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『紗良』
次の日の朝、教室はいつも通りだった。
笑い声、机を引く音、プリントを配る音。
世界は何も変わっていない。
変わったのは、私だけだった。
ほとんど眠れなかった。
橋の上の出来事が、何度も再生される。
泣いた顔、震える手。
「また消えたら無理だ」という声。
――消えないって言った。
言ったのに。
胸の奥がずっと苦しい。
呼吸が浅い。
手が震える。
視界の端が暗い。
なのに。
「紗良、昨日のプリント見た?」
「この問題襲えて!」
いつも通り、みんなが頼ってくる。
断れない。
断ったら、壊れる。
この均衝が。
「うん、後で説明するね」
笑う。
完璧な優等生の声。
自分の声が、遠い。
黒板の文字が歪む。
先生の声が水の中みたいに聞こえる。
やばい。
でも――
倒れるわけにはいかない。
だって、私は。
頼られる側だから。
昼休み。
気づいたら屋上の前にいた。
鍵は、閉まっている。
当たり前だ。
ココア、もう自分だけの場所じゃない。
手をかける。
開かない。
その瞬間、理由の分からない絶望が胸に広がった。
「……あ」
声が漏れる。
逃げ場がない。
橋も、屋上も、どこにも。
視界が揺れる。
息がうまく吸えない。
廊下の真ん中で、膝が崩れた。
周りがざわつく。
「え、紗良?」
「大丈夫?!」
触られる。
覗き込まれる。
名前を呼ばれる。
やめて。
「……大丈夫」
無理やり立ち上がる。
笑う。
「ちょっと立ちくらみ」
完璧な答え。
みんなが安心する。
「保健室行く?」
「ううん、平気」
嘘。
全部、嘘。
でも、それが正しい。
放課後。担任に呼び止められた。
「最近、頑張りすぎじゃないか?」
優しい声。
一番困るやつ。
「そんなことないです」
即答。
「本当に?」
「はい」
笑顔。
先生は少し困った顔をして、
「無理するなよ」とだけ言った。
無理してるって分かってるのに、それ以上踏み込まない。
それが正しい距離。
それが、大人。
家に帰る途中。
橋の前で足が止まる。
行くな、今日はやめろ。
分かってるのに。
体が勝手に進む。
そして、いた。
昨日と同じ場所に、悠真。
胸が一瞬でいっぱいになる。
嬉しい、安心する、泣きそう。
でも。
近いた瞬間、違和感に気づいた。
目が合わない。
「……来たんだ」
小さな声。
「うん」
沈黙。……
昨日とは違う。
空気が冷たい。
「学校、行った?」
聞く。
「……行ってない」
知ってる。
「そっか」
それ以上言えない。
言ったら、壊れる。
長い沈黙の後、悠真がぽつりと言った。
「……お前さ」
嫌な予感。
「普通だったな」
「え?」
「今日も優等生してたんだろ」
言葉に棘がある。
「……してたよ」
正直に言う。
「そっか」
それだけ。
でも、その「そっか」が重すぎる。
「……何?」
思わず聞く。
悠真は少しだけ笑った。
全然笑ってない顔で。
「別に」
嘘だ。
「言って」
沈黙。
やがて
「――簡単に戻れるんだなって」
心臓が止まる。
「昨日あんなこと言っといて」
呼吸が浅くなる。
「普通に笑って、普通に頼られて」
違う。
違うのに。
「……違う」
「何が」
「戻ってない」
必死に言う。
「ずっと苦しい」
悠真は初めてこっちを見る。
その目は冷たかった。
「じゃあなんで誰にも言わない」
答えられない。
「俺には言うくせに」
胸がえぐられる。
「……言えないから」
「なんで」
「壊れるから」
声が震える。
「全部」
悠真は何も言わない。
その沈黙が怖い。
「……昨日言ったじゃん」
震える声。
「正しくないといけないって」
「だから?」
その一言で、何かが切れた。
「だから無理なの!」
声が橋に響く。
「全部投げて泣けるほど弱くないの!」
涙が溢れる。
「頼られてるの!期待されてるの!崩れたら終わるの!」
息ができない。
「あなたみたいに逃げられないの!」
言った瞬間、空気が凍った。
しまった、と思ったときには遅かった。
悠真の表情が完全に消えている。
「……ああ」
低い声。
「そういうことか」
違う、違うのに。
「俺は逃げた側だもんな」
「違う、そうじゃなくて」
