テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
汗を流して廊下に出たところで、ふと洗い物がまだなことを思い出した。
(けい子さんが帰ってくる前に片付けてないと)
台所に入れば、テーブルの上に食器は残っていない。
驚いて流し台の横に目をやれば、洗いかごの中に、お皿がふたつとコップがふたつ伏せてある。
それを見て、私はなんとも言えない気持ちになった。
こんなことじゃほだされないけど、ゲストのお世話は私の仕事だから、お礼は言わないと。
(やだな……)
話しかけたくないのに、どうしてこうなるんだろう。
冷蔵庫から出した麦茶を飲んで、一旦気持ちを落ち着ける。
それから私はレイの部屋のふすまをノックした。
中から返事はない。
その代わりに、しばらくして中からレイが顔を覗かせた。
『……あの……洗い物ありがとう』
見下ろすレイとは目を合わせず、うつむいたまま言う。
そのせいで、私はレイの奥、畳の上に散らばった色紙が目に入った。
『あれは……?』
思わず呟いたのは、座卓の上に七夕飾りがあるのに気付いたからだ。
レイは身を引き、私の視線の先を辿る。
『部屋に戻ると、いつの間にか折り紙とメモが置いてあった』
そう言ってレイは座卓の上にあるメモを掴み、私に見せる。
【レイ。 教室ではお手伝いありがとう。
家でも澪と七夕を楽しんで】
英語で書かれたその手紙を見て、私は内心「あぁ」と呟く。
けい子さんは基本、ゲストに日本らしさを楽しんでもらおうとする。
だからこういったことをしたんだろうけど―――。
私はため息を堪えて、もう一度座卓の上に目をやる。
『あれ、レイがつくったの?』
七夕飾りは、星だとか織姫と彦星だとか、私でも折り方がわからないようなものばかりだ。
『そう。 ケイコの手伝いで覚えた』
(へぇ……)
私にはずいぶんな態度なのに、どうせけい子さんの前では物腰柔らかなレイでいるんだろう。
というか、あまり家にいない伯父さんとも、顔を合わせればとても親しげだし、やっぱりレイが嫌いなのは私だけらしい。
釈然としないまま七夕飾りを見つめていると、彼が続けた。
『さっきミオの部屋に行ったのは、あれをどこに飾ればいいか聞きたかったから』
『あぁ……』
良哉くんと拓海くんがいたころは、なんだかんだで一緒に短冊を作って庭の竹につけていたから、たぶんそこだ。
『庭に竹があるんだけど、雨が降ってるし……』
『雨ならさっき止んだ』
『え?』
私は窓の外を見やる。
気が付かなかったけど、そういえば雨音がしなくなっていた。
『それなら……。それつけにいこうか』
本当はものすごく嫌だけど、この状況ならそう言うしかない。
私は渋々、七夕飾りを手にレイと家の外に出た。
湿った空気がたち込めた庭は、あちこちで雫が滴っていた。
彼が作った七夕飾りは、驚くほど丁寧な仕上がりだった。
濡れるのがもったいなかったけど、私は無言でそれを笹につける。
『ねぇ、短冊は?』
小さく尋ねたのは、飾りばかりで肝心の短冊が見当たらなかったからだ。
レイは飾りを笹に結びながら言う。
『そういうミオは、タンザク書かなかったの』
『え?』
問い返され、頭にひとつの願いが浮かんだ。
【いつか、お父さんに会えますように】
『……書かないよ。
私の願いごとは、けい子さんたちに秘密だから』
堂々と短冊に書けないから、毎年心の中で願うだけだ。
飾りをつけ終えたレイが、私を横目に見る。
なにか言いたげな視線から逃れようと、私は星の見えない空を見上げた。
『……そうだな。
俺もタンザクに書かなかったのは、秘密だから』
(え……)
私は弾かれたように顔をあげた。
その一瞬、レイと視線が重なる。
だけど彼はすぐに私から背を向け、玄関へと歩き出した。
(え、なに……)
レイにもなにか秘密があるの?
そんな疑問が巡るけど、結局それ以上のことはわからない。
尋ねるタイミングを失った私は、遠ざかる彼の背を眺めるだけだった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!