賃貸アパートの2階。
端の角部屋が有夏の部屋で、幾ヶ瀬はその隣りに住んでいる。
つまりこの部屋だ。
家が隣り同士というのは、彼らにとっては色んな意味で都合が良いようで。
しかしこの薄い壁に遮られているというのは、また別の葛藤をももたらすようで。
「ねぇ、有夏ぁ、一緒に住もうよ」
「は?」
鬱陶しがられていると悟ったのだろう。
幾ヶ瀬は俯いてしまった。
「だってさ、こういう時不便だし。それに一緒に住んだら家賃も半分ですむし。どうせ有夏はいつもうちに入り浸ってるんだから。何だったら広い部屋に移ってもいいし」
あ、そうだと幾ヶ瀬は手を打った。
「とりあえず俺の部屋を引き払って、有夏のとこに一緒に住もうよ。有夏ん家、角部屋だからちょっとだけ広いし、お風呂に窓もあるし」
「うーん……」
有夏が気まずそうに首を振る。
「ご、ごめん、有夏」
温度差を感じたか、幾ヶ瀬も黙り込む。
彼の表情が凍り付いたことに、さすがの有夏も焦ったようだ。
「や、違くて! 住むにしても、有夏の部屋はちょっとマズイかなって……それだけ」
「何で?」
幾ヶ瀬の声が低い。
頭の中で何パターンかの「ちょっとマズイ」理由を考えているに違いない。
「……有夏?」
依然として声は低いままだ。
「また散らかしたの?」
それはそれは綺麗な顔を、有夏は信じられないくらいに歪めた。
「……またってか、散らかしたってか、別に散らかすつもりとかじゃなくて!」
後半は逆ギレだ。声を荒げてプイとそっぽを向く。
「お風呂の窓も?」
「は?」
「お風呂の窓も見えないくらいゴミで埋め尽くされてるの? また!?」
「………………」
有夏、と怒鳴られて彼は不貞腐れたようにその場に転がった。
「ゴミじゃないし……全部大事なものだし……」
幾ヶ瀬の長いため息。
どうりで最近うちに入り浸ってると思ったよと小さく呟く。
「この前、片付けてあげたよね。有夏の部屋、玄関までゴミが溢れてたから」
「……だ、だからゴミじゃなくて」
「1ヵ月も経ってないんじゃない? 3週間……月初めの休みの日にやったから、そう22日前だ」
「幾ヶ瀬、こまかい……」
「あの時も部屋中に物が散乱して積みあがってたよね。ごはんはうちで食べるから生ごみがないのが本当に幸いなんだけど。その代わりにアマゾンの箱が部屋もお風呂もトイレにまで積みあがってて……。何でダンボールをたたまないの! 有夏ん家はダンボール屋さんなの!?」
めんどくさい……と小さな声。
「あの時の箱、何個あったと思う!?」
「………………」
「268個だよ! 全部潰して紐でくくって、でも資源ごみ置き場が満杯になるから3回に分けて出したんだよ!」
「………………」
「あのあと、通販の箱から緩衝材のおばけが飛び出してきて襲われる夢を何回見たことか!」
「面白いじゃねぇの」
「有夏ぁ!! なのにまたアマゾン注文したって! 何買ったの!」
「……フィギィア」
「え?」
「……ミカサのフィギィア」
「みか……えっ?」
「新作で、マントと立体起動装置が取り外せて……」
「え、何? ミカ……?」
「進撃の……フィギュア……」
「え、何の話? マンガなの?」
「あれはすごいよね!! 有夏、初めてフィギュアに手ぇ出したよ。ストーリーが辛すぎて! でも、読みだしたら止まらなくて!」
ややオタク気質な有夏、何だか興奮しだした様子。
「お、俺とどっちが……」
「は?」
「いや、そうじゃなくて……」
一瞬怯んだ幾ヶ瀬だが、有夏の部屋がゴミ屋敷である事実を思い出したか、すぐに表情を引き締めた。
「な、何考えてんの! 自分で片づけられるの! られないでしょ! どうするの!」
「………………」
怒声をひとしきりやり過ごして、幾ヶ瀬が大きなため息を吐いたのを合図とばかりに有夏は立ち上がる。
「あ、有夏、帰るよ。メモが飛んだらいけないし。じゃね」
そそくさと玄関へ向かおうとした有夏の腕を、幾ヶ瀬がつかむ。
「駄目だよ、有夏。荷物を受け取ってからでいいから、今夜はお仕置きだ」
お仕置きとの言葉に有夏は何とも言えない表情で頬を歪める。
苦笑いという表現が一番近いだろうか。
「ホント、エロジジィだな。まぁいいよ。何すんの? 縛ったりする? 優しくしてくれるなら有夏、いいよ?」
語尾がやわらかい。
とろけそうな甘い声。
この声に幾ヶ瀬がめっぽう弱いと、経験上知っているのだ。
「し、縛ったりなんかしないよ……」
ほら、今回も。
幾ヶ瀬の頬に朱が差し、視線は落ち着かなく泳ぐ始末。
「有夏……」
伸ばした手が薄茶の髪に触れる寸前。
幾ヶ瀬は我に返ったように「ハァッ!」と叫んだ。
「危ない危ない。あやうく流されるとこだった。今回こそちゃんとお仕置きしないと」
「幾ヶ瀬ぇ?」
有夏に背を向け、クローゼットに上体を突っ込む幾ヶ瀬。
これでいいかと出してきたのはエプロンだ。
「……何のプレイだよ」
何の変哲もない緑色のエプロンに、有夏がドン引いているのが分かる。
「人に片づけてもらうから、またすぐに散らかすことになるんだよ。有夏、今回は自分でやってごらん。俺も手伝ってあげるから」
「……なにそれ」
幾ヶ瀬がエプロンを差し出した瞬間、玄関のチャイムが鳴る。
「胡桃沢さんへのお荷物のお届けです」
ほら出て、自分もエプロン姿になりながら幾ヶ瀬、玄関を顎で指す。
「なにそれ。絶対ヤなんだけど! 掃除させられるくらいなら、変態プレイの方がずっといいんだけど!」
ブツブツ言いながら玄関に向かう有夏。
扉を開ける。
例の箱を受け取る。
サインをする。
配達員が帰るなり中のフィギィアを確認してニヤつく。
それを廊下に置く。
瞬間、何気ない動作をよそおって玄関から外へ出た。
「ちょっとー? コンビニ―? 行ってくるし」
廊下を駆ける足音を聞きながら、幾ヶ瀬は苦笑した。
「くそっ、逃げたか……」
コンビニで漫画雑誌を立ち読みして時間を潰す気だろう。
あるいはマンガ喫茶にでも行ったか。
いずれにしろ、しばらくは帰ってくるまい。
「しょうがない有夏だな。この間に少しは片づけておいてあげようか」
なぜかニヤつきながら、隣りの部屋の合鍵を取り出す。
お望みの変態プレイは明日のお楽しみにとっておこうと、幾ヶ瀬は小さく呟いた。
「アマゾンがくるまで」完
3「設定18℃にしていそしむこと」につづく
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