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――後日、亜美は二度と訪れるまいと思ったかの地、如月動物病院へと赴いていた。
彼等とは棲んでいる世界が違うとはいえ、やはりどうしても昨夜の御礼を赴かずにはいられなかったのだ。
「あぁ~! 亜美お姉ちゃん、いらっしゃい」
「ニャア」
診療所の扉を開けると、何時もと変わらぬ悠莉とジュウベエが出迎えてくれた。
こうして見ると、昨夜の事は夢だったのではないかと思う。
だが彼女も紛れもなく狂座――裏の世界に身を棲まう者として。それでも何一つ変わる事無く接してくれる。
「悠莉ちゃん……ありがとう」
だから亜美も変に勘繰る事無く、素直に自分の気持ちを述べた。
「うん? どうしたの? 御礼なんかいいよ~」
悠莉としては昨夜の事を惚けている訳ではない。ただ当然の事をしたまで。
幸人と同様、否それ以上に亜美の力になりたかったのだ悠莉も。
「ああそれと――“幸人お兄ちゃんは奥に居るからね~”」
まだ何も言っていないのだが、まるで心を見透かされたかのように案内された。
「う、うん……」
勿論幸人にも逢いに来たのだが、亜美は途端に気後れしてしまう。
果たして、どんな顔をして逢えばいいのか――
「亜美お姉ちゃん? 大丈夫だよ、今日ばっかりは幸人お兄ちゃんを亜美お姉ちゃんの好きにしていいから」
少しばかり迷った最中、悠莉からの意味深な一言。
それはどういう意味だろうか。
「うん、じゃあ行ってくるね」
「ごゆっくり~」
何はともあれ、亜美は幸人の居るであろう応接間へと向かった。
「失礼します……」
恐る恐るドアを開けると――居た。亜美は心音が一段と高鳴るのを感じた。
「ああ亜美さん。いらっしゃい」
其処に彼が居る事が分かっていても、やはり気恥ずかしい。
書類整理でもしていたのか、机に向かって腰掛けていた幸人が向き直り、亜美への歓迎の意を示していた。
「幸人さん……」
彼も悠莉と同じ、何一つ変わる事無く、何時も通り出迎えてくれた。
「昨夜は……ありがとうございました」
亜美は幸人の姿を見るなり、感謝の意を込めて深々と頭を下げていた。
「気にしないでください。それより……遅くなって済みません」
あの時は亜美は気絶して知らない筈なのだが、敢えてそれに触れない幸人は席を立ち、亜美の下へ寄り肩へ手を置く。
それを意味する事は一つ。昨日の亜美の気持ちを受け入れなかった詫びとみていい。
――それでも来てくれた事。
「そ、そんな……」
感謝の気持ちで一杯なのか、それともまだ気恥ずかしさからなのか、亜美は暫く顔を上げる事が出来なかった。
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「――では、狂座の事はもう諦めると?」
御互いお茶を飲みながら、この先歩むべき道を話し合っていた。
「はい。やはり狂座の事は認めたくはないですけど、それでも今の世の中には必要なのかなって。あ、でも殺人を肯定している訳ではないですよ」
亜美もようやく落ち着いたのか、至って流暢だ。
「私は……普通のジャーナリストに戻る事にします。あの子の事で、前が見えていませんでした……」
幸人の思惑通り、亜美は狂座を追うジャーナリストとしての立場を、ここに終わらせる事を宣言していた。
本当の願いは既に叶ったのだから、これ以上狂座を追う道理は無いのもあるが。
「それがいい。世の中には知らないなら、知らないままで良い事もあります。貴女はこの世界に、これ以上関わるべきではない」
所詮は棲んでいる世界が違う――と。幸人のそれは彼女との決別の証。
亜美は表の世界を生き、そして己は裏の世界を生きるという――
「はい……」
だからこれが最後。二度と御互い関わる事は無い。
「送りますよ……」
御互い席を立ち、幸人がエスコートする形で先頭へ。
「そう言えば幸人さん?」
背後より聴こえる亜美の不意の一言。まだ何かあったのかと幸人は振り返る。
「はい――っ!?」
それは本当に不意を突かれた形――一瞬の出来事。
亜美は背伸びする形で、幸人の唇を奪っていた――というより、それはほんの唇と唇が触れ合うだけの。すぐにそれは離れる。
「…………」
