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「あの……」
だからポトンと一滴水面に水滴を落とすかのように瑠璃香から声を掛けられたとき、晴永はドキッとしてしまった。
ハンドルをぐっと強く握ることで肩が跳ねるのは回避できたと思う。
さも、運転中で前方から視線が外せない、といった体でじっと前を見つめたままだったのも、内心の動揺を隠すにはちょうど良かった。
「……なんだ?」
あえて心を落ち着けるために一拍置いて問い返した声が、震えていなくて良かったと胸を撫でおろしているだなんて、瑠璃香にだけは知られるわけにはいかない。
「目的地はどこですか?」
窓外を見つめながら、瑠璃香が「最寄りのスーパーはいくつも通り過ぎましたけど……」と付け加えてくる。
「ああ……。買いたいのは食料品だけじゃねぇからな」
「え?」
「シオンモールに向かってる」
このあたりで一番大きな四階建てのモールは、最上階に映画館もある大型ショッピングセンターだ。
施設に併設された平面および立体駐車場には、およそ五〇〇〇台の車が駐車できるらしい。
食料品はもちろんのこと、服飾品や雑貨、書店や家具屋、フードコートなどなど……。ありとあらゆるテナントが入っているそこは、ないものを見つける方が難しいのではないかと思われた。最近ではシオングループ傘下に不動産部門も加わり、シオンハウジングの不動産屋もテナントとして入っている。
「あ、あの……シオンモールは……」
「……? そんなに遠くねぇぞ? 高速飛ばせばすぐだ」
晴永たちが住んでいる地域からは、高速で三〇分ちょっと掛かるのだが、明日も休みだ。大した距離ではない。
そんな遠出は嫌だと拒否されるかと内心びくびくの晴永だったけれど、瑠璃香はちょっとだけそわそわした様子で手元をもじもじさせた。
(なんだ?)
それはどういう反応なんだ!? と思った晴永だったのだが――。
「シオンには『P’sライフ』がありますね」
ぽつりとこちらを探るようにつぶやいた瑠璃香に、晴永はますます戸惑ってしまう。
(ピーズライフ!? なんの店だ!?)
すぐ聞けばいいのだが、それをすると『ご存知ないんならいいです……』とか言われてしまいそうで何となく躊躇ってしまう。
それで平常心を装いながら前方を見つめたまま……。
「行きたいのか?」
と探りを入れてみた。
「えっと……私、ハムスターが見たいなって思うんですけど……」
「ハムスター?」
「あ、あのっ、もちろん課長のお買い物のついででいいんです……」
それでピンときた。どうやらP’sライフはペットショップの名前らしい。
「別に寄るのは構わねぇ……」
晴永の言葉に瑠璃香がきらきらとした瞳をこちらへ向けてくる。それを(可愛いな!)と思ったり(ペットショップへ寄るぐらいでこの強硬な買い物デートを受け入れてくれるんならお安い御用だぞ?)と思う反面……。
「けど……」
「けど?」
「今はプライベートだ。俺のことを〝名前で〟呼んでくれたら、って条件付きだな」
そこだけはどうしても譲れない、とごねつつも、拒否されるのが怖くて視線は依然進行方向をじっと見据えたままの晴永である。
そんな晴永の頑なな様子に、瑠璃香は小さく吐息を落とすと……
「それ、よくわからないですけど晴永さんのこだわりポイントですもんね……」
案外あっさりと、名前で呼び直してくれた。
コメント
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呼びかた、大事(笑)