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乱暴に目元をこすりながら、有希は続ける。
「僕は、伸くんとのことを全部忘れちゃったけど、病院から戻って来てからずっと、伸くんのことを考えていた。本当に、いろんなことを……。
そうしたら、過去のことはわからないけど、今の僕も、やっぱり伸くんのことが好きになったみたいなんだ。伸くんのことが頭から離れない。
だけど、伸くんは、僕とはもう付き合えないって。その理由を、ちゃんと教えてもらわないと、僕は……」
言いながら、また涙がこぼれ落ちる。
あぁ、なんてことだ。なんだって、こんな冴えない中年男に執着するんだ。有希ならば、相手は、ほかにいくらでもいるだろうに。
だが、本当の理由を話すわけにはいかない。あんな荒唐無稽としか思えない話をしても、今の彼が信じるわけがないし、とても納得するとは思えない。
何よりも、このまま記憶が戻らないのであれば、有希のためにも、何も知らないほうがいいと思うのだ。それで伸は、苦し紛れに言った。
「理由は簡単だ。もう、君のことが好きじゃなくなったんだよ」
「あぁ……」
有希の口から、悲しげな声が漏れる。かわいそうに。有希を傷つけてしまった。
伸の心に、一抹の寂しさがよぎる。これで本当に終わってしまった。もう二度と、彼の滑らかな頬に触れることも出来ない……。
だが、さらに有希は言いつのった。
「だから、その理由を教えてくれなくちゃ、僕は納得出来ないよ。伸くんを、諦められない!」
有希が悲痛な声を上げたとき、パーク内に、閉園時間を告げるアナウンスが流れ始めた。
有希は、ベンチに腰かけたまま、両手で顔を覆って泣いている。どうすることも出来ず、伸はただ、横に座り続ける。
やがて、巡回中の警備員に声をかけられた。
「お客さん、閉園時間ですよ」
「あっ、すいません。ほら、行こう」
伸は、有希の両肩に手をかけて立ち上がらせた。
出口に向かって歩いて行くと、まばらながら、これから家路に着こうとしている人たちがいた。泣いている有希に気づき、ちらちらと見ている人もいる。
さて、どうしたものか。伸は頭を悩ませる。
泣き続けている有希を、置き去りにして帰るわけにはいかない。かと言って、どこかの店に入るのも気が進まない。
あぁ。せっかく二人きりにならない場所で話をして、そのまま、さらりと別れるはずだったのに。
フォレストランドの外に出ても、有希は、まだ泣き止まない。
仕方がない。伸は、ため息をついてから言った。
「俺の部屋に来る?」
有希が、涙に濡れた顔を上げた。
「上がって」
有希は、玄関で靴を脱ぎながら、ものめずらしそうに部屋の中を見回している。つくづく、本当に何も覚えていないのだと思う。
「今、コーヒーを淹れるから、そこに座って」
有希は、こくりとうなずいて、テーブルの前の椅子に座った。とりあえず部屋に連れて行って、彼が泣き止んで、少し落ち着いたらタクシーを呼ぼうと思っていたのだが、すでに有希は泣き止んでいる。
なんだか調子が狂うが、コーヒーを飲んだらタクシーを呼ぶことにしよう。そう思い、伸はコーヒーの用意をする。
有希が言った。
「この部屋、僕は、前にも来たことある?」
「……まぁ」
言ってしまってから、うっかり正直に答えたことを後悔する。
「そうか」
なんだか、嫌な予感がして来た。余計なことを聞かないでほしいものだが……。
「じゃあ、泊まったことは?」
来た。
「いや、それはない」
「ふぅん……」
それきり有希が口をつぐんだので、少しほっとする。
伸は、コーヒーカップの一つを、有希の前に置いた。
「これを飲み終わったら、タクシーを呼ぶよ」
有希が、じっと伸を見つめながら言う。
「飲んだら、早く帰れってこと?」
「そういうわけじゃないけど、俺たち、もう終わりにするんだから、ずっといるのもおかしなもんだろ?」
「だから……」
有希の目に、またも涙が浮かぶ。
「その理由を教えて」
伸は、ごくりとコーヒーを飲む。
「その話は、もう終わっただろ」
有希の顔が歪み、涙がこぼれる。
「終わってないよ! どうして僕のことが嫌いになったのか、それを教えて!」
堂々巡りだ。いったい、どうすればいい?
途方に暮れている伸に向かって、有希は、泣きながら言いつのる。
「僕は、伸くんとのこと、何も覚えていない。だけど、伸くんのこと、たくさん考えたんだ。
僕が病院で目覚めたときの伸くんは、すごく優しかったのに、どうして急に僕のことが嫌いになったんだろうとか、この人は、どうしていつも寂しそうなんだろうとか、どうして僕は、こんなに伸くんのことが気になって仕方がないんだろうとか。
それから、恋人同士だから、キスくらいしただろうとか、その先はどうなのかとか……」
苦しげに息をつき、涙をぬぐってから、さらに話す。
「僕は、伸くんの前に誰とも付き合ったことがないから、キスも、そのほかのことも、どんな感じかわからない。それなのに、伸くんのことを考えていたら、今まで一度も意識したことがなかった体のうんと奥のほうが、疼いて熱くなって、それが、どうにも収まらなくて……。
それで気づいたんだ。それはきっと、伸くんと、したときのことを、体が覚えているんだって!」