付き合い始めてしばらくたったある日、私と北川はさおりから食事に誘われた。神社での撮影を急遽キャンセルしたお詫びだという。
アルバイトを終えて、北川と一緒にさおりに指定されたカフェへと向かう。そこで二人並んで座り、他愛のない話をしながら彼女の到着を待った。
「お待たせ!
いそいそとやって来た彼女は、私たちの前の席に腰を下ろすなり、不思議そうな目をした。まじまじと私と北川を交互に見てから、なるほどねと納得したように頷く。
「二人、付き合ってるんだね」
どうして分かったのかと驚いている私たちに、さおりはにっと笑った。
「だって、距離感が今までと違うんだもの。見る人が見ればすぐに分かるわよ。たぶん、デザイン室のみんなも気づいてるんじゃない?うん、それにしてもお似合いのカップルだわ。いやぁ、私と旦那にも二人みたいな初々しい時代があったなぁ……」
さおりは昔を懐かしむかのように遠い目をした。
時々彼女の愛のあるからかいを受けながら、私たちは食事を進めた。
目の前の料理がすっかり綺麗になったのを見て、彼女は私たちを促す。
「そろそろ帰ろうか。碧ちゃんのことは、もちろん北川君が送って行くんだよね」
「はい」
「よし、じゃあ出ようか」
伝票を手に取ったさおりに、私と北川は揃って頭を下げた。
「ご馳走さまでした」
「どういたしまして」
店の外に出てそこでさおりと別れた。
彼女を見送った後、北川と一緒に彼の車まで行く。彼が開けてくれたドアから車に乗り込んだ。今日も真っすぐアパートに送ってくれるだろうと思っていると、彼がためらいがちに言った。
「少し寄り道してもいい?」
「もちろん」
まだ一緒にいられるのだと思い、嬉しくなる。
「良かった。一緒に行きたい場所があるんだ」
「北川さんが行きたい場所なら、私も行ってみたい」
「よし、行くよ」
北川はにこっと笑い、ゆるゆると車を発進させた。そこから郊外に向かって車を二十分ほど走らせる。
彼が車を止めたのは、田園地帯の中の道路沿いだった。一帯には田んぼや畑、果樹のハウスがある。民家とやや離れており、灯りは街灯だけという暗い中、遠くに山の稜線が浮かんで見えた。
「ここ?」
「うん。ここら辺は建物がなくて空が広く見えるから、星が綺麗なんだ。今夜は空が晴れているからきっと綺麗だろうなって思ってね。碧ちゃんと一緒に見たくなった」
北川は照れたように笑っている。
「外に出てもいい?」
「もちろんだよ」
北川はエンジンを切り、助手席側に回ってドアを開けてくれた。
「足元に気をつけてね」
「ありがとう」
私が外に出たのを確かめて、北川はドアを閉めた。私のすぐ隣に立ち、夜空を仰ぎ見る。
「やっぱり綺麗に見えてる」
北川に倣って顔を上向かせ、そこに星の帯を見つけた。感嘆の声がもれる。
「うわぁ、ほんと、綺麗ね!連れて来てくれてありがとう」
「喜んでもらえたみたいで良かった」
彼は嬉しそうに言った。ずいぶんと近い所で声が聞こえると思った瞬間、唇に柔らかな感触と熱を感じた。キスだと気がついた途端、全身がカッと熱くなる。
「き、北川さん、今の……」
「ごめん、我慢できなくて。だけど、怒らないで」
北川の腕が伸びて来て、私の体をすっぽりと包み込んだ。
「お願いだから、もう少しだけ君に触れさせてほしい」
これまで手を繋ぐことはあっても、ここまで彼と密着したのは初めてだった。彼との初めてのキスの余韻もあって、苦しいくらいに鼓動が鳴っている。
耳元で北川が囁く。
「好きだよ」
彼の言葉は私を幸福感で満たした。彼への想いがこみあげてくる。
「私も好き。大好き」
言い終えた途端、私を抱く彼の腕に力が入った。
「あぁ、もうっ!帰したくないし、帰りたくない。でも明日は朝一でゼミがある……」
葛藤しているような彼の様子に、私はつい笑い声をもらした。
彼は苦々しい笑みを浮かべる。
「まったく……。悩ましいのは碧ちゃんのせいなんだからね。仕方ないから帰るとするか」
彼は諦めたようにため息をつき、腕を解いた。私を促して車に戻る。運転席に落ち着いてから、おもむろに口を開いた。
「あのさ。帰る前に、もうちょっとだけ進んだキスをしたい」
「進んだキス?」
私はどぎまぎしながら訊ねた。
彼の手が伸びて来て、私の頬を撫でる。
「もうちょっと長いキス、かな。目、瞑って?」
私は素直に頷き瞼を閉じた。唇を挟み込む柔らかい感触があってどきどきする。私は息を止めて、彼の唇が触れるがままに任せ、シートに背中を預けてじっとしていた。彼の唇が離れた後、大きな深呼吸を何度か繰り返した。
私の様子を見て北川が慌て気味に訊ねる。
「碧ちゃん、大丈夫?!」
「大丈夫。いつ息をしていいのかが分からなかっただけ」
北川が目を見開いた。
「もしかして、こういうキス、初めてだった?」
恥ずかしさにもじもじしながら私は頷く。
「うん、初めて。だって、男の人と付き合うのは北川さんが初めてだから」
「そう言えば、祭りの時にそんなことを言っていたね。そうか、だからがちがちに口を閉じてたんだね。気がつかなくてごめん」
「私こそごめんなさい。うまくできなくて……」
「いや、俺としては嬉しいな。だって、俺が碧ちゃんのファーストキスの相手ってことなんだから」
彼は満足そうに言い、私の頬にキスをした。