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✧≡≡ FILE_047: 被爆者 ≡≡✧
ペンシルベニア州。
キルシュ・ワイミーは、胸元のバッジを指で押さえながら歩いていた。
目的は治療でも視察でもない。
放射能を“消す”ための研究だ。
「……夢物語だと思われていますよ、博士」
隣を歩く男──“バースデイ”が、淡々と言った。
白衣のポケットに手を入れ、足取りは軽い。
「“低エネルギー核変換触媒”。放射性物質を閉じ込め、中性子を吸収し、核種を安定元素へ誘導する……理屈は綺麗だ。でも現実は、そんなに都合よくいかない」
ワイミーは歩みを止めずに答えた。
「理屈が綺麗でなければ、現実に持ち込む意味もありません。強い放射線を出す前に、別の安定経路へ逃がす。結果として“放射能を持たない別の原子”に変わる。──それができなければ、原子力は永遠に呪いのままです」
バースデイは、わずかに口角を上げた。
「ずいぶん、都合のいい世界だな」
指先で顎をなぞりながら、乾いた声を落とした。
「放射能を“消す”? 原子を作り替える? それができるなら、人類はとっくに神を超越している」
「……」
「そんな有り得ないものを追いかけるより──」
彼は歩調を落とし、ワイミーの横顔を盗み見る。
「いっそ、原発そのものを要らなくしてしまった方が、よほど現実的だと思わないか?」
「原発を……無くす?」
「ああ。発電の前提を変えるんだ」
バースデイは白衣のポケットから手を抜き、空中に指で線を引く。
「送電ロスゼロ。発熱なし。冷却不要。事故も起きない」
「……超伝導、ですか」
「早いな。察しがいい」
彼は軽く笑った。
「常温で使える『超伝導金属』があれば、発電所は分散できる。巨大な原子炉も、危険な燃料も、要らなくなる」
「理論上は……」
「理論だけでいい。少なくとも、君が掲げる“原子変換”よりは、よっぽど現実的だ」
ワイミーは、足を止めた。
原子力を“浄化”するという発想。
原子力を“前提ごと捨てる”という発想。
どちらが、より多くの命を救うのか。
「……だが、常温超伝導など」
「夢物語だ、と?」
「……」
ワイミーは、答えなかった。
代わりに、ゆっくりと視線を上げる。
「放射性物質を思い通りに変えることはできない。人は、“生まれ持った死から逃げられないように”、自然の摂理にも抗えない」
バースデイは、ほんの一瞬だけ、目を細めた。
「……危ないな、キルシュ」
「何がです?」
「お前は本当に……天才が故にその思考は危険だ──」
「……?」
「その手の理想は、世界を救うか──世界を変えるか……もしくは、この世界を殺すか」
沈黙が落ちる。
やがて、バースデイは肩をすくめた。
「まあいい。どうせ、止めてもやるんだろう?」
「ええ」
「ふっ、若いな……」
「もう私は若くないですよ……」
「私から見たら十分若いという意味だ」
「……」
そのとき、廊下の奥にある隔離観察室の前で、バースデイの足が止まった。
ガラス越しに見える、小さな影。
ワイミーも、視線を向ける。
部屋の中央に置かれた椅子。その上で、少年が蹲っていた。
年齢は……8歳前後。
膝を抱え、背中を丸め、視線は床でも壁でもなく、どこにも向いていない。
床には、子ども向けの積み木。棚には絵本。
ぬいぐるみも、パズルもある。
だが、どれひとつ触られた形跡がなかった。
「……彼は?」
バースデイの声が、少しだけ低くなる。
「彼はキリス。今は、私が“面倒を見ることになってる”」
ワイミーは、ガラスに近づいた。
少年は、こちらを見ない。
「……眠っている?」
「いや。起きてるよ、ずっと」
その言葉に、ワイミーは息を詰めた。
「話しかけても、反応はほとんどない。食事は最低限。夜は眠れない。医師の見立ては、“深刻な心理的ショック”、だそうだ」
ワイミーは、静かに尋ねた。
「……何が、あったんですか」
バースデイは、視線を外したまま答えた。
「彼は被爆者なんだ。事故の直接被曝。──両親は、助からなかった」
ワイミーは、ガラス越しに少年を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……」
すると、ワイミーは口を開いた。
「……少し、彼と話をしてもいいでしょうか」
バースデイが、ゆっくりとワイミーを見る。
「医師は勧めない。それに……」
