『そんな事言っても恥ずかしいものは恥ずかしい』と、目を逸らす


そうこう迷っているうちに、またスマホが震えて森川さんからメッセージが届いた


『突然過ぎて、迷惑だったかな。藍璃ちゃんにも都合があるのに急に誘ってごめんね。藍璃ちゃんの都合が悪いなら、遠慮なく断っていいよ。ただ藍璃ちゃんにもう一度会いたいと思ってメールしたけど、迷惑だったね。本当、迷惑なら、会えないなら、その旨を返信して。藍璃ちゃんの気持ちを優先したいから』


「うわお、嫌にならない程度の長文の中にイケメンパワーワードを捩じ込む文才溢れるメールですこと。文面だけでなんか、やり手の営業マンな気がしてきた。で、なんて返すの?」


森川さんのメールを盗み見る那奈は、にやにやしながら返信をせっつく


「待って待って、急過ぎて全然頭の中まとまっとらんのにまだ返事できるわけないじゃん」


「今の時間帯ってまだ全然仕事中じゃない?なら、手が空いた時にわざわざメールくれたってことじゃん。どうすんの?早く送らないと、森川さんお仕事に戻っちゃうかもよ。それで既読スルーしたら、『ああ、やっぱり迷惑だったんだ、俺には会いたくなかったんだ』って解釈して、そのまま疎遠、そしてもう二度と会えなくなる…って事になるかもよ〜?それでもいいの〜?」


那奈は迫真の形相で、そう脅す



「に、二度と会えなくなるのは嫌……かも」



「カモでもなくて、“絶対嫌!”、なんでしょ」



羞恥が邪魔して素直に認められない私に、那奈が言い切る


私は、顔から全身を火照らせながらゆっくりと小さく頷いて、肯定した


「なら、素直に『私も会いたいです』って返さんと」


「っ、そんなストレートに言うのは恥ずかしいけど、そういう感じで返してみる」


私は深呼吸を繰り返してから、スマホの画面に真正面から対峙すると、那奈のアドバイスを受けながら森川さんに返信した

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