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炊飯器のタイマーをセットして、買って来た惣菜を皿に盛り付けてラップをかけておく。そうすれば、腹を空かせた孝次郎も、気兼ねすることなく食事を口に出来るのだ。
テーブルに無造作に飾られた、ガーベラの水を取り替えて、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、靜子はそれを一気に飲み干して椅子にもたれた。
シーリングライトのファンが、天井に影を描きながら静かに回っている。
靜子はふうっと息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。
シャワーを浴びて、身体を休めたかった。
眠る場所は、ソファーで構わないと考えていた。
ふと、キャビネットに並んだフォトフレームに目が留まる。
ハネムーンで訪れたニューヨーク。
タイムズスクエアをバックに、靜子の頬にキスをする孝次郎の横顔。
家族旅行の湯布院で、旅館でくつろぐ藍子と孝次郎。
大学生時代の、演劇サークルの飲み会。
集合写真の中央で笑う孝次郎と、後方隅の高樹の姿。
靜子は、この写真を見る度に憂鬱なった。
孝次郎の隣で微笑む自分に、嫌気がさしていた。
ナルシストでマザコン。
執念深いサイコパス。
考次郎とはそんな人間だった。
後悔と自己嫌悪の繰り返しに、涙が溢れそうになるのを堪えながら、靜子は写真に映る高樹を、そっと指先で触れた。
不倫の代償ー、それは自我の解放であり、愛とはひとりに縛られないもの。身体の関係など、単なる儀式に過ぎず、代償とは憎しみを背負って生きること。
今の靜子の心情だった。
離婚を切り出したなら、もしかしたら孝次郎に殺されるかも知れない。
または、高樹を殺しに行くかも知れない。
その恐怖心もあった。
「靜子…さっきはごめん」
声に驚いて振り返ると、リビングの扉の前に佇む孝次郎の姿があった。
いつからいたのだろうと、靜子は思いながら、フォトフレームをそっと戻して、
「いいの…起きても平気なの?」
「うん、だいぶ良くなったから」
「ご飯は?」
「後で食べるよ」
「そう…」
「…疑ってる?」
「…」
「怒ってるの?」
「…孝次郎さん」
「なに?」
「職場へは、ちゃんと連絡したの?」
「ああ、藍子さんがしてくれたよ」
「お母様が!?」
「うん、声も出なかったんだ」
「…そう」
「…それが、どうかした?」
「いえ、別に…」
「別にって何さ、なんだかトゲがある言い方だよ。俺は苦しかったんだよ、立ち上がるのもやっとだから何度も電話したのに…あ、ごめん、そのことはもういいんだ。俺は怒ってないから…」
「…シャワー浴びてくる」
靜子はそう言い放って、部屋を後にした。
これ以上、生産性のない会話を続けたくはなかった。