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【拾玖話】


俺は思わず頭を抱え込んだ。何が如何なっているのかさっぱりだ。

此処で起こっている事は志津子さんが単身で絡んでいるとばっかり思っていた。ここに来て娘さんの名前が上がるとは。


日下部曰く、尖っている頭を俺は盛大に掻き毟った。


「彼女は元々夢想家と云うか、空想に逃げる癖が在ったそうなんだ。私は其処から虐待の線を疑っている。しかし特に家に繋がれている訳でも無いのに彼女は酷い扱いを受けているにも関わらず家から飛び出ない。それもおかしい。


一応もう大人の女性だから酷い家庭なら出てしまって奉公にでも出る事が出来るにも関わらずだ。それに記憶障碍も夜の放浪癖もあるそうだからその線を聞き取って行こうと思ってたんだよ。彼女の見た殺人現場と云うのは想像上の事だと云う可能性を強く疑っていた――が。死体が出たか。」


兄貴は考え込んだ。俺も考え込んだ。


「早く解決しないと、犠牲が増えるかも知れないな。大勢死んでる」

「もうそんなに死なないと思うよ。後一手か二手あればいい所だな。全ては多分もう終わってる。」


急に思いもしない声がしたから驚き、振り返った。

声がした所では野々村が将棋盤を睨みながら座っていた。


そう云えば居たのか。初めて彼を認識した。


「それは如何云う――」

「無理矢理こじ開けて入るのは簡単だけど、自白を促した方が良いな。」


野々村はそう云ってぶつぶつと何やら呟き始めた。


「詳しく、教えてくれないか?」

「お二人は穏やかに会話で解決するのと、力ずくで解決するのとどちらを好みますか?」


何を――云ってるんだ?


「教授は遙さんに同情を、樋口さんも志津子さんに何らかの感情を持っている。僕は何も無い。僕は観測者だ。追い詰めるのに躊躇しない。」


幾つかの足音と賑やかな声が聞こえる。

食事の用意が出来たようだ。


「とりあえず、お腹減りましたね」と野々村は笑った。


襖を開けると二人の若き女性と後ろに申し訳無さそうに付いてきていた老人

各々が盆を持って立っていた。


「申し訳ありません。もう夕食、と云った方が良い時間になりましたね。」

「いえいえ、頂けるだけで在り難いです。」

「あと、お布団もお風呂も用意して置きましたからお好きにお使い下さい」


そう云いながら遙さんは食事を並べた。


「さ、お兄様もそんな将棋盤にばかり座らずに――」

「いつも遙がこうして炊事をしているのか?」

「私は運ぶ専用ですわ。」


「ところで君の家で牛乳は飲んでいるのかい?」

「え?」

「もしくは脱脂粉乳を――」


彼女は少し彼女を思い出したのか少し痛みを含んだ顔をした。


「容子さんは紅茶によく脱脂粉乳を入れてお飲みになっていたわ。私はそのまま飲むし、須藤さんも偶にしかご一緒していなかったけれどそのまま、お母様もそうよ。なぜ?」

「別に――さあ、皆、空腹で倒れてしまいそうだよ」

「ああ!あの召し上がってくださいね。」


さっきの僅かな間に何が在ったのかは知らないが随分と遙さんと野々村の間が近くなったようだ。


彼女は野々村をお兄様、と呼び、野々村は彼女を遙、と呼んでいた。


賑わう場、こんな時なのに進んでしまう箸。

若い頃苦労した、と彼女は云っていた。

料理は成る程、と納得させられる味であった。


彼女の、志津子さんの容態が気になった。

遙さんの顔をちらりと見ると心中を読まれてしまったのか


「母はまだ眠っていたので、皆様との食事が終わったら母にも持って行こうと思います。」

「ご一緒させて頂けませんか、先程の失礼を、不注意を謝りたい。」


悩む彼女。


「――母も女性ですから男性に伏している姿を見られたくは無いと思いますが――樋口さんなら良いかも知れませんね。」

「――有難う御座います。」



***



「暗いので足元にお気をつけ下さいね」

「あ、はい。」


燭台を手に彼女は先に立ち、後を行く私に声を掛けた。

皆が寝静まったからしんしんと静けさが当たりを支配し、

床が軋む音が妙に自分の存在を如何わしく思わせた。


「あれからずっと目を覚まさずですか?」

「食事が終わった時、声を掛けたのですが――」

「そうですか――」


燭台から発せられる光は頼りなく、廊下の少し先を照らすだけで少し離れた先は真っ暗闇だ。


足元を見る。まるで沼の様に淀んで粘着質な風体で持って闇は私を見上げる。少し背筋を冷たく感じ、気を反らそうと見た窓越しの外の景色は白と、それを引き立たせる様な紺と黒とで構成されていた。


