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「あ、あの。独り占め……というか。気持ちを伝えたくて。私……引っ越しちゃうんです」
ぽつり、とこぼされた言葉に俺は息を呑んだ。
この学校が好きで、離れたくない。そう言った彼女の心に一番に浮かんだのが、俺の名前――いや、もう一人のいつきだったなんて。
「……そっか。何も知らないで笑って、ごめん」
一途な強さに、胸が締め付けられる。思わず伸ばしかけた手を、空中で止めた。触れたい。でも、それは彼女にとって迷惑でしかない。俺はひりつくような自制心で、その手をポケットに突っ込んだ。
「……俺もあるよ、ラブレター書いたこと。何度も書き直して、封筒だけが溜まっちゃうんだよね」
「あ、わかります! 夜中に書いて、朝読み返して『何これ』って破いて。学校帰りにまた便箋買いに行って……机の上が封筒だらけ!」
ふふふ、と彼女が楽しそうに笑う。その無邪気な横顔に、吸い寄せられるように触れてしまった。
――やばい。一線を超えた。こないだまで子供だった彼女に許可もなく触れるなんて、冷静に考えれば通報レベルだ。
「あ、ごめん」
「い、いえ……こちらこそ、先輩に向かって友達みたいに」
「いや、いいよ。楽しかったから。……なんか久々にドキドキした。あ、いや、告白されるかもって。うさちゃんに恋したわけじゃないよ?」
必死の言い訳。俺の顔、今どれだけ赤いんだろう。
「……うさちゃん、ですか?」
彼女が口元を隠して、クスクスと笑った。しまった。心の声が漏れてた。
「じゃあ、次会った時に呼び合うの。きつね先輩と、うさちゃんですね」
「いやぁ、さすがにそれは恥ずいって」
「あ! きつね先輩! おはようございます!」
「あぁ……うさちゃんか。おはよう」
未来の予行演習みたいに笑い合う二人。
……なんで。なんで君の好きな人は、俺じゃないんだろう。
「……上手く書けたんでしょ、それ。俺が渡そうか?」
迷っている彼女の手から、白い封筒をそっと奪う。
「後悔したくないんでしょ?」
「……はい。よろしくお願いします……いつき先輩」
「『いっちゃん先輩』でいいよ。その方がわかりやすいだろ?」
「……はい。いっちゃん先輩」
名前を呼ばれた時の彼女の柔らかい表情に、俺は一度だけ、大きく深呼吸をした。
これが俺の、精一杯の「カッコいい先輩」の姿だ。
それにしても、どうしてくれよう。このラブレター。
教室にはまだ十人以上残っていたはずだ。戻れば「どうだった?」の嵐になるのは目に見えている。かと言って、いつまでも俺が持っているわけにもいかない。
……結局、俺だったろ?
あいつはあの薄ら笑いを浮かべて、俺を指さして笑うんだろうな。
「……てか、誰もいねぇし」
呆然と教室を見渡す。俺が出ていってから、まだ三十分も経っていない。どういうことだ。せめて「心の友」を自称するともやくらい残っていろよ。
いや、逆にラッキーか。これなら誰にも茶化されずに済む。
「……どうすっかなー、これ」
誰もいない教室。自分の席に座り、机の上に足を放り出して椅子をガタガタと揺らす。思考がまとまらない。
「……いっちゃんってさ、相変わらずちょろいよね」
「うわっ!? びっくりした!!」
背後から降ってきた声に心臓が跳ねた。と同時に、指に挟んでいた封筒がひょいと奪われる。
「ふふっ。なにこれ、ラブレター? 呼び出しくらってたから、てっきり告白されたのかと思ってた」
いつの間にか後ろに立っていたいつきが、手紙をひらひらとさせて笑っている。
「……確かに」
あいつに言われて、ようやく気づいた。あんなミルキーピンクな声で、三年生の教室まで一人で乗り込んでくる勇気があるなら、その場で告白くらいできたはずじゃないか。
「……見ていい?」
「いいよ。俺宛じゃねえし」
「え、じゃあなんなの、この手紙」
いつきの唇が、より一層深く弧を描く。察しのいいあいつのことだ、もう全部わかっているんだろう。
「『きつね』じゃなくて『たぬき』でしたー、って話。いつも通りだよ。結局、天宮いつきの勝ちってこと」
あー、腹が立つ。
