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『倍相課長、ちょっとよろしいですか?』
内線電話が鳴って、部長室に引っ込んだ屋久蓑大葉から呼び出しが掛かったのは、倍相岳斗がちょうど昔のことに思いを馳せていた時のことだった。
「はい。大丈夫です」
『でしたら仕事の切りがいいところで部長室まで来てもらえますか?』
言われて、岳斗は「かしこまりました」と答えながら、受話器を握りしめる手にグッと力を込めた。
***
「荒木羽理とのことは、しばらく社内では伏せることになった」
部長室へ入るなりすぐ、大葉からそう告げられた岳斗は、「えっ?」と間の抜けた声を発した。
「ですがそれだと――」
「まぁ聞け」
大葉に応接セットへの着座を勧められた岳斗は、言いたい言葉を飲み込んで言われた通りにする。
「キミも知っての通り俺は不愛想で通っている。だが……女性の中にはそれでもいいから俺と近付きたいなんて言う奇特な人間もわずかながらいるんだ」
吐息交じりに落とされた大葉からの言葉を聞いて、岳斗は(この人は自分を過小評価し過ぎだな)と思った。
「大葉さんは……貴方が思っている以上に人気があると思いますよ?」
現に、人事課長になっている大葉の同期、那須みのりなんかは今でも目の前の男にご執心のはずだ。
もっとも、それが高じ過ぎて大葉へのアプローチを無下にされた彼女が逆恨みして、【屋久蓑大葉は男にしか興味がない性癖の持ち主だから、どんな女性が告白してもなびかない】などと言うガセネタを流したのを岳斗は知っている。
(ま、それに尾ひれを付けて広めたのは僕なんだけど)
ちょっと前までの岳斗は、大葉を陥れることに余念がなかったから。
岳斗自身屋久蓑大葉という人間を知れば知るほど、彼に惹かれる人間がいるのは当然だと納得させられたし、それが妙に鼻持ちならなかったのも、ただの嫉妬だったと今なら素直に認められる。
実際、屋久蓑大葉という男は仕事には厳しいし、物言いは素っ気ない。だが、だからと言って決して理不尽なことは言わないし、注意するときにもちゃんとどうすればうまくいくかまで含めて指導してくれる。
叱り方も皆の前で恥をかかせるようなやり方はしないし、部下のミスを知らんぷりすることなんて皆無だ。
もっと言えば、失敗すれば必ず尻ぬぐいしてくれるし、責任だって上司なのだからとちゃんと取ってくれる。
悔しいけれど岳斗は入社以来ずっと、大葉の仕事のやり方を真似て部下たちから慕われてきたのだ。
大葉と違うところがあるとすれば、あえて人当たりを良くしていることくらいか。
それにしたって、大葉からそういう親しみやすさを奪ったのは自分がしてきたことが原因だと岳斗は知っている。
岳斗が入社したばかりの頃。
岳斗の直属の上司だった係長時代の屋久蓑大葉は、ちょっぴり可愛いところのある感じのいい男だった。
(荒木さんと話してるときの大葉さんを見てると、昔の彼を思い出すんですよね)
そうしてこのところの大葉は、羽理と一緒にいる影響か、雰囲気が昔のように柔らかくなってきている。
周りもそれに徐々に気付き始めているようで、大葉の人気はこのところ密かに上がり始めているのだ。
それが落ち着かなくて、岳斗は荒木羽理へのアプローチを焦ってしまったと言えなくもない。