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翌朝。
この地に慎太郎が来てから二度目の、ジェシーの牧場。今度もまた軽トラックだ。
少し窓を開けているので、風が入って気持ちいい。早朝の爽やかな空気だ。
「あの、日高牧場って日高山脈からとったんですか?」
「そうだよ。あの悠々とした感じが好きなんだわ。登ったことあるけど、けっこう険しいよ。慎太郎くんも登りたい?」
「いやあ…」
慎太郎は難色を示した。心には不安があった。
「そっか。まあ来たばっかりだし、これから色んなとこ案内するよ。ほとんど自然しかないから」
「楽しみです」
すると、走りながら慎太郎はあることに気づいた。
「ジェシーくん、この道端に並んでる矢印のポールみたいなのってなんですか?」
「ああ、それはね、矢羽根っていうの。雪が降るとどこまでが道路でどこまでが畑だとかわかんないしょ? だから、ここが道路の端っこですよってわかるようにするやつ」
へえ、とうなずいた。
初めての場所。新鮮なものでいっぱいだ。
それからしばらく走ると、あの牧場に着いた。
そこにはもう一台、ワゴン車が停まっている。そばには樹がいた。
「遅いよ」と2人を見て口角を上げる。そのあと少し咳をした。
「いやー遠いもねー!」とジェシーは両手を天に伸ばす。
牛舎に入り、まずは乳搾りから、とジェシーは言った。
「今は全部機械でやっちゃってるけど、せっかくだから手でやってみよう」
出来るかな、と心配する慎太郎を樹は笑い飛ばす。
「なんもなんも、心配せんでも出来るよ」
大人しいほうだという牛のところに連れて行き、柵の中に入る。
そばにしゃがんで、乳房を握ってみてと言う。
「こうやって数をかぞえるように握るのさ。……おお、そうそう、上手いじゃん」
褒められて嬉しくなった。牛も静かに尻尾を振っている。
ジェシーに教えられるように搾ると、乳が勢いよく飛び出てくる。
バケツがいっぱいになると、ジェシーと樹がほかの牛に機械を取り付けて搾乳していった。
3人で集まった牛乳を入れる集乳缶をトラックの荷台に積み込むと、自分たちも乗る。
樹は帰ると言った。「次は農場の手伝い行くべさ」
ジェシーと慎太郎を乗せた軽トラックは、帯広へ向かって走る。
「何分くらいかかるんですか?」
せいぜい30分くらいだろうと思っていたが、
「1時間弱。飛ばせばもうちょっと短いかな」
というのを聞いてびっくりした。「えっ」
「だから広いのよ、北海道は」と朗らかに笑う。
しばらく走っていると、助手席から静かな寝息が聞こえてきた。
「さすがに疲れただろうな、新しい土地で」
ジェシーはルームミラー越しに微笑ましそうに見つめた。彼にとっては、まるで弟のような存在になっていた。
すると、目の前を大きめの何かが横切った。
「わあっ、エゾシカだ!」
長い角を持ったオスのエゾシカが駆けていった。あいにく、慎太郎には見せられなかった。
「ああ…残念」
まだ眠っている慎太郎を残し、ジェシーはメーカーに採れたての牛乳を出荷する。
これで朝の作業は終わりだ。あとはまた1時間ほど掛けて家に帰るだけ。
日高山脈に背を向け、十勝川を越えるところで慎太郎が起きたのに気付いた。
「おっ、おはよう」
「ん……あれ」
どうした、と声を掛ける。寝ぼけ眼をこすり、
「ああ…俺北海道に来たのか」
「ハハ、あるよね、そういうこと。初めての観光地のホテルで朝起きたら、『ここどこだっけ?』ってなる」
ジェシーは少し声のトーンを下げて尋ねる。
「…慎太郎くんはさ、どうしてここに来ようと思ったの? 札幌のほうが都会だし、もっと別の場所あるのに」
慎太郎は、一呼吸おいて口を開いた。
「俺、逃げてきたんです」
続く