「…目黒?」
仕事から帰ってくるなり、ディスプレイを光らせて震え出したスマホを手に阿部は首を傾げた。目黒からの着信。一体どうしたというのだろう。確か、彼は今日午後からオフで、夜は友人と食事に出掛けると言っていたはず。
「もしもし?」
受話マークをタップしてスマホを耳に押し当てると、そこからぼそぼそと何か息を吹きかけているような音が聞こえてくる。
『……っ、は…』
「めめ?」
『はぁ…っは、あべちゃ…っ?』
阿部は、スマホの向こう側から聞こえてくる荒い呼吸の中から“阿部ちゃん”という言葉を拾った。
「めめ、どうしたの?」
どうでもいいけれど、あまり気分の良い電話ではない。いくら相手が目黒だと言っても、仕事帰りで疲れているところに、はぁはぁ言いながら電話をかけてくるのは遠慮して欲しい。思いながらリビングのソファーに腰掛ける。ちらりと目線だけで時計を確認すると、22:20。明日は朝早くから仕事だった。
「何かあった?」
返答が待ちきれず聞き返す。一体どうしたっていうんだ、珍しく電話なんかかけてきて。
「俺のパンツなら、今日はグレーだよ?」
えっちな電話ならまた今度。
『ばかっ……ちが…っ、』
どうやらそうではないらしい。
『阿部ちゃん…』
「めめ、もしかして具合い悪いの?」
搾り出すような目黒の声に、阿部は尋ねてみた。
『…っは、死に…そう』
こちらは正しかったみたいだ。確かに、そう思って聞いてみると息も絶え絶えという感じだった。
「風邪? 熱測ったの? 大丈夫?」
『大丈夫…だったら、電話なんか…っごほ、しない』
まあ、それもそうだ。
「何か食べた?」
『なにも…』
短い相槌の後にごほごほと咳をする音が聞こえた。
「食べたくないなら、飲み物だけでもちゃんと…」
『…阿部ちゃん』
阿部の言葉を遮る甘えた声。続く言葉はなんとなく予想がつく。
「何?」
『お願い…来て?』
「………」
予想はしていたけれど、その掠れた低い声に思わず背筋がぞくりと震えた。具合いが大分芳しくないというのはわかるが、そんな声を出すのは反則だと思う。
『なぁ…』
泣きそうな声。身体が弱っているから、1人でいるのが寂しいのだろう。
阿部だってすぐに駆けつけてあげたいのはやまやまだった。けれど…。
「今日は、行けません」
『なんでぇ…?』
また、ごほごほと咳をする音。
「そんなに辛いなら、ちゃんと安静にしとかなきゃいけないでしょ?」
『…何が言いたいの?』
「俺も、我慢きかないもん」
『いいじゃん…、一緒に、汗かこう』
「ばか…」
もう。弱っているくせに、そういう話にはしっかり食いついてくるんだから。
マネージャーに連絡するか、最悪の場合、救急車を呼ぶのが良いんじゃないかと考えていたけれど、どうやらその心配はいらないらしかった。
「とにかく、今日はだめ。早く治さなきゃ」
『阿部ちゃぁん』
何だか、途端に元気が戻ってきている気がするのは気のせいだろうか。阿部は、柔らかく微笑みながらスマホをスピーカーに変えてテーブルの上に置いた。
「元気出てきたみたいじゃない」
『阿部ちゃんが…げほっ、誘うようなことっ…言うから』
確かに、我慢がきかないなんて言わない方が良かったかもしれない。思いながら床に座って、テーブルに頬杖をつく。
「寂しいなら、めめが寝るまでは電話切らないから」
『誘っといて…はぁ、はっ、そんなの生殺しだ…っ』
「だから、誘ってないってば」
言いながらとうとう声を上げて笑ってしまった。笑ってる場合じゃないのかもしれないけれど、目黒の様子がとても可笑しい。かわいそ可愛いってこんな感じだろうか。
できる限りは何かしてあげたい思いで、頭の中で明日のスケジュールを引っ張り出す。
「明日のお昼には、めめんち寄るから」
『…ほんとに?』
「うん。ほんとに」
だから少しだけ我慢してて、と気持ちを込める。
「何か欲しいものある?」
『阿部ちゃん』
「それはわからってるから、それ以外」
『……みそ汁、飲みたい』
「わかった、明日作るね」
『ありがと…、阿部ちゃん』
「じゃあ、めめ、今日はもう寝て?」
みそ汁の具は何が良いだろう。消化に良くて、栄養があるものは…あれこれ思い浮かべてみた。
『…っ、本当に、俺が寝るまで電話切らないでいてくれる?』
「うん、切らないよ」
『じゃあ、電話エッチしよ… 』
「ばか、何言ってんの」
『ごほっ、いいじゃん! げほっ、げほっ…じゃあ何か、エッチな声出して…』
「切るよー?」
『あ、うそ…っ、切らないでよ』
「切らないから、早く寝る!」
『うー…苦しい…』
「だから、もう寝たほうがいいって」
『阿部ちゃん、今1人?』
「当たり前でしょ」
『……俺のこと好き?』
「好きだよ」
『げほっ…、どのくらい?』
「いっぱい」
『明日…、はぁ…っ、ほんとに来てくれる?』
「ほんとに行くから、いい子で待っててね?」
『…俺…疲れてたから…、風邪…引いたのかな…』
「そうだね。頑張り過ぎだったのかも。今は、ゆっくり休んだほうがいいよ」
『ん……俺のこと、好き?』
「好きだってば」
『……ん、俺も、阿部ちゃんのこと…だいすき』
「ん。知ってるよ」
『……阿部ちゃん 』
「うん」
『……阿部ちゃん、好き』
「うん」
『………、』
「……めめ?」
『………』
「寝ちゃった?」
『………』
ふわりと、阿部はまた微笑んだ。そのまま、スマホに向かってそっとキスを落とす。
「おやすみなさい」
翌日、すっかり回復した目黒のおかげで喉がおかしくなるくらいに阿部が啼かされたのは、また別の話だった。
コメント
6件
kinoさんのめめあべ想像つきすぎていつも大好き😂
寝落ち電話可愛い😊 体調悪いのに一番に変態通話と思われるめめ…と思いながら読んでたら話してる内容でそりゃそうなるわと納得でした😂本能が強すぎる笑
すげぇ、バカみたいな話なのにkinoさんが書くと文学として読めるし、適度にエロいし最高ですわ😆