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放課後が近づいてきても、教室の空気はひときわ冷たい。いや、熱を帯びていた。獲物を囲むような、濁った熱気。
日下部がいない——
それだけで、すべての抑制が外れた。
「アイツ、いねぇの? ペット放し飼いかよ」
「しっかりしろよ、な? 飼い主いなくても、お利口にできるよな?」
男たちの笑い声。
数人が近づいてきて、机を蹴る音。遥の肩を掴んで引きずるように立たせる。
「ちょっと“確認”な。日下部いなくなったら、どうなるのかなーって」
耳元で囁くように言うやつ。
椅子の背に押し倒され、制服の裾が捲られる。
「逃げんなよ。逃げたらまた、日下部のとこ行くか? ……あいつ、飽きたんじゃねーの?」
「どこがイイって言ってたっけ、ほら、ここ?」
言葉が、音が、痛みが、視界の端からにじむ。
遥は声を出せない。ただ、歯を食いしばるしかない。
笑われる。
誰かがスマホを構える素振り。
女子の冷たい視線。「やっぱ好きでやってんじゃん」と鼻で笑う声。
(守ってくれたわけじゃない。……ただ、されなかっただけなのに)
その“何もされなかった時間”が、遥の中に空白として疼く。
どっちがマシか、なんて考えたくもないのに。
——どっちも、地獄だ。
チャイムが鳴っても、誰も帰ろうとはしなかった。
教室の中にいた十数人の生徒たちは、自然と輪になり、
真ん中に遥が「置かれる」ように立たされていた。
「……今日も、よく来たじゃん?」
笑ってる声。けれど目は笑っていない。
「日下部いねぇからさ。せっかくだし、こっちも“解禁”ってことで」
誰かが言った瞬間、何人かが椅子を動かして壁際に押しやる。
まるで舞台を作るように。
逃げ道を消して、注目を集めて、真ん中に立つ「奴隷」を“演出”するように。
遥は立っているのか、吊るされているのか分からなかった。
膝が震えていたのは、寒さではない。
「最近、日下部の“家出”から戻ったって?」
「へぇ……じゃあ、お仕置きしねぇとなぁ。ちゃんと、“反省”してるかどうか」
制服の襟を掴まれる。
思わず一歩引くと、背後から誰かが膝裏を蹴る。
崩れた身体に、次々と手が伸びる。
──笑いながら、叩く。
──嗤いながら、殴る。
──からかいながら、踏む。
一人一人の行為は、冗談のようでいて確実に痛みを刻んでいった。
それが集まると、遥の身体はただの「道具」になる。
「泣かねーの、コイツ。すげぇな。マゾ?」
「“あっち”のがよかったか? 日下部のベッドのほうが」
誰かがポケットから何かを取り出した。携帯用のカメラ。
別の誰かが無理やり遥の顔を上げさせて、レンズを向ける。
「はい、ピース。……あ、手ぇ動かせねぇか。ごめんごめん」
──声を出したら、負ける。
──動いたら、もっと酷くなる。
遥は口を閉ざしていた。
ただ、何もなかった日々を──“日下部の家”での時間を思い出していた。
何もされないことが、どれほど幸せだったか。
何もされないことが、どれほど怖かったか。
(……戻ってきた)
戻ってきたのだ、ちゃんと。
暴力があって、侮辱があって、弄ばれる日常。
そう、“元通り”。
それを「安心」と呼ぶのなら、遥の心はもうどこにも居場所がない。