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これでよし、と。
社食から出た唯由は、みんなに先に行ってもらい、蓮太郎に電話していた。
練行の家で、ビール瓶を手に苦手な挨拶まわりをしていた蓮太郎を思い出して申し訳なくなり。
そんなに雪村さんが温泉宿に行きたいのなら、と思って誘ってみたのだ。
「あんた、意外に積極的ねえ。
温泉旅行に誘うなんて」
そんな声が背後でした。
美菜だった。
コンパの打ち合わせのため、騒がしくないところで電話してきたのだと言う。
「いえ、雪村さんが温泉宿に行きたいみたいだったので、お礼にどうかなと思いまして。
うちのおばさんの宿なんですよ」
「あら、そうなの。
いいわねえ」
嫌味な感じに美菜が言ってきたので、唯由は、
……大野さんも温泉宿に行きたかったのだろうか? と思った。
「あの、大野さんも一緒に行かれますか?」
と誘ってみる。
「いや、なんで私があんたたちカップルについてかなきゃいけないのよっ。
フラれたばっかりなのにっ」
「えっ? 大野さんでもフラれることなんてあるんですかっ?」
「……他の子だったら、なにご機嫌とろうとしてんのよ、って思うとこだけど。
あんた、マジね」
「はあ、特に大野さんの機嫌をとらなければならないこともないので」
とうっかり言って、
「とりなさいよっ、先輩のご機嫌はっ。新入社員っ」
と怒られる。
「ご機嫌……。
ご機嫌はどうやってとったらいいんですかね?」
「私に訊いてどうすんのよ。
褒め称えればいいのよ、傷心なこの先輩をっ」
「いやー、褒め称えるとか苦手なんですよね~」
と唯由は眉をひそめる。
「でも、大野さんくらい素敵な方なら、いつでもいいお相手が見つかりますよ。
私、秘書に配属されたとき、大野さん見て、
うわっ、この会社の秘書ってこんな人がなるんだっ?
私、大丈夫かな? 頑張らねばって思ったんですよっ」
「あんた、すでに褒め殺してるわよ……」
「……でも、おかしいです」
いや、なにが、という顔を美菜はする。
「大野さんみたいな方がフラれるなんて」
美菜は肩をすくめて言った。
「ま、お互い言葉足らずだったのよ。
意外と口に出して言わなきゃ、なにも伝わらないわよ。
言わなくてもわかってくれてるなんて幻想よ。
三年付き合った彼氏と一昨日別れた私が言うんだから間違いないわよ」
唯由は、むんずと美菜の腕をつかんだ。
「行きましょうっ、その三年彼氏さんのところにっ」
「なに人の元カレを三年寝太郎みたいに言ってるのよ」
「だって、大野さんみたいな人と別れるなんておかしいです。
行きましょうっ」
と美菜を何処へともなく、引きずって行こうとすると、美菜が踏ん張った。
「何処行くのよ。
これから仕事よっ。
まーくんは別の会社の人よっ」
「じゃあ、電話かけましょう」
「あんた、こういうときは強引ねっ。
いつもは秘書にしても、控えすぎっていうくらい後ろにいるのに」
「チャンスの神様は前髪しかないし、高速移動してるんですよっ。
大野さん、急いでっ」
「そんな変な神様のご厄介にはなりたくないわよっ。
私はもうこのままやさぐれて生きるのよっ」
そのわりに、別れて即行、コンパの計画を立てていたようだが、と思う唯由の前で、結局、美菜は、まーくんに電話した。
電話を切った美菜は唯由に言う。
「あんたのおばさんの人気の宿。
キャンセル出たら、私たちにも教えて。
…………ありがとう。
なんか引っ込みつかなくなってたの、いろいろと」
わかりました、と唯由は笑った。
「あ、じゃあ、週末のコンパは、なしなんですか?