流石の幸人も、これには戸惑い立ち竦むしかない。
「狂座の事はもう諦めますけど……」
亜美は既に顔が真っ赤だ。ほんの些細な行為なのだが、どれ程の勇気を振り絞った事だろうか。きっと初めての事だったに違いない。
「私は貴方の事を諦めた訳ではありませんから」
それでも亜美は、しっかりと笑顔でそう宣言した。
「えっ……えぇ!?」
逆に何時までも戸惑っている幸人。
「また来ますね」
亜美は応接間を出る間際、振り返りながらこれからの事を伝えていた。
「――あれ? 亜美お姉ちゃんもういいの? もっとゆっくりでもいいのに~」
診療所の方でばったり出会した悠莉から、亜美の予想外に早い御帰還に驚きを隠せない。
彼女としてはてっきり、昨日の続きでもやるのかと思っていたからだ。勿論、今回だけは目を瞑る形で。
子供なりに意外と空気が読めるのもどうかと思うが。
「えっ――えぇ!?」
亜美は今更ながら悠莉の言っている意味を理解したのか、急に気恥ずかしくなってきた。
「そっ――そんなつもりじゃ!」
思えば当初は自分の身体を対価にしようとしたのだ。今回はそのつもりはなく――と言うよりは、自分の気持ちと御礼を込めて伝えに来ただけなのだが、先程の事を思い返しただけで、穴があったら入りたくなってしまう程に。
「あはは~」
悠莉はそんな亜美を、微笑ましく見ていた。
それは二人が一線を越えなかったであろう安堵感。と言うより寧ろ――
「亜美お姉ちゃん、ボク負けないからね」
悠莉は何処か高揚感を以て、気恥ずかしさで戸惑う亜美へ手を差し伸べていた。
「え……と?」
それはどういう意味だろうか。意味が分からないまま、反射的に亜美も手を返す。
きっとそれは宣戦布告の狼煙。
「ライバルは強い方が燃えるもんね~。それにそれに、年齢の分、ボクの方が有利かな~」
亜美もやっとその意味に気付いた。
「じゃあ、勝負だね」
だからこそ、悠莉の布告を受け止めた。勝負とは即ち幸人の事。
「ああでもでも~、お化粧の仕方とかは教えてね~」
「うん、ふふふ」
ライバル関係が成立したとはいえ、二人は変わらず姉妹のように――親友のように笑い合っていた。
そんな二人の思惑等、幸人は知る由も無い。未だに一人で固まっていたのだから――
“ククク、さあどっちを選ぶのかな幸人は”
ジュウベエは固まっているだろう幸人、そして彼女達の事を思うと愉快さを堪えきれないでいた。
“でもこれでいい。アイツも少しは人として生きた方が――”
普通に生活し、普通に恋をし、普通の幸せを送る。
それが叶わぬのは裏に棲まう者への楔だとしても、せめて夢位は――とジュウベエが主人へ願う道。
“人は誰にでも幸せになる権利はあるのだから――”
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※昨夜未明、閑静な住宅街で起きた不可解かつ、凄惨な猟奇的殺人事件現場の概要――。
現場は早朝、この区間担当の新聞配達員が発見し、警察へと通報。
駆けつけた警察官は、現場の余りの惨状に息を呑んだ。
原型も留めない程に、人と思わしき各部位が血痕と共に無数に散らばっており、現場は正に地獄絵図の様相を呈していたという。
凄惨な殺人現場に慣れた刑事でさえ、これ程の現場はかつてないと異口同音で呟かれた程。
検死の結果、この身元も付かない被害者の遺体は、都心に住む当時未成年(19)の共に無職の少年三人と判明。
遺体への余りにも凄まじい損壊具合から、事件は怨恨の線で捜査を進めているが、この事件の特異性は殺害方法“そのもの”にあった。
遺体は何かしらの鋭利な刃物類で分断されていたが、不可解なのが三人の死亡推定時刻。
三人は“ほぼ同時”に殺害されており、遺体への損壊具合も生活反応から同時刻である事が判明。
これは例え機械のような物を使っても、しかも三人同時に行う事はほぼ不可能とされ、血液反応からして現場でこのような惨状が一瞬で行われた事実が、この事件の不可解さを増長させる要因となった。
現在犯人の行方を追っているが、当然その目処さえも掴めていない。
――そして幸人も、亜美も知らない。
この事件の被害者があの三人であった事に――
※六の罪状 “終”
~To Be Continued