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「……なぁ。なんで俺が、ここにいなきゃいけないわけ?」
煌は、豪華絢爛という言葉すら生温い巨大な寝台の端に腰を下ろし、深々とため息をついた。
ここは朱雀の寝所。絹の天蓋には金糸の刺繍が施され、窓の外では星々が都の明かりと混じって揺れている。
だが煌の心境は、きらびやかさとは真逆だ。
「言ったであろう。わしの熱とお前の魂を馴染ませる必要があると。これは巫女としての大切な儀式だ」
背後から、微笑を含んだ低音が落ちる。
振り向く間もなく、逞しい腕が腰を抱き寄せ、軽々と煌を宙に引き寄せた。
「うわっ、ちょっ……! 近いんだって! 離せ、このクソジジイ!」
「ジジイとは酷いな。わしはこれでも、千年の中でもっとも美しい姿を保っておるのだが?」
からかうような声とともに、朱雀の胸板が背に押し当てられる。
その熱は焔そのもの。息をするたび、焦げるような甘い匂いが鼻を刺した。
けれど息苦しさよりも、胸の奥にじんわりと広がる重たい安心が厄介だ。
硬い鼓動が背骨を伝って届き、知らず知らずのうちに心臓のリズムまで奪われていく。
あの日、路地裏で穢れを拳で焼き払ってからというもの、“調律”と称される抱擁儀式はすっかり日課になっていた。
魂の波長を整える――そんなもっともらしい口実を掲げて、実際はただの添い寝に過ぎない。
「何が悲しくて、野郎の胸元で寝なきゃならねぇんだよ……」
小さく毒づくと、背後から温かい息が首筋を舐めた。
「……熱いんだよ、お前」
「そうか? お主は冷えておる。……ちょうどいい」
「だから! 俺はアイスノンじゃねえっての!」
「アイスノン……また妙な呪文を。だが、心地よいのは確かだ」
くすくすと笑う音が喉を震わせ、その波が肌に触れた。
逃げようと腰をずらすたび、朱雀の片腕が絡み、抜ける隙を与えてくれない。
絹越しに伝わる体温が、溶けた金属みたいに重く染み込んでくる。
「ちょ、だから近いって! 聞けっての!」
暴れてもびくともしない神の腕。結局、煌は天井を見上げ、顔を真っ赤にして息を吐いた。
(……ああもう、どいつもこいつも、俺を何だと思ってんだ)
朱雀の鼓動が背中越しに早まる。
その熱の奥に、僅かに震える何かを感じた。
「……ったく、毎日毎日。俺が大人しくしてると思ってんなよ」
内心で悪態をつきながらも、腕を囲む力がほんの一瞬だけ頼りなく揺らいだことに、煌は気づいた。
――その腕を、払いのけることは出来なかった。
***
三日後の深夜。
煌は身の程知らずな自信をロープに託し、宮殿裏の高い塀をよじ登っていた。
「……ったく。野郎の抱き枕になるために異世界来たわけじゃねぇっての」
ぼやきながらも動きは慣れている。
拳の熱はもう冷え、夜風が頬を撫でた。
鳳来堂――あの日本語の文字を残した“何か”。
偶然じゃない。もしこの世界のどこかに、自分と同じ世界の人間がいるのなら、確かめずにはいられない。
仲間の動きを見張るあの頃の癖が自然と出た。心臓が懐かしいアドレナリンでざわつく。
塀を蹴り上げようとした、その瞬間。
「……童殿。こんな時間にどちらへお散歩ですか?」
背後から重たい声が落ちた。
真夜中でも月よりよく光る冷たい笑み。燕花が、穏やかに、しかし背筋が凍るほど静かに立っていた。
軽く地を蹴っただけで、煌が足をかけた壁にピシッと亀裂が走る。
「……っ、燕花っ。寝てたはずじゃねぇのかよ?」
「朱雀様のバイタルが乱れ、私が呼ばれるより先に、静遠様が胃を抑えながら駆け込んできましてね。
『あのガキが逃げた!』と」
燕花の後ろで、幽霊のように静遠が頬を引きつらせ、胃薬の瓶を握っていた。