自分で敗北宣言をする虚しさが、じわじわと込み上げてくる。カッコ悪すぎて、明日から登校拒否したいくらいだ。
「……たぬきって可愛いよね? 俺、あんな可愛い?」
「いや、手紙読んでやれよ」
質問の意図がわからない。いつきはスッと手紙をブレザーのポケットにしまい、なぜか俺をじっと見つめている。
「……読むよ。大切にしたいから、帰ってから一人で」
「……じゃあ、いいよ」
何が「いいよ」なんだ。自分の感情が迷子すぎて、もう言葉が出てこない。
「っていうか、俺が『ちょろい』って何だよ。俺、好きになった人としか付き合わないし」
「……気づいてないんだ。いっちゃんって、『好き』って言われたらすぐ好きになるじゃん」
確信を突いた言葉に、喉が詰まる。
「はぁ? そんな覚えねぇよ」
「で、尽くして尽くして、最後は絶対に捨てられる。『重い』ってさ」
「……いや、そうだけど。お前、俺のことよく見てんな」
言われてみれば、その通りだ。
相手の好意が嬉しくて舞い上がって、「俺ももっと大事にしなきゃ」と空回りする。それが結果的に、相手を窒息させてしまうんだ。
窓から差し込む西日が、いつきのニヤけた顔を無駄に綺麗に照らしていた。
「……ふふっ。さっきも教室出る時、もう付き合ってるみたいな顔してた。落ち込んで戻ってきたから、あ、フラれたんだって期待したんだけど」
いつきの言葉に、俺は顔を跳ね上げる。
「いや、流石に三十分で完結は早くねぇか!?」
「……だって、中庭でめっちゃイチャイチャしてたじゃん。いっちゃんに彼女できたって皆悔しがってたよ。ともやなんて発狂してチャリ爆漕ぎしてどっか行ったし、他の連中は今頃ファミレスでドリンクバー飲み狂ってる」
覗いてんじゃねぇよ、と毒づく。
だから誰もいなかったのか。あいつらが黙って帰るわけがない。そして、三十分で完結したのは事実だ。勝手に惚れて、勝手に失恋した。
「……いっちゃんはさ、一番嫌いな人と付き合った方がいいんじゃない? そしたらさ、好きのバランスが取れると思うよ」
「……なんだそれ、意味わかんねぇ」
「いっちゃん、人のいいとこ見つけるの得意じゃん。誰? 一番嫌いな人」
また、そのヘラヘラ顔だ。なんなんだお前は。そんな人の良さそうな顔をして、聞いてることは性格が悪いにもほどがある。
「……お前」
「え?」
「お前だよ。天宮いつき」
同じ名前だからというだけで、周りにいつも比べられてきた。お前が存在すること自体、俺にとっては迷惑でしかないんだ。
「……それって、俺と付き合いたいってこと?」
「はぁ!? なんでそうなんの!?」
びっくりして喉がひっくり返った。喉仏絶対どっかへ飛んでいったわ!!
「でもさ、俺忙しいからなぁ。平日は金曜以外バイト入ってるし、土日もたまにバイト入る。なくても大体りゅうせいかしゅうとが遊びに来るから。友情は疎かにしたくないし、恋人ができたからってルーティンは変えたくないっていうか……」
「いや、待て待て待て待て!!」
なんで急に話し方が流暢になってるんだ。お前のチャームポイントだったはずの、あの舌足らずでのんびりした喋りはどこへ消えた!?
「じゃあ、金曜日で決まり。放課後だけで我慢できる? いっちゃん」
驚きすぎて、もはや声が出ない。どんだけ亭主関白なんだ。俺はさっきから「びっくり」のキャパシティを完全に超えている。
「あ、言い忘れた。好きだよ、いっちゃん、ずっと好きだった」
「はああああ~!?!?!?!?!!」
今回ばかりは絶対に無理だ。いくら「ちょろい」と自覚している俺だって、百八十センチもある男を、しかも一番嫌いなやつを好きになるなんて、天変地異が起きてもありえない。
「……毎週金曜、放課後デートね。約束破ったら、これ、『たぬきの方だった』ってバラすから」
いつきがポケットの手紙をトントンと叩く。
「くっ……それは……ヤダ」
なんなんだ、この期に及んで捨てられない俺のプライド。
神様、どうか。どうか、俺がこいつのことなんて好きになりませんように。
西日の差し込む教室で、俺の切実な祈りは、たぬきのニヤニヤ笑いにかき消された。
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