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カーテンの隙間から朝日が差し込んで床を照らしている。室内も明るくなり、夜が明けたことを実感させた。
結局俺は、あの後一睡もできなかった。いくらか寝ておかないと仕事に差し支えると分かっているので、無理やりにでも寝ようとはした。ベッドに横になり瞳を閉じるが、意識すればするほど寝むれなくなってしまい、このザマだ。
「……全部あの人のせいだ」
一晩中あの赤毛の神のことを考えていた。いや、考えさせられたといえる。気さくで誰に対しても友好的。およそ神であるなど信じられないほどに人間臭い。そして……優しい方だと思う。
俺に妙な感情を向けることさえ無ければ、これから先も上手くやっていけたはずなんだ。レオン様の先生として敬意を払いつつ、同居人として……そして仕事仲間としても。たった1日で様変わりしてしまった俺とルーイ先生の関係に、何と名を付ければよいのだろう。
先生は男色家というわけでもなさそうである。しかし、大した抵抗もなく俺と関係を持とうとしている様子からして、男女どちらもいける方なのかもしれない。俺は職業柄それなりに鍛えているから、体付きもしっかりしている。どこからどう見ても男だ。特別綺麗でもなければ、面白みのある人間だとも思わない。何がそんなに先生のお気に召したのか、さっぱり分からない。
先生のことはもちろん嫌いではないが、俺の恋愛対象は女性だ。彼の望むまま組み敷かれてやる気は毛頭無い。相手が神だとて譲れないものがある。俺の中ではっきりと答えが出ている。でも、現実はどうだ。昨夜だって……かろうじて部屋に泊まられるのは阻止したけれど。ついと、己の唇を指でなぞる……思い出すのはよそう。
ナイトテーブルに置いてある懐中時計に手を伸ばす。時計の針は5時半を過ぎた場所を指していた。起きるにはまだ早い時間だったけれど、このままベッドにいても眠れそうにないし、変なタイミングで眠気に襲われ寝坊をしてしまうのが怖い。
シーツにくるまっていた体を起こしてベッドから降りる。少し歩いて気分を変えよう。その後に熱いお茶でも飲めば、ぼんやりした頭もしゃきっとするだろう。手早く着替えを済ませると、部屋の扉を開けた。廊下から冷たい空気が流れ込んでくる。室内に比べて気温が低い。気怠い体に喝を入れるには丁度良いな。
「中庭にでも行ってみるか……」
日が登ってきたので、花壇の花達も蕾を開いているかもしれない。当てもなく王宮内をうろつくよりは中庭散策でもした方が有意義だ。よし、目的地は決まった。自室から出ると、俺は中庭を目指して歩を進めた。
廊下を歩いていると、何人かの使用人とすれ違った。彼らはもう仕事を始める時間帯なのか……。『おはようございます』と元気に挨拶をしてくれる。そんな彼らに対して俺も返事を返すのだけれど、目はしょぼくれているし、声も掠れているわで体調が悪いのかと心配をさせてしまった。
使用人達に気使われるのが心苦しくて、中庭まで小走りで向かうことになってしまう。そんなこんなで慌ただしく中庭に到着すると、予想だにしていなかった人物に声をかけられたのだった。
「セドリックじゃないか。ずいぶん早いな」
「レオン様……」
まさかの主の登場。一気に背筋が伸びた。レオン様の手には花の束が握られている。白とピンクのバラの花……温室から持って来られたのだろうな。
「おはようございます。いえ、少々寝覚めが悪くて……気晴らしに散歩でもしようと思いまして」
「ふーん……」
どこか含みのようなものを感じるレオン様の反応。そんなにおかしな事を言ったのだろうか。
「レオン様こそ、こんな早い時分に花を摘みにいらっしゃったのですか?」
「ああ、俺も目が覚めちゃってね。クレハと母上の部屋に飾って貰おうと思ってな」
「そうでしたか。おふたり共お喜びになられますね」
温室のバラは女神に捧げるための特別な物。ディセンシアの人間とクレハ様のみが手にするのを許可されている。手入れをしている庭師は例外だけど。
庭師か……ジェフェリーさんの件を報告しなければならなかったな。この後、先生と共にレオン様の元へ行くことを伝えておこう。
「レオン様。急で申し訳ないのですが、お耳に入れておきたい儀がございます。朝食前……8時頃にルーイ先生と一緒にお部屋に伺ってもよろしいでしょうか?」
「うん? 構わないが、どうしたんだ改まって。それに、先生も一緒だなんて……」
「昨晩、先生が私の元にいらっしゃったのです。その際に教えて頂きました。島で起きた事件と関わりがあるやもしれない話です。詳細はのちほど……」
レオン様は紫色の瞳を僅かに見開いた。そして、左手で口元を覆う。指の隙間から漏れ出る声……笑っていらっしゃるのか?
「どうしました、レオン様?」
「いや、すまん。先生と一緒に話があるなんて言うものだから、とうとう交際宣言でもされるのかと思って身構えた」
「そんなわけないじゃないですか……」
またか……またなのか。もう俺が何度違うと否定しても信じて貰えないのではないだろうか。俺の感情は置き去りに外堀だけ埋められていくようだった。
「冗談だよ。しかし、実際のところお前と先生はどうなっているんだ? 先生はお前に好意を向けているようだけれど……」
「好意……でも、あの方は神なんですよ」
「神が人を好きになってはいけないのか?」
「いけなくは……ないと思いますけどっ……! その対象が自分だなどと……信じられるはずがない!!」
つい声を荒げてしまう。首を傾げ困ったような顔をしているレオン様。寝不足がたたってイライラしていたとはいえ、それを主にぶつけるなど言語道断だ。
「……申し訳ありません」
「うん、お前の言い分も分かるけどね。あの方は良くも悪くも直情的でいらっしゃる。押せ押せな態度に振り回され辟易しているが……かといって突き放す事もできず、八方塞がりになっているといったところかな?」
この10歳怖い。子供らしくないのは常のことであるが、こうも簡単に胸の内を暴かれるなんて……
「相手が相手なので、俺も滅多な事は言えんが……生活に支障が出るほど追い詰められているのなら見過ごせない。自重してもらえるよう俺から先生に頼もうか?」
「いえ、そこまでは……はっきりさせない私が悪いのです。自分で対処できますので、お気持ちだけ頂いておきます」
レオン様の手を煩わせるわけにはいかない。それに、これ以上情けない姿を晒したくはなかった。
「そう急(せ)いて答えを出す必要もないだろう。ゆっくり考えてみるといい。大事なのはお前の気持ちだからな」
ゆっくり考えている間に食われそうだと思ったが、声には出さない。余計なことだ。
「おっと、早く生けないとバラがしおれてしまうな。それじゃ、セドリック……俺は部屋に戻るけど、また後でな」
「はい、ありがとうございます。それではまた……」
「あの方の正体を知っている者は限られている。俺で良ければいつでも相談に乗ってやる。あまり思い詰めるなよ」
彼はそう言い残して中庭を後にした。重苦しかった気分がいくらかマシになっているのに気付く。図らずも心情を吐露したのが良かったのだろうか。こんな話をする予定はなかったのだけど……。聡い主のことだ、もしかしたらワザと話を振ったのかもしれない。本当に子供らしくない……
「自分で対処できると宣言したのだから、しっかりしないとな」
頬を両手で軽く叩く。パンと小気味良い音が中庭に響いた。