「月がやけにでけぇな――」

「本当ですわね――」


言葉の前と後ろとその間。

そんな僅かな息の音までが鮮明に耳に届いた。

何となく二人、立ち止まって庭を見る。


「照らされると一層綺麗な櫻だな。」

少し遠くに在る櫻を見て俺は素直にそう云った。


「花弁は風で散った後、何処へ行くのでしょうね――」


変な質問だった。


「見た事無いのか?家に在るのに?」

「いえ、そうでは無く――」


訪れた沈黙に焦る。俺は何か悪い言葉を選んだだろうか。


「胡乱な事を申しまして――」

彼女は軽く頭を下げ、足を進め始めたから慌てて其れに続いた。


不意に足を止めたので俺は危うく彼女にぶつかりそうになって避ける為に妙な姿勢になった。


そんな俺に一瞥をくれて微笑む彼女、その淡い光に照らされた顔は酷く冷たい、作り物の様な美しさがあった。


「お母様、お食事をお持ち致しました。」

俺はその言葉に反応して布団に足を進めようとした。


真っ暗な室内にぼんやりとした月明かりが入り、

仄かな燭台の光が照らす。


志津子さんはもうすでに起きていた。

布団の上に半身を起こしていたのだ。


真っ暗な中で――


彼女はゆっくりとこちらに顔を向けると笑みもせず頭を下げた。


「樋口さんまで――こんなみっともない姿を曝してしまい申し訳御座いません。」

「あ、の、そ、こちらこそ、無神経な事をしまして――」

「お母様、お食べにならなくては体が持ちませんわ。」

「ええ、そうね。」


志津子さんはゆっくりと顔を布団の傍に置かれた盆に向けた。

瞬間目を見開き、鬼の様な形相になってその盆を激しく手で払った。


「やっぱりお前は!知っていたのではないか!知っていて知らぬ振りをしていたのだろうが!嘲笑ってたのか!呪っていたのか!お前は鬼だ!私を狂わせた悪鬼だ!」


「な!何の事です!お母様!」

「何故これをこんな所に持ってきた!それこそが何よりの証拠ではないか!」


志津子さんは盆を指差し仁王立ちだ。

美しかった顔は酷く歪み、憎しみを露にさせた。


「何故似た!何故あの人に似なかった!何故女に産まれた!何故私の子で無かった――」


不意に手が上げられ、遙さんが悲鳴を上げて倒れた。

俺は慌てて彼女を取り押さえたが酷く暴れて手が付けられない。

女人の力とは、こんな華奢な力の何処にこんな力が在ったのか――


彼女は半狂乱だった。

騒ぎを聞きつけたのか寝ていた筈の皆が起きて来て、

来た者から志津子さんを拘束するのに加わった。


最後に野々村が錯乱する彼女の耳元に何かを呟き

彼女を悲しそうな顔で見つめた。


蝋燭照らされたその顔は美しく、まるで異界の王の様に妖しく揺らめいた。


「嗚呼、貴方、貴方。御免なさい。御免なさい。御免なさい。」


彼女は床に崩れ、一頻り泣いた後まるで糸が切れた操り人形の様に惚けてしまった。何を聞いても答えない。何を言っても動かない。


途方に暮れ、俺は周りを見渡すと

六華は考え込みながら彼女の体を床に倒し、布団を掛けその瞼を手で閉じた。野々村は何やら遙さんに話を聞き、盆に近寄り、粉薬の様なものが入った包みを手に取った。


「これ?」

「そうよ。お母様が偶に私に気が落ち着くから飲みなさい、と下さるの。」

「君はそんなに気が荒ぶるのか?」

「いいえ、でも前の晩、徘徊してたんじゃないかしら。お母様の判断でそれを飲んでいたわ。

母様の気も休まるかと思ってお持ちしたのだけれど――」


「飲むと落ち着く?」

「分からないの。記憶が途切れてしまうから。でも自分では無い何かになった様な気がするの。いえ、これは私の夢の中の話かも知れないけど。」


彼女は野々村と話しながらも目は母親を見ていた。

とても哀しそうな、見る事で痛みを伴っている様な視線だった。苦痛に彼女の顔が歪む。その様さえ美しく灯りが揺らし映す。


「矢張り、私は真の娘では無かったのですね。――あれも夢だと思ってたのに。」

彼女は呟く様にそう云ったまま部屋を出て行ってしまった。


蒼井さんと野々村と六華と――寝息を立て始めた志津子さん。


「すいませんが樋口さんは彼女を見張っていて貰えませんか?」


野々村は俺にそう頼んだ。

俺は頼まれなくともそうするつもりだったから頷いた。


「魘されたり、また錯乱したら如何してやれば良いのかな?」

「そんな事より、彼女がここから出ない様に見張ってて貰えば良いんです。」

「どうして――」


野々村は気だるそうに首を回すと


「明日、彼女が冷静になれば分かりますよ。」と笑った。




【続く】

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