テラーノベル
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「…はぁ」
傍から見ればただ憂鬱そうに吐かれただけのレインのため息。
しかし、本人はそれどころではなかった。
魔法で無理矢理動かす身体は魔法がなければ倒れて指一本も動かない。
目の前は端がぼやけ、息は熱い。とっくに痺れた指先はいつ感覚がなくなったかも覚えていない。ここまでになってしまったら早く帰らなかったら魔法が切れ、もう一度唱える間もなくレインの倒れてしまうのは明確だった。
レイン自身もそれが分かっていたから、早くと寮部屋へ足を進めていった。
足が進む度に縺れるのではないかと錯覚する。アベルの魔法のように自分を自分で操っているから縺れるわけもないのに。
扉を開けた時、がらんとした空気にマックスが今日部屋を開けていることを思い出す。
「いない、のか」
レインは普段であれば部屋の中でさえもマックスが居るならば少しの不調も悟られぬよう隠す癖があったが、この時ばかりはもういいか、と気が抜けて床に倒れ込み、ひんやりと冷たさを伝える床に溶けるように気を失った。
レインが部屋を入ってすぐに倒れたのを見ていたのはうさぎだけだった。
フィンがレインを驚かせようと部屋を訪れたのはその数刻後だった。
コンコン、と軽い音が廊下に響く。
しかし、中からは何の返事もない。
「…?兄さま?入るよ? 」
フィンがそう告げ扉を開けると目に入ったのは、床に伏して辛そうに息を繰り返すレインの姿だった。
「…っ兄さま!!大丈夫!?」
フィンが仰向けに返せば汗が噴き出し顔を真っ赤したレインが息をしづらそうに吸って吐いてを繰り返していた。
「…はぁ、…ぁ」
額に手を触れれば火傷してしまいそうなほどの熱さがフィンの手を伝った。
「ぁ゙っつ…」
「運ばなきゃっ…くそ、おもい゙っ…」
レインを脇の下に腕を通し運び、なんとかベット前まで引き摺るようにして連れてきたまでは良かったが、ベッドの上にまでなかなか引き上げられず、苦戦を強いられていた。
「っふー…よし」
レインの膝裏と背中に腕を回しフィンは息を整えると一瞬のお姫様抱っこをして投げるようにレインをベッドに寝かせた。
「おわっ…てない!!とりあえず温度計!!あと水も用意しなきゃ!!」
フィンは急いで走り、目についた救急箱とタオル、コップに水を注いでレインの元へと戻る。
「ちょっと脇失礼っ…」
レインの脇に体温計を挟み準備をしているとピピピッピピピッと体温を知らせる音が鳴る。
「…!?よんじゅっ、はぁ!?」
素っ頓狂な声が部屋に響く。
フィンは体温計を見たあと、チラリとレインの顔を見た。
「…こんなになってから、やっと倒れたの…?」
最早恐怖さえフィンは感じ始めていた。しかし、レインの呻くような声を聞き、正気に戻る。
「…違う違う。こんなことしてる場合じゃないんだよ」
フィンがレインに冷たいタオルを当ててやると、レインは少しだけ身体を捩り、楽そうに表情を崩す。
しかし身体を捩るその動作は覚束なく、捩り浮いた身体は直ぐに力を保てず落ちる。そんなことを繰り返していた。
まともに身体を動かせる力も残っていない。
「…流石にまずいよなぁ」
「メリアドールさん、呼んだら来てくれるかな」
フィンはすぐに温くなったレインのタオルを変えると、足早に部屋を出ていった。
パタン、とドアの閉まった音にレインが薄く目を開く。
「…」
だれ。
それすらも言葉に出来なかった。
しかし、自分とは違う誰かがそばにいたという温もりが身体から消えていくのを感じてまともに身体は言うことを聞きすらしないのに、レインは手を伸ばそうとした。
ガタンッ
「…っ゙、ゔ」
行かないで欲しい。置いてかないで。
そんな願いがレインの中をぐるぐると巡りベッドから落ちてなお這いずるように進む。
