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◇◇◇◇
ヴァルディウス王国は、静かに傾き始めていた。
だが、その中心に座す国王ユークリッドだけが、その揺らぎに気づいていない。
「うるさい、今考えている!」
謁見の間に怒号が叩きつけられる。報告はどれも同じだ。
原因不明の病。広がる呪い。止まらぬ死者。
兵が倒れ、農夫が倒れ、子どもが倒れる。労働力は落ち、民は飢え、街には不穏な咳が満ちていた。
それでも王は理解できない。
なぜ急に、国が崩れ始めたのか。
「王様」
静かな声が、怒号を切り裂いた。
「おお、帰ったか。星篝の魔女よ」
白銀の髪を揺らし、星篝の魔女は膝をつく。その背後に、もう一人の姿はない。
それだけで、答えは明白だった。
「なぜだ! なぜ貴様ほどの魔女が、白の魔女一人連れ戻せぬ!」
怒りというより、焦燥。追い詰められた獣の声だった。
星篝の魔女は顔を伏せたまま答える。
「白の魔女は、バリスハリスの王。レオニス・バリスハリスに守られています。王命のもと、厳重に」
その名が落ちた瞬間、空気が凍る。
「指名手配の魔女を庇い、バリスハリスがヴァルディウスに歯向かうというのか」
白の魔女。
かつて追放した存在。
病を祓い、怪我を癒し、呪いを鎮めてきた唯一の存在。
彼女がいなくなった日から、均衡は崩れ始めていた。
だが王は、まだそこに思考を至らせない。
「……何が起きている」
怒りは薄れ、代わりに滲むのは困惑だった。
星篝の魔女は、違和感を覚えていた。
城の空気が重い。ただ淀んでいるのではない。
まとわりつく。
肌の上を這うように。呼吸の奥に入り込むように。
「王様、ここ数ヶ月で何がありましたか。周辺領地に呪いの濃度が上がっていました。ですが……ここまでとは」
「分からない!」
王は机を叩く。
その隣で、王妃アメリアがゆっくりと息を吐いた。
黒い吐息が、細く漂う。
それが空気に溶けた瞬間、近くの兵が、王が咳き込んだ。
星篝の魔女の背筋に、冷たいものが走り、口を抑える。
王妃の身体の内側で、何かが蠢いている。
あれは、もはや病ではない。呪いが宿主を侵食し、形を持とうとしている。
「私らには、白の魔女の血が必要だ!」
王の声は叫びではない。
祈りだった。
「それさえあれば、アメリアは救われる! 国中の病も呪いも、すべて消える!」
古文書に記されていた『禁忌の魔女の血は万能薬となる』と。
その古文書の存在を王に伝えたのは、星篝の魔女自身なのだ。
それは伝承だ。確証はない。誰が書いたのかも分からない。
王妃を救うためではなく、国を安定させるためについた戯言。
王に希望を持ってもらうための方便だった
だが今、そんなことは言えないほど、王は血に飢えていた。
「禁忌の魔女の血を手に入れろ!」
「ああ……この国ももう終わりだな」
小さく漏れた楽観的な声音。
「何か言ったか?」
「いいえ」
王は気づかない。
玉座の足元に、黒い染みが広がっていることに。
それはゆっくりと、確実に、王の影と溶け合っていった。
ヴァルディウス王国は、まだ自分が死にかけていることにすら気づいていない。
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