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あと何日通うか分からぬ校舎にて、ひとり、あの西河智樹が宣戦布告した中庭の景色を見、廊下を歩いていると、後ろから呼び止められた。
「石田。すこし、話せるか?」
石田圭三郎のクラスの担任である、種岡だった。
どうも、白衣を着ている化学教師というだけで、圭三郎は、種岡をつい偏見の目で見てしまうのだが。事件で報道されるのは化学的知識を持つ人間ばかりだ。劇薬でひとを殺すのは、ミステリでお約束の展開だ。
進路指導室にて、圭三郎と向かい合って座る種岡は、テーブルのうえで指を組み合わせ、
「本命のS高校については、結果を待つばかりという状況だが……、先ずは、O高校への合格。おめでとう」
「……ありがとうございます」
圭三郎は、素直に、頭を下げた。実は、智樹が圭三郎の学校を訪ねたのは、圭三郎の志望する公立高校の受験日だった。受験後に、図書室で勉強をし、翌日も受験を控えている。そんな圭三郎をわざわざ学校まで訪ねる中学生がいたという事実自体に、なにやら種岡は、疑念を抱いているようであり。以降、言及してはこないが、それでも、時折視線を感じる。
なお、圭三郎は、智樹と晴子が結ばれた日に滑り止めの私立高校を受験しており、二日後に、その学校への合格を決めている。
「きみが本気を出せば、もっと高いレベルの高校も狙えたと思うんだがなあ……」残念そうに種岡がこぼす。「ところで、先日、きみを訪ねてきた中学生は、知り合いかなにかか?」
――ほら、来た。
なにかしらの疑いをかけているのなら、単刀直入に尋ねればいいのに。大人のまどろっこしいやり口が、圭三郎は、大嫌いだ。
よって彼は、嘘と事実を織り交ぜて答えた。「……ぼくの彼女の弟です。受験前のぼくに、お守りを手渡す目的で、わざわざ……。本当に、健気なやつです……あいつは」
「相当、知能レベルの高い男だね彼は」なにやら感嘆したように種岡が言う。「ああいう男を見ると、なんというかね。教師としての血が、騒ぐよ……」
「先生が話をしたいとぼくを引き留めたのは、西河智樹について探りを入れるのが目的ですか?」小馬鹿にしたように圭三郎は、「そんなに、……気になるんですか。あいつのことが」
自分よりも西河智樹のほうがレベルがうえだと認められた気がして、癪に障る。
むっとした圭三郎の表情に気づいてか、違うよ、と種岡が手を振る。
「――いや。わたしが気にしているのは、きみのことだよ……石田。
卒業間近になっても、きみは、クラスに溶け込もうとしない……。
誰とも関わらずに生きていくことは、出来なくもないけれど、孤独な人間は、自己肯定感が低い。居場所を見つけられぬことに、苦悩し、……他人を痛めつけることに、快楽を、見出す。
わたしは、きみが、間違った道に進むのではないかと、そこを、懸念しているんだ。
分かるかい? わたしの言う意味が……」
――なんで、ぼくが、自分を取り囲う下民どもに、レベルを合わせてやらなければならないんだ。馬鹿馬鹿しい。
協調性なんか、糞くらえだ。
結局、圭三郎は、中学の卒業間近になっても、同じ学校に共感者も理解者も得られなかった。ひょっとしたらこの教師、種岡がそうなる可能性があったというのに。彼は自ら、その可能性を、踏み潰した。踏み潰し続けた。
「ぼくは、……なんというか。自立した人間に、憧れを抱く人間でして。自分で判断して行動の出来る、大人の人間に、憧れを抱いています。ですので、その……。正直、同じ学年の子たちとは、馬が合わないというか。なにか、異端者のような感覚を、ぼくは、抱いてしまうんです……。
先生。自分の問題は自分で解決する。これは、成長過程でぼくたちがすべきことだと、学校でも家でも叩き込まれることです。
ですが、子どもであるぼくたちがいざ、それをすれば、やれ、秘密主義だ、引きこもりだ、自己を閉ざしている……なんて散々騒ぐじゃないですか」