ほんの1メートル。1メートルだ。それさえも今のレインには長い時間をかけないと進めなかった。
ひんやりとした石畳は熱に侵されたレインを冷やしてくれるはずなのに、レインにとってはまるで毒にでも侵されるような苦しみに迫られるだけだった。
指先は震え、目に映る景色はぼやけきり、もう何処を進んでいるのかすらレインは分かっていない。ただ、離れた温もりを求めて這いずった。
その温もりが目の前に立っているのも知らずに。
「…に、さま?兄さま、兄さまっ!!」
どれだけ叫んでもレインはぼやけた目で地面を見つめてなおも這いずろうとしていた。
白い指、青褪めた唇、視線の合わない目、シャツが透けるほどかいた汗、苦しそうな声。
フィンに連れられて来たメリアドールは声を失っていた。
「、一体何をどうしたらここまで悪化させるんですか…!!」
息を呑む音。
軽々しくレインを持ち上げたメリアドールはベッドに寝かせると、フィンが置いたままだった水桶でタオルを濡らしてレインの額に置く。
しかし、レインは顔を顰めそれを額から落として、メリアドールの手に擦り寄った。
「、ぅ゙…は、はぁ……」
未だに荒いが、確かに安定し始めた呼吸。
不安そうな表情は溶け、安堵したような表情が表れていた。
まるで子供のようだった。
安堵を、温もりを、守護を求めるような、そんな。
レインの中に息を潜めていた小さな子供が、最悪な形であれど、表に出ていた。
「かぁ、さま…」
か細く消え入りそうな声。
後に紡がれるはずの声は音とならず消えた。
「フィン。氷枕と冷えたペットボトルを2つ持ってきてください」
「っあ、分かりました」
弾かれるようにフィンが動き、持ってくると、氷枕を首に、ペットボトルはそれぞれ脇へと挟ませてレインの体温を少しでも下げようとする。
「多分レインは熱中症です。他も拗らせて悪化してる気もしますが、症状を見る限りは」
細く、荒い呼吸がやけに部屋に響き渡る。誰の声よりも鮮明に、無慈悲に耳にこびり付いて離れない。
「…ひ、…はぁ…は、ぁ…」
時折詰まる呼吸音。
これでも大分安定した方だった。
「…少しは大丈夫そうですね」
メリアドールがまた準備するものがあると離れようとすれば、レインから細く、嘆くような声が溢れる。
「や、だ、かぁさま、置いてかないで」
お願い。と、
何も写せていないような虚ろな瞳の中にメリアドールを映す。ぼたぼたの流れる涙が枕の染みを広げて、しゃくる声が、やけに苦しそうだった。
熱に浮かされた苦しさではない声だった。
「…今日、ずっと兄さまと居ても大丈夫ですか?」
唐突にフィンは聞く。
メリアドールは少し驚き間を置いた後、大丈夫と答えた。
するとフィンはレインが横たわるベッドに入り、レインの頭を自身の胸元に抱える。
「大丈夫。大丈夫だからおやすみ『レイン』」
すると先程まで苦しそうにしていたレインがすぅ…と眠り、規則的な寝息を立て始めていた。まだ熱いが、後は寝かせていれば治るだろうと思えるほどの安定した寝息だった。
「…すぅ…すぅ」
「今日はこのままで居させてください…おやすみ、なさ…」
フィンも瞼を重そうにさせ、言い終える直前に意識を落として眠った。
メリアドールは驚いていた。
フィンがレインを落ち着かせる方法を知っていたことも、レインがそれで落ち着けたことも。
「はぁ…この兄弟だからこそ出来るんでしょうけど、なんか、納得するのも癪ですね…」
そう悪態をつきつつも、レインとフィンが目を醒まし、レインが元気になるまではそばにいて、看病してやったそう。
「だって、私が看病しなかったせいで悪化されても困りますから」
とメリアドールは答えたそうだ。
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