言葉を切り、視線を隔離室の注意表示に向けた。
放射線管理区域/接触制限
「……噂もある。“被爆者は危険だ”とか、“近くにいると影響がある”とか」
ワイミーは、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。
そして、首を振る。
「迷信です」
即答だった。
「放射線は病気ではない。移るものでもない」
「それは、もちろん……私も分かっているんだが……」
ワイミーは、隔離室の表示をもう一度見た。
外部接触制限/観察対象
彼は、視線を戻さずに言った。
「なぜ、ここまで厳重に隔離しているのですか。医療的にも必要以上に見える」
バースデイは、少し間を置いてから答えた。
「……世間に知られると、厄介だからだ」
その言葉は、ためらいなく落とされた。
「被爆した子どもが生き残った。しかも、事故直後の直接被曝。マスコミも、反原発団体も、政府も、全員が騒ぐ」
ワイミーは、何も言わない。
「“奇跡の生存例”だとか、“両親を亡くした子供の末路”だとか、勝手な物語を、好きなだけ作られるだろうね」
バースデイは、肩をすくめた。
「だから、表向きは“長期医療観察が必要な孤児”。名前も、経歴も、事故との関連も伏せてある」
「……それは」
ワイミーが口を開きかけると、バースデイは先に続けた。
「勝手に連れてきたのは、私だ」
きっぱりと言い切る。
「正式な手続きなどしていない。そんなものを踏めば、彼は一週間も経たずに“政治案件”になる。だから、独断で運び込んだ」
隔離室の中で、キリスは相変わらず動かない。
その小さな背中が、会話のすべてを聞いていないことを祈るように。
ワイミーは、低く問い返した。
「……保護のため、ですか」
バースデイは、一瞬だけ黙った。
「“半分は”、そう」
そして、視線を落とす。
「もう半分は──知りたかった」
ワイミーが、わずかに目を細める。
「放射能が、体内でどう変化するのか。被曝直後、生き残った人間の内部で、何が起きているのか」
「モルモットですか?」
その言葉は、冷静で、残酷だった。
「治療のためでもある。研究のためでもある。否定はしないさ」
沈黙。
バースデイは、淡々と続けた。
「ここは“国立放射線医学研究センター”。綺麗事だけで動く場所じゃない」
ワイミーは、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
怒りはなかった。
拒絶もなかった。
ただ、一言 。
「あなたの判断が、正しいかどうかは分かりません。ですが──」
彼は、隔離室のキリスを見つめる。
「彼を“研究対象”にしてしまった瞬間、あなたは、事故と向き合う必要がある」
バースデイは、すぐには答えなかった。
「……分かっているよ」
その声には、言い訳も反論もなかった。
ただ、飲み込んだままの何かが滲んでいた。
ワイミーは、続けた。
「少しだけ、彼と話をさせてくれませんか?」
バースデイが顔を上げる。
「……何を話すつもりだ?」
「研究の話です」
即答だった。
「難しい言葉は使いません。ただ……“今世界がどうしてこんな形をしているのか”を」
バースデイは眉間に皺を寄せる。
「それが、今の彼に必要だとは思えない」
「必要かどうかは、私にも分かりません」
ワイミーは穏やかに言った。
「ですが、“害になる”とも思えない」
沈黙が落ちる。
隔離室の中で、キリスは相変わらず椅子に蹲り、動かない。だが、耳は閉じていなかった。
バースデイは、ガラス越しに少年を一瞥し、ゆっくりと言った。
「……五分だけなら」
ワイミーは、頷いた。
「無理に話させないでくれ。触れない。近づきすぎない。……それが条件だ」
「分かってますよ」
バースデイは、カードキーを取り出す。
機械音が短く鳴り、隔離室のロックが解除された。
「……正直に言うが」
扉に手をかけたまま、バースデイが言った。
「キルシュ──あなたが彼に何か“希望”を与えるとは、思っていない」
ワイミーは、扉の向こうを見つめたまま答えた。
「それで構いません。希望は与えるものではなく──掴むものですから」
扉が、静かに開く。
白い部屋の中で、小さな背中が、変わらずそこにあった。
ワイミーは、一歩、足を踏み入れる。
その瞬間、バースデイは肩をすくめた。
「……まあいい。絶望を知るか、立ち上がるか──どちらにせよ、結果は見ものだ」