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人魚姫

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人魚姫

46 - 最終話 帰

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2025年10月16日

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エミールはその場に力無く膝をついた。

空へ昇るように霧散した男を見送り、小瑪は腰を上げ、そっとエミールの側へ寄り添う。

「……エミール……」

ルーシャンは立ち尽くしたまま天を仰いだ。太陽は完全に姿を現し、海と大地を柔らかく照らしている。

陽光に手を翳し、海へと視線を移した。翡翠の瞳に、同じ輝きを放つ故郷を映す。

ザザ、と、吹き抜ける海からの風に瞼を落とし、亜麻色の髪を遊ばせた。

「…………」

皆はまだ、ルーシャンの帰りを待っているのだろうか……諦めずに。

瞼の裏には、たくさんの笑顔が溢れている。

ルーシャンはついと目を上げ、一歩、海へと足を踏み出した。

焦らずに、ゆっくりと。焦る必要は、もうない。呪は解かれた。

海は決して逃げない。

ならば、本来の姿を彼に……そして……

汀みぎわまで来た時、歩みを止めた。一度瞬き、波の奏でを背にする。

「小瑪」

凛とした清らかなる声音で、愛しい人を呼んだ。

これが、どんなに素晴らしいことだろう。

応じた小瑪は背を伸ばし、またエミールも泪を拭い、振り返った。

「お別れね」

ニコリと、豪奢な笑みを顔中で湛える。

「今まで、ありがとう。貴男のお蔭で、私は今ここに立っていられる。倒れていた私を拾ってくれて、本当に感謝するわ」

真っ直ぐに瑠璃の双眸を見つめ、それからエミールへと顔を向けた。

「ありがとう、エミール。私を館から出してくれて。貴方にどんな思惑があったとしても、私は生きている……それで、いいんだわ」

月長石ムーンストーンの瞳が、物言いたげに揺れる。

「お父様と、仲直りできてよかったね。私も帰って、みんなに謝らないといけないわ」

ふふふ、と、苦笑いを零し、けれど愉快そうに口許へ指を宛がった。

「ルーシャン」

「小瑪、大好きよ」

ルーシャンは小瑪が何か言うのを遮る。小瑪の声を聞くと泣きそうだったから。

「だから、エミールを大事にしないと、私がその綺麗な顔を張り飛ばすんだから!」

言って、右手を上げて見せた。

波打つ髪は、背後の波と同調するように揺れ戦そよぐ。

「私は、帰るわ。待ってくれているだろうみんなの所へ!」

サアァ、と、長い髪とワンピースを翻し、躊躇いなく海へ身を沈めた。

小瑪もエミールも、煌きの残像を追い、碧い波間を眺める。

「小瑪ー! あの部屋、少し掃除したほうがいいわよー!」

大分距離がある位置に、ルーシャンが腕を振っていた。陽光に透ける黄金の髪が、海面に広がっている。

ルーシャンの、本来の姿。

「さようなら! お幸せにね!」

「──ルーシャンも!」

小瑪とエミールが手を振り返す。

ハープが撫ぜる莢さやかな音ねの如く、美しい笑声が響き渡り、尾鰭おひれが海水を弾はじいた。その一点に、桜の花びらが散ったよう。

乙女はもう見えない。故郷への、帰路についた。

「エミール」

小瑪とエミールも、帰るべく場所へ。

「帰ろうか」

小瑪は、あの館が必要になることはないと思っていた。戻るつもりなど、初めから。

だが、運命は変化する。小瑪の思案など、鼻で嗤うかのように。

「部屋の掃除を手伝ってくれるとありがたい。二人いても、片付くかどうか……」

再び、人生を歩める。

ずっと待っていた、愛しい人と。

生が与えられるとは、思ってもいなかった。

すべてに感謝しなければならない。

小瑪は前髪を掻き上げ、隣でクスクスと唇を震わせるエミールを見た。

……泣いていない。大丈夫。

「エミール」

手を伸べると、エミールはひとつ頷き、手を重ねてくれる。


歩き出す……それぞれが、それぞれの道を。


人魚浜に、点々と足跡が残り、舞う波に溶ける。

けれど、微かに証を残し……





碧い、蒼い、壮大な海。

命の源。

流れ、渦巻く、生きた波。

この世を支える。


見渡す限りの青い世界に、揺れる虹色の輝き……






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