……みんなが怒りそうですが」
「そうねえ。
コンパ行ったら、まーくん怒りそうだから。
他の人に幹事任せるわ。
そうだ。あんた、やってよ」
「えっ?」
「ヤンバルクイナが彼氏じゃないのなら、できるでしょ?」
にんまり笑って、美菜は言ってくる。
「かっ、彼氏ではないんですけど……。
お……王様なので?」
自分たちの関係を説明するのに、いい言葉が出ず、迷いながら唯由はそう言った。
「勝手にコンパなんて行ったら、下僕は処刑されると思います」
「……それ、どういうプレイ?」
と美菜が眉をひそめて訊いてきた。
仕事に戻る前、唯由はおば、保子のところに電話してみた。
キャンセルが出たら教えて欲しい旨を告げる。
「いいわよ。
まあ、姪だからって便宜を図ったりはしないから、いつになるかはわからないけど」
わかってるよー、と唯由が言うと、
「ところで誰と来るの?」
と訊いてくる。
「……えーと。
会社の人なんだけど。
お世話になってるんで、そのお礼に」
「わかったわ」
と保子は深く頷く。
「どんな男か私が見極めてあげるわ」
「えーと……。
会社の人でお世話になってる人だって、今、言ったよね?」
話が伝わらなかったようだ、と思い、唯由はもう一度同じセリフを繰り返してみた。
すると、保子は頷き言ってくる。
「わかったわ。
私がどんな男か見極めてあげるから」
……なにも伝わらなかったようだと唯由は思ったが。
保子は、ただただ勘がいいだけだった。
その頃、道馬は唯由に頼まれたので、月子にメッセージを送っていた。
月子ちゃんとは特に共通の話題もないと思ってたけど。
蓮形寺さんの話でもすればいいやと思って。
「なんだかんだで、いい子なんです。
よろしくお願いします」
そう蓮形寺さん、頭下げてたし。
なかなか家の中複雑そうだけど、月子ちゃんとは仲悪くないんだろう、そう思っていた。
「月子ちゃん、連絡先教えてくれてありがとう。
今度、みんなでまた、呑みに行こうね。
そうそう。
僕、お姉さんと同じ職場なんだよね。
お姉さんも一緒でも楽しいかもね」
よし、送信っ、と道馬はメッセージを送ったが、もちろん、なにも、よし、ではなかった。
家で道馬からのメッセージを受け取った月子は、緊張し、ドキドキして、それを開いた。
だが、すぐにその顔色はどす黒くなる。
「お姉さんと同じ職場なんだよね」
そう道馬からのメッセージには書かれていた。
なんですって、姉~っ、と思ったが、すぐに、よろしくお願いしますと自分のために頭を下げる唯由が頭に浮かんだ。
あの姉なら、そう言いそうだと思ったのだ。
なんだかんだで自分のことを気にしてくれている。
まあ、笑いながら、へこへこになった兜で殴ってきたりもする姉だが……。
あの日の帰り道、車でお姉様の話ばかりしていて、あの子とは仲良くしちゃいけませんって、お母さまに怒られたんだったっけ。
だが、それはそれ、これはこれだ。
月子はスマホを手に部屋を飛び出した。
今日は珍しく母が部屋にいたからだ。
「お母さまっ」
と扉を跳ね開ける。
虹子は月子の部屋のと同じメーカーの、豪華で寝心地のいいベッドに横たわり、雑誌を読んでいた。
「お姉様が道馬さんとっ」
道馬さん? と訊き返される。
あっ、しまった、と思ったが、虹子はすでにすべてを察していた。
「そうなの。
好きな人がいるのね、月子」
月子は観念し、虹子にすべてを打ち明ける。
だが、虹子は然程、興味はなさそうだった。
「で?