「童殿はまだ、自分がどれほど必要とされているか、分かっていないようですね?」
にこり――と唇だけで笑う燕花。だが目の奥は一ミリも笑っていない。
「……あ、ヤバい」
煌の背筋に冷や汗が伝う。
逃げ道は、もう無い。
(説教二時間コースか、ガイド論終わらない地獄説教か。どっちも御免だ……)
「……あー、なんだ。その、散歩だよ。夜風に当たりたかっただけだって!」
「散歩、ですか。塀を登り、カーテンを命綱にするのが、貴方様の世界の散歩とは斬新ですね?」
一歩踏み出すたび、燕花の足元の石畳がきしむ。
その可憐な笑顔は、まるで地獄の門番だ。
「チッ、わかったよ! 行きゃいいんだろ行きゃ! で、今夜はアイツどんな状態なんだ?」
「今の朱雀様は――それはもう“最悪”でございます」
敢えて笑顔をそのままに、燕花が指を鳴らした。
冷たい音が夜の回廊に響く。
朱雀の寝所の扉を開けた瞬間、世界が裏返るほどの熱が噴き出した。
寝台の上で朱雀はシーツを握り、獣のような唸りを上げている。
黄金の瞳は光を無くし、炎は暴走寸前だった。
「……朱雀、おい。連行されてきてやったぞ、クソジジイ」
寝台へ近づくと、朱雀の視線が獣のそれに変わり、
煌を見つけた途端、胸の底から絞り出すような声が落ちた。
「……こう……?」
「そうだよ、『アイスノン』様のお出ましだ。ほら、さっさと寝ろっ――」
言い終える前に、煌の視界が反転した。
朱雀が飛びかかるように抱きつき、骨が軋むほどの力で体を抱き締める。
「……静かだ……お前の声だけが、真っ直ぐに届く……」
耳元で掠れた声。
その吐息に触れた瞬間、朱雀の熱が煌の皮膚を貫き、荒れ狂う魔力がすっと鎮まっていく。
“熱”と“静けさ”が釣り合うちょうど境目で、二人の呼吸が重なった。
(……クソ、逃げようとした俺が悪いって言いたいのかよ)
言葉と裏腹に、腕の中の朱雀の震えがあまりに弱々しくて、突き放すことができない。
「……わかったから、動くな。っつーか、力抜けよ。折れるっつの……」
ぶつぶつ言いながらも、煌は自由なほうの手を朱雀の背へ回す。
指先が火照った肌に沈み込み、びくり、と朱雀の体が震えた。
次の瞬間、彼は深く息を吐き、額を煌の鎖骨に押しつける。
静寂の寝室に、朱雀の荒い呼吸と煌の鼓動だけが重なっていく。
いつもならうるさい神の声が、今は子供の寝息のように頼りない。
「……うるっせぇな。これが全部、あんたの頭ん中かよ……」
目が眩むほどのノイズ。風、鐘、木々のざわめき、静遠の溜息。
何千、何万という音が影のように押し寄せる。
(これじゃ、確かに狂っちまうわけだ)
煌は眉をひそめ、朱雀の髪を雑に撫でた。
ヤンキー時代、潰れた仲間の背中を無意識に支えた時と同じ手つきだった。
「……こう。……離れるな」
囁きにもならない声。
強く握られた指先が、震えながら煌の服を掴む。
いつも威張っている神が、今はただの一人の、生きることに必死な“男”にしか見えない。
「……分かったよ。今日は……ここにいてやるから」
そう呟いた途端、朱雀の肩の力が抜けた。
深い呼吸。燃えるような体温が、少しずつ人の温もりへ変わっていく。
嵐の夜が凪ぐように、部屋の熱が静まった。
眠りについた朱雀の腕の中で、煌はわずかに目を細めた。
(鳳来堂。……あの文字、あの煙。アイツを狂わせてる元が、もし俺の世界のもんだとしたら)
拳を握ろうとした右腕は、朱雀の体の下。動かせない。
それでも心の奥では、確かに火がついていた。
(絶対、タダじゃおかねぇ)
夜が静まり、外の風が格子を鳴らした。
朱雀の寝息が肩をくすぐる。
息を合わせるように、煌は小さくため息をつき、まぶたを閉じた。
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