――どうせこの男とも、あと一ヶ月程度のつき合いだ。そろそろ、本性の片鱗を見せていい頃だろう、と圭三郎は判断を下す。
「自立した人間を目指すことの、なにがいけないんでしょう?」無垢な目で、圭三郎が尋ねる。「漫画でもテレビでも、仲間仲間仲間、……って。仲間を作ることのどこが楽しいんでしょう? 低レベルな世界で慣れ合って、あいつら、どこが楽しいんでしょう? ホリエモンの指摘した通り、某海賊漫画なんか、海賊を目指すことなんかせずに、仲間と慣れ合ってばかりじゃないですか。二十年以上も。ぼくからすれば『気持ち悪い』の一言ですよ。
こういう、仲間意識が、個性をぶっ殺すんです。出る杭は打たれる。だから、ぼくは、自分の能力を抑え続け、周りと一定の距離を維持し、時には自分を殺し、巨大な集団の意志に迎合する無能な平民を演じてきたんですよ。ぼくからすれば、あいつらは、烏合の衆以外の何物でもない。『群集心理』は、読んだことがありますか先生? ――人間は、集団になると、馬鹿になる。個性を殺し、大勢の意見に世論に巻かれる無能な民と化す。――いまの、コロナウィルスに対する人々の反応なんか、まさにそれですよね。トイレットペーパーがある、在庫はありますって工場の人間がツイートまでしてんのに、慌てて人々は、買いに走る……。で、買い漁る人間がいるから、煽られてまた別の愚民どもが買いに走り、結果、常にすっからかん……。ぼくからすれば、あいつらの脳味噌の中身こそ、すっからかんじゃないのかなって思いますけどね。オイルショックから、東日本大震災から、彼らは、なにを学習したんでしょう?」
「――石田。おまえ……」
気味の悪いようなものを見るような目で、種岡が圭三郎を見ている。――そう、その目が、答えだ。
先生はなんでも受け止めてやる気持ちを打ち明けろ! と強制しておいて、いざ、打ち明けたとなれば、その反応だ。信用した自分が馬鹿だった。いや、自分は、生まれてこの方、結局誰のことも信じ切れていないのだ。『あのひと』を除いては。
「平行線ですね」と圭三郎は音を立てて立ち上がった。「ぼくたちは、分かり合えない同士なんです。……分かりましたか? 種岡先生の思想と、ぼくの思想は、交わることなど決してない……。あなたに理解して貰おうだなんて思っちゃいませんよ。ただ、ぼくはね。あなたみたいな、人畜無害な人間を見ていると、腹が立つんです。話せば分かるなんて嘘っぱちですね。言葉は、誰かを傷つけるために存在する。分かり合えぬという明確な結論を明示するためだけに存在する。――ぼくは、そう思います」
「――待ってくれ。石田。石田っ……!」
差し伸べられる手に、圭三郎は、見向きもしない。踵を視点にからだを反転させると種岡に背を向け、最終通告を突きつける。
「勘違いしないでくださいね。ぼくは、『理解』を求めてこれを言ったのではありません。ぼくひとりという有害分子さえ叩き潰せば、三年四組の平和は保てるという、あなたのオメデタイ思考に、一言物を申してやりたくなった……それだけです。
個性を認めてやるというのなら、クラスに馴染もうとしない、いち生徒の思想も理解してやるべきではないのですか?」
背後で、種岡が絶句する気配を感じる。――そう、自分が本気を出せば、どんな論でもたちまち正当性を見失い、叩き潰されてしまう。だから、自分は、本気を出すのが怖かった。理解してくれたのは――
『言いたいことは、言いなさい。やりたいように、やるのよ』
圭三郎を励ましてくれたあのひとは、もう、いない。
「さよなら」と圭三郎は手を振り、「あなたに、本音を曝すのはこれが、最初で最後です。せいぜい、残り少ない教員生活を、穏便に、盛大に勘違いしたまま、お過ごしになることですね――」
種岡は、もう、なにも言わなかった。
「カイト。どしたの。ご機嫌斜めだね?」
どうしていつも見抜かれてしまうのだろう、と圭三郎は思う。