その道馬と唯由が同じ職場ならなんなのよ?」
一応、起き上がってくれながら、虹子は言う。
「だって、お姉様よっ。
道馬さん、きっと好きになってしまわれるわっ」
「……実はあなたが一番の唯由の信奉者じゃないの?」
「だって、男性を落とすときは、胃袋をつかむものだって雑誌に書いてあったわっ。
お姉様の料理なら、いくらでも道馬さんの心をつかめるわよっ」
「デパ地下で買ってきてつかみなさいよ。
……でもまあ、あのお掃除の腕は捨てがたいわね。
私が男だったら、あんたより唯由と結婚するわ」
と虹子は深く頷く。
掃除くらいメイドにやらせればいいようなものだが、唯由が磨くと魔法がかかったように屋敷の中が美しくなるのだ。
生まれ育ったこの屋敷を大事に思う心が唯由に面倒臭い作業も手を抜くことなく丁寧にやらせているからかもしれないが。
「もうなんでもいいから、見合いでもして結婚しなさいよ、めんどくさいこと言ってないで」
いい話が来てたでしょ、と言う母親の言葉を最後まで聞かずに、月子は屋敷を飛び出していた。
六時前、味も素っ気もない壁の丸時計を見ながら、蓮太郎は今日も残業かな、と思っていた。
今日は蓮形寺のとこには行けないか、と思ったとき、紗江がガンガンとガラスを叩いて研究室の外から叫んできた。
「れんれんー。
唯由ちゃんたちが来てるよ~」
ひっ、と後輩がビクつき、試薬瓶を落としそうになっている。
唯由ちゃんたちの『たち』が気になるな、と思いながら、紗江に連れられ、リラクゼーションルームに行くと、唯由と滅多に見かけない同期の大野美菜がいた。
美菜にそう言えば、
「人前に出てこないのは、あんたの方よっ。
っていうか、さっき会ったわよっ」
と叫んできたことだろうが。
いつ見ても可愛らしく見える唯由が自分がいつも座っているリクライニングチェアの前に立っている。
「どうした、蓮形寺」
「それが、帰ろうと思ったら、今田さんと下で出会って」
話しているうちに、此処に連れて来られたのだと言う。
唯由ちゃん来てるよって、紗江さんが連れてきたんじゃないですか……と思う蓮太郎の前で、紗江と美菜が話している。
さっきの旅行の話をしているようだ。
「この子、私も誘ってきたんですよ」
と美菜が唯由を指差し、笑っている。
何故だ、蓮形寺……。
愛人と王様の
違った。
下僕と王様の
……それも違うな。
まあ、なんだかわからないが、お礼のラブラブ旅行ではなかったのか、と蓮太郎は思う。
なにをどうラブラブしていいのかは未だにわからないのだが。
このままでは、愛人との旅行じゃなくて、二人きりの社員旅行みたいになってしまいそうだ、と思っていると、唯由が手近にあったセレブな感じの旅行雑誌を手にとった。
「あ、この雑誌に載ってますよ」
そういえば、見たことのある宿のページを唯由が開いた。
いつか母親が友人たちと行っていた気がする、とそれを見ながら思ったとき、
「嘘っ」
と叫んで、美菜がその雑誌をもぎとった。
「此処なのっ!?
いつも雑誌に出てる凄い宿じゃんっ。
あんたって、お嬢様だったのねっ」
「いやそれ、うちじゃなくて、おばさんちの宿ですから」
宿も今は何処も大変……と言いかける唯由に、
「行きたい行きたいっ。
もう絶対、キャンセル出たら教えてっ。
ていうか、あんたたちと一緒でもいいわっ」
と騒ぎ出す。
「……来なくていい」
「なにヤンバルクイナのくせに、ちゃっかり可愛い新人に手を出して、ラブラブ旅行とかしようとしてんのよ」
と言う美菜と睨み合う。
「いいなー。
私も行きたいなー、唯由ちゃん」
紗江まで話に割り込んできて、人のいい唯由が、
「あ、じゃあ、一緒に行きますか?」
と笑顔で紗江まで誘う。
「ほんとー?
じゃあ、れんれんのお母さんと一緒に行……」
「帰れ、蓮形寺」
このままでは、確実に団体旅行になる、と思いながら、蓮太郎は唯由たちを追い返した。