翌日の講義も、週明け月曜の講義にも、若井は現れなかった。広い講義室なので、どこかに座っているのではないかと講義中も何度もあたりを見回したが、あの目立つ赤髪は見つけられなかった。若井が藤澤さんとのことで拗ねているのだろうということは何となく察していたが、あえてそのことをこちらから持ち出すのも気が向かず、特に連絡もしないまま、気づけばGWに差し掛かろうとしていた。
GWは結局、藤澤さんの実家に2泊させてもらうことになった。そんなにお邪魔してもいいものかと最初は迷ったが、藤澤さんの気にしなくていいよという言葉に甘えることにした。月曜日に再び会う約束をし、GWの計画を話したのだが、藤澤さんの紹介してくれるものがすべて魅力的過ぎて、行きたい場所が増えてしまったせいでもある。
大学はカレンダー通り5月3日から6日までが休みだが、金曜日も講義がない藤澤さんは一足先に2日に長野に帰省し、俺は4日の朝に長野に向かうことにして、6日に一緒に東京に帰ることにした。
ある程度の計画を立て終えると、藤澤さんに
「今日はどうする?」
と少しためらった様子で聞かれる。
「……その、今日は聴くだけ、とかでもいいですか?」
本当は今日、ギターとキーボードでセッションをしようという話になっていた。俺もすっかり乗り気で、埃をかぶっていたギターケースを運び出してきて、今日持ってくるつもりでいたのだが。
「ギター持ってこれなくて。ごめんなさい、約束したのに」
先ほど藤澤さんがためらいを見せたのは、俺がギターケースを持ってきた様子がなかったためだろう。朝、ギターケースを背負おうとしたら、全く身体が動かなくなってしまった。ケースを開けて、触れて、音を出す。そんな想像をしたら吐き気が止まらなくなった。ギターに触れたい気持ちはあるはずなのに、身体は応じてくれなかった。
藤澤さんは柔らかい笑みを浮かべたまま、そんなの気にしないでよ、と軽く肩をたたいてくれる。
「そしたらピアノ室行く?キーボードも持ってきてるには持ってきてるけど」
「いや、今日は練習室の予約とってもらってあるし、藤澤さんが迷惑でなければキーボードの演奏してるとこも見たいです。自分もこれまでにあんまり縁がなかったし」
そういうことなら、と学内のカフェから練習室へと移動することにした。
「重くないですか?」
それ、と藤澤さんが背負っている黒のキーボードケースを指さす。彼は、あぁ、と苦笑して
「結構重いよ、僕のはケース含めて7キロくらいあるかなぁ。もちろんもっと軽いのもあるし、もっとずっと重いのもある」
「7キロ……」
体力に自信のない俺にとっては、それを歩いて持ち運ぶなんてちょっと考えたくもない。
「でも重いのは慣れるよ。慣れないのは街中とか電車乗った時の視線かなぁ。なんだあのでっかいのって」
ははは、と彼はちょっと楽しそうに笑う。
そんな話をしているうちに練習室に到着する。部屋の中は少しだけ埃っぽいにおいと、スピーカーなどの機械特有の金属じみた冷たいにおいがまじりあっていて、かつて練習のために通い詰めていた安くてぼろいスタジオを彷彿とさせた。
「ちょっと待っててね」
藤澤さんが、よいしょ、とキーボードケースを肩からおろし、手際よくキーボードを取り出して設置を進める。赤色のボディにはインディーズバンドのものらしきステッカーが幾種類か貼ってあり、藤澤さんのバンドのものもあるかと目を走らせたがよく分からなかった。鍵盤などの様子からかなり使い込まれているのがわかるが、大きな傷などはなく、丁寧に扱われているのがよく分かる。
「そんなに面白い?」
あまりにもまじまじと見つめすぎていたためだろう。藤澤さんが照れくさそうに笑う。俺も急に恥ずかしくなって目を伏せた。
「あ、あのノートに書いてた曲、ピアノを弾いてるときに思いつくって言ってたじゃないですか。キーボードでもするんですか?」
話題を変えようと思いついたことを口にしてみる。
「うん、シンセ入れて遊ぶのも好きだからそういうのもあるよ」
いつもの黒いトートバッグから例の赤いリングノートを取り出し、ぱらぱらと頁をめくる。
「これとかそうなんだけど……」
藤澤さんがノートに書いた譜面を見せてくれるが、俺は曖昧にへぇ、と頷くしかない。というのも、作曲する身としては珍しいといわれるが、楽譜を読むことができないのだ。それもあって前回はノートの内容についてあれこれ話すよりも先に、実際に引いてもらうことで「譜面を読む」という行為を回避したのだ。俺の反応の薄さを見たせいだろう、藤澤さんが申し訳なさそうに眉尻を下げながら
「キーボードは大学に入ってから始めたから、作り方とか組み合わせ方が自己流過ぎるんだよね」
といってノートを閉じようとする。俺は慌てて、違うんです、とそれを制した。
「その、恥ずかしくて言いたくなかったんですけど俺、楽譜が読めないんです。昔は曲も、作った音をメンバーに耳コピしてもらってて」
藤澤さんが驚いたように目を見開く。
「そうだったんだ……。中学で吹奏楽やってた時に、同じフルートでそういう子がいたよ。すっごい耳と記憶力がよくって、僕が一度吹いてみせるとそれでもう覚えちゃうんだ。僕は記憶力悪くてすぐ忘れちゃうから憧れてたなぁ」
そう言って、彼は照れたように笑う。
「でも、そういうことならせっかくだし、自信のあるやつ弾いちゃお」
譜面台にノートを置いて、楽しそうにキーボードの前に立つ。なんだ、自信あるやつあるんじゃないですか、と揶揄うと、彼はいたずらっぽく笑ってみせた。
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長らく更新が空いてしまいました……!お待たせしました!
個人的に今週はこの先の人生を左右する(?!)試験があったりなんだり、戦いの1週間でした。そのため先週あたりからストックを消費し、とうとうストックも切れて更新が空いた次第でした。
その間もたくさんのいいねやコメントありがとうございます!うれしい……
結果はまだですが、無事終わったということもあり、心置き無く続きを書ける……!
また日々更新がんばっていきますので、よろしくお願いします!
長々と失礼いたしました〜
コメント
12件
人生左右する試験、本当にお疲れ様でした!!! ちょっとすねてるひろぱも気になります🤭💕
更新ありがとうございます!!この作品が大好きなのでつづきがすごく楽しみです!
続き気になってたので嬉しいです☺️ ここからどうなっていくのかすっごい楽しみです✨