「いいよ」
静かすぎる声。
1番危ないやつ。
「正しいよ、お前」
心臓が痛い。
「俺みたいなやつは、逃げてるだけ」
「違うって言ってるじゃん!」
「違わない」
目が完全に諦めている。
「お前は正しい側」
胸が締め付けられる。
「俺は間違ってる側」
一歩、後ずさる。
「だから、関わらない方がいい」
世界が止まる。
「……何それ」
声が震える。
「昨日あんなこと言っておいて」
「昨日だからだろ」
「え?」
「昨日、全部終わった」
頭が真っ白になる。
「過去も分かった、理由も分かった」
悠真は笑う。
壊れたみたいに。
「もう関わる理由ない」
心臓が落ちる。
「……は」
声にならない。
「俺、お前にとって必要ないだろ」
「必要だよ‼︎」
叫んでいた。
考える前に。
悠真が固まる。
自分でも止められないい。
「必要に決まってるじゃん!」
涙が止まらない。
「初めてだったの!あんなふうに話せたの!」
息が乱れる。
「初めて苦しいって言えたの!」
静寂。
橋の上に嗚咽だけが残る。
悠真は、信じられないものを見る顔をしている。
そして、1番残酷な言葉を言った。
「……でも俺は」
喉が動く。
「お前が普通に笑ってるとこ見たくない」
世界が崩れる。
「……え?」
「苦しいなら苦しい顔してろよ」
心臓が抉られる。
「いつも作り笑い貼り付けて」
「助けてほしいなら、ちゃんと助けてって言えよ」
できない。
分かってるくせに。
「中途半端に強いのが1番きつい」
涙が止まらない。
「……何それ」
「本音」
静かに言う。
「見てる方が壊れる」
その一言で、何かが完全に壊れた。
「……ごめん」
無意識に出た。
「ちゃんと壊れられなくて、ごめん」
笑う。
自分でも分かる。
変な笑い方。
「強くてごめん」
涙が頬を伝う。
「期待に応えちゃってごめん」
息が苦しい。
「助け方、分かんなくてごめん」
胸が空っぽになる。
「……生きててごめん」
言った瞬間、悠真の顔色が変わった。
「……おい」
でも止まらない。
もう止められない。
「私さ」
視界が暗い。
「いなかった方がよかったのかも」
「やめろ」
声が遠い。
「そしたら、誰も困らない」
足元が崩れる。
「もう、頑張らなくていい」
「紗良!!!」
名前を呼ばれた瞬間、意識が途切れた。
『悠真』
崩れ落ちる瞬間、体が勝手に動いた。
落ちる前に抱きしめる。
軽すぎる。
驚くほど。
「おい、紗良!起きろ!」
反応がない。
顔が真っ白。
呼吸が浅い。
手が氷みたいに冷たい。
血の気が引く。
「……嘘だろ」
さっきまで喋ってた。
泣いてた。
怒ってた。
なのに。
こんなに簡単に壊れるのか。
「……起きろよ」
声が震える。
返事はない。
胸の奥に、最悪の記憶が蘇る。
動かない体。
冷たい手。
呼んでも返らない声。
「やめろ」
震える。
「同じこと、二回も」
抱きしめる腕に力が入る。
「……頼むから」
初めて、はっきり思った。
助けたい、じゃない。
――失いたくない。
「戻ってこい」
声が壊れる。
「今度こそ、ちゃんと隣にいるから」
誰に言ってるのか分からない。
「逃げないから」
誰に言ってるのか分からない。
「逃げないから」
涙が落ちる。
「だから」
喉が詰まる。
「消えるな」
橋の上で、ひとり泣きながら、
意識のない紗良を抱きしめる。
夜風は冷たいのに、
腕の中だけが異様に温かい。
それが怖かった。
本当に消えてしまいそうで。
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きゆう
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コメント
1件
うわあああ第13話読み終えたよ…!!😭💦 紗良ちゃんの「普通」を演じる必死さが痛いほど伝わってきて、胸がぎゅーってなった…。悠真くんの「お前が普通に笑ってるとこ見たくない」って言葉、すごく刺さったな。お互い違う形で壊れそうになってるのに、それでも「必要」って叫べた紗良ちゃんの気持ち、めっちゃわかるよ…。 最後の悠真くんの「消えるな」で涙腺崩壊した😭💕 続きが気になりすぎるよおお!! くらげ先生、このお話ほんとに好きすぎる…!✨