うんうん、と背後から圭三郎のそこを刺激する男は、「じゃあ、ボクのするべきことは、これから、カイトのことを、なぁんにも考えらんないくらい、めちゃくちゃに気持ちよくすること……だね」
男は、女も男も受け入れられる体質らしい。男曰く、人間は、誰しもSとMの両面を隠し持つ――のだそうだ。
背後から男を受け入れる圭三郎は、苦悶の表情を浮かべる。腸の奥に異物を挿入されるこの行為に、快楽を見出すのは、ひとえに、男の手腕ゆえ。
そんな世界に、興味も関心もなかったはずなのに、いつの間にか、この行為に、存在意義を見出してしまう。誰からも認められない自分。誰からも必要とされない自分の。
「あああ……もう。リヒト……リヒトぉぅ」泣きながら圭三郎は叫んだ。「頼む。ぼくのことを、犯してくれ。前後不覚になるくらい――もう、おまえのことしか考えられないくらいの、無能な男に、ぼくを作り替えておくれ――リヒト」
耳たぶを貪られると圭三郎の体内を電流が走る。
「カイトのここ……びんびん」
情けなくも淫らな声が、圭三郎の喉元から漏れる。
「追い込まれるほど敏感になるだなんて、カイトはとんだ――マゾヒストだね」
「あっ……あっ、あっ、あっあっ」
いきりたつそこを、たっぷりと精液で塗りこめられ、切れ切れの声を、圭三郎はあげる。
「これは――ぼくからの、合格祝いだと思って……カイト」
ぐりぐりと穴を刺激され、たまらず圭三郎は喘いだ。同時に刺激されるのは、圭三郎にとって、初めての経験だった。
やがて圭三郎は、恐ろしいほどの絶頂に導かれる。自分は、どちらかといえばSだと自覚していたのに、男との行為を通じて、自分の知らない一面を突きつけられたかたちだ。性とは人間とは――奥が深い。
晴子を攻略する戦略を練る間も許されず、愛しこまれる。本当に、男が自分を愛しているのではないかと、勘違いするほどに。
だが、違うのだ――と、どこかで、圭三郎が傍観していた。男が求めるのは、つまり、己の欲望を満たす道具のだ。『おれ』ではない。となると、結局、この世界で、おれを求める人間など誰もいない――という、残酷な結論を、弾き出してしまう。
眠る男をよそに、服を着、黙ってアパートを出る。真冬の夜のしんとした空気が、圭三郎を出迎える。受験のピークを脱出し、あとは、志望校の合格発表を待つばかりの彼には、心理的負担もなにもない。――はずであるが。
(晴子……)
どうして、あの子のことが、思いだされるのだろう。欲もなにもなしで圭三郎に向き合ってくれる、あの無垢な少女のことが。――いや。
結局、あの子も、智樹という、唯一無二の存在を守るために、行動しているのだ……勘違いをするな。仮に、今後、あの子がおれに、笑みを向けたとしても、それは、智樹に対してなのだ。おれに対してでは、ない。
アプリでタクシーを呼び、自宅へと向かう。鍵を開き、皆が寝静まるなかを、ひとり、スマホのカメラライトを点灯し、進む。部屋に辿り着いても、何故か、あの子のことが思いだされた。闇の中でぱちくり、目を光らせるメイの姿を見たせいかもしれない。
『うち――ペットは駄目って言われているから。いいなあペット。羨ましい……』
ペットを飼うのはなにもいいことばかりじゃないんだぜ。
旅行にも行けない。臭い。洗わなきゃならない。……
それでも、不平不満をあの子にぶつけられなかったのは、何故だろう。
まだうずく感覚を宿しつつ、歯磨きを済ませ、ベッドに横になる。――と、一度味わったきりの、あの子の感触が思いだされる。男と女とで、唇の感触が違うはずはないのに。何故、あんなにも甘いのだろう。まるで、砂糖菓子のように。
胸をときめかせるものの正体がなんなのかを知らずに、目を閉じる。確実に自分の内部に巣くうある感情の気配を感じながら圭三郎は眠りに就いた。
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