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#ワンナイトラブ
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「な…なんで知ってるんですか」
「いびき聞こえないんで」
抑揚のない声は予想だにしない事を告げるので「は」と短い声が素直に口から漏れた。
遅れてその事実が脳内でぐるぐると廻る。
「え!?わ、私、いびきかいてるんですか!?」
まさか、いつから……それよりも、壁を隔てて聞こえるほどだったとしたら、女としてノー。それはノー!!
くそう、お父さんか。お父さんのいびきが酷いからか。遺伝するなんて、初耳だ。
いびきの止め方……?え、息止めて寝たら良いのかな、帰って調べよう。
「っく、っはは、」
突然、騒がしい脳内を鎮める笑い声が聞こえたので驚いて見下ろせば、どうしてか屈託なく笑う常葉くんが居た。
え、嘘。笑うと涙袋が浮かぶんだ、そうなんだ。えー、可愛い。
一瞬で、胸がきゅっと締め付けられて、頭を占めていた悩みよりもその笑顔に釘付けだ。
「すみません、嘘です」
「ほ、ほら、嘘つく!」
「嘘は嘘って言いますよ」
一呼吸した彼はやっと落ち着いたので、「だったら、どう して」と、本題に戻った。
「生活音は聞こえてたんで。起きてるんだろうなとは思ってました」
「……常葉くんだって、最近リビングの電気消えるの、2時くらいですよ」
「俺は別件抱えてるんで。補佐の穂波さんが、そこまでする必要無くないですか?」
その瞳は、見透かすように私を見上げる。
「眞鍋さんにも分かりやすいようにってって、書類を作り直してました」
常葉くんに隠すことでもないので素直に告げれば、彼は何やら納得した様子で腕を組んだ。
「どうりで最近の美子、使えるわけだ」
流れるような会話の中で、やたらとその二文字が耳に残れば、胸がざわめいた。
「頑張りたいけど、頑張り方が分からないだけだと思うので。……誰かが汲み取ってあげないと」
だけど、そんなの絶対に気付かれたくなくて、再び画面上に現れた色のない長方形を見詰めて口を動かした。緩やかに、でも確実に色付く四角い箱。
「穂波さんと美子、そんな接点ないでしょ。なんでそこまでするんですか?」
「それは……なんとなく」
「考えたくないから?」
何かを見抜いた言葉に「……え」と間の抜けた声とともに視線を横にずらした。
「あの人のこと考えたくないから、美子につきっきり」
甘い目元はすぐに私の心を丸裸にしてしまう。
視線がうろうろと泳ぐと、すぐに言えていた反論が消えてしまった。
「そう……かも、です」
移ろいで行く視線と共に言葉を吐き出すと、常葉くんの口から小さなため息が漏れた。
「何言われたんですか」
「……諦めてない、とか」
「……他は?」
「荷物、取りに来いとか」
「ふーん、行くんですか?」
「行きませんよ」
「へぇ、何で?」
「それは、」
常葉くんのせいです、そう言いかけて、強引に止めた。
……違う、常葉くんのせいじゃない。これは自分の問題で、私自身が旺くんを受けつけなくなっている。
以前の私だったら、元彼から迫られたらすぐについていってた。幾ら同じ目に遭っても、我慢すればいいかって自分を押し殺していた。
「なに?」と、その瞳が私を捕えるので、咄嗟に視線を逸らした。
画面に浮かぶ四角は、いつの間にか半分以上色付いている。
「な、なんでもないです」
「え、気持ち悪。何ですか」
「だ、大体、常葉くんだって、」
───眞鍋さんと、どういう関係なの。
だめだ、彼女でもないのに聞ける話題じゃない。
思えば私は相談ばかりしているけれど、常葉くんの口から恋愛の話なんか一度も聞いたことは無い。
どんな人が好きなのか、どんな付き合いしていたのか。
好きな子は泣かせるくらい虐める方?
それともドロドロに甘やかす?
あんな溶けちゃうようなキス、何人知ってるの?
彼女はそれを、知ってるの?
聞きたい、知りたい。でも、聞いたら、気付かれる。
「何が言いたいんですか?」
呆れたような声が、情けない心に響く。
違う。
私は、常葉くんに、
……何を言われたいんだ。
「……なんでもないです」
強がって言うと、「ふーん」彼は興味無さそうに呟いてパソコンへと向かった。
5月の風でカーテンが気持ちよさそうに揺れると、纏めている髪がふわりと漂う。
引き止めて欲しかった?
それとも、また罵って欲しかった?
……常葉くんにとっては、こんなの、どうでもいい事なのに。
ちゃんとデータが複製されたのを確認すると、彼は私にそれを差し出さすので手を伸ばした。
瞬間、重ねた手が奪われ重心が傾き、ぐっと引き寄せられる。
鼻先いっぱいに広がる、甘くて泣きたくなる香り。
同時に反対の手でうなじを支えられると、覆うように下から唇が重なった。
たった数回なのに、覚えてしまった温もり。
あの夜、何度熱を重ねたのだろう。キスを思い出す度に体が疼くのに、それは記憶を連れては来てくれない。
はぁ、と、角度を変える度に狭い部屋に吐息が響く。
「〜っ、にするの」
「して欲しそうだったので、つい」
「ど、どんな顔ですかっ」
自分の顔を摘んでみると、ははっと眉根を下げて常葉くんは笑ってみせる。
これはからかわれてる、完全に遊ばれてる。
なのに、常葉くんのこんな笑顔を見れるのも中々に無いことなので、変に心臓が高鳴るのが、とてつもなく、
………………嬉しい、それがたまらなく、悔しい。
未だに繋いでいた手が解けるように離れると、常葉くんは机で頬杖をついては満足気に口角を上げた。
見透かすみたいに私をみつめるタレ目がちな甘い目元。
……ま、まずい、気付かれる。
「ありがとうごさいました。じゃあ、また後で……」
一度俯くと、即席で顔の緊張を戻して背を向けた。
だけどすぐに、ふわり、風に乗ってあの香りが再び私を包み込む。
踏み出そうとした足は、背中から伝わる体温と、大きな身体に閉じ込められ、一瞬でその動きを止める。
静止した身体とは裏腹に、熱を取り戻した心臓は忙しなく走り回る。
「な、なに……っ」
胸の前で結ばれた腕を掴み、背中を丸めてささやかな抵抗をしてみせるけれど、彼は拘束を緩めたりはしない。
「あの人の所、行っちゃだめですよ」
「……え、」
「あんた、意外と隙だらけなんで」
「……っ」
耳元で擽るような声を出されてしまい、恨めしそうにその顔を覗いた。
必死な私とはまるで反対に、余裕な表情の常葉くんはふ、とその顔に極上の笑みを乗せる。
あまりに綺麗なその笑顔のせいで、私の心はキャパオーバーで機能しなくなりそうだ。
私がそうなるの、分かっててやってる。彼の意図は何となく分かるのに。
「約束ですよ」
あぁ、ずるい。
お望み通り、私は、もう
「……わ、かり、ました」
人形みたいに、頷くしか出来ないじゃない。