視点、陽姫
おにいちゃんの部屋のランプの光に照らされたアルバム、鍵、そしてスケッチブック。それら全てが、七年間私が築き上げてきたこの家の「家族の形」を、根底から揺さぶっていた。
「美佐子さんが……伯母さん……」
私の口から出た言葉は、か細い響きだった。涙腺が緩んだのは、美佐子さんに裏切られたからではない。むしろ、その愛情の深さと複雑さに、心が締め付けられたからだ。
「どうして、血縁を隠したんだろう……。伯母さんだって言ってくれれば、もっと……」
「ひな」おにいちゃんが静かに言った。「美佐子さんは、俺たちが余計なプレッシャーを感じるのを嫌ったんだ。お母さんの死後、すぐに血縁の家に引き取られれば、俺たちは『亡くなった妹の遺児』という重荷を美佐子さんに負わせていると感じてしまう。美佐子さんはそれを避けたかったんだ」
私は写真の中の美佐子さんの笑顔を見つめた。そうだ。美佐子さんは、私が無理に明るく振る舞い、おにいちゃんが無理に心を閉ざす必要のない、純粋な里親の愛を与えてくれていたのだ。
「私たちが、美佐子さんを悲しませないように、美佐子さんはずっと私たちを愛してくれたんだね……」
私の頬を、熱い涙が伝った。この優しさが、真実
次に、おにいちゃんはスケッチブックの遺言を私に読ませた。
「美佐子さんへ。陽姫は、絵が描けなくても、誰よりも色を知っている子です。あの子がこの先、光を失いそうになった時、この鍵を使って、あなたの家族の大切なものを、あの子の手に。お願い。陽姫の未来を、守ってあげて。」
「『光を失う時』って、いつだろう」私は不安で声が震えた。「事故とか、病気とか……そういう、何か悪いことが私に起こる予言?」
おにいちゃんは首を横に振った。彼の瞳は、深く、熟考している。
「俺は当初、そう思っていた。だから、お母さんの願いを果たすべき時がいつ来るのか、怯えていたんだ。でも、アルバムを見て、美佐子さんが『希望の小箱』を作っていたメモ書きを読んだとき、考えが変わった」
おにいちゃんは、美佐子さんの「小箱」に関するメモ書きを見せた。
「この『希望の小箱』の依頼主へ。完成しました。私たちが再び笑い合える日のために。必ず、鍵は妹に渡します。」
「お母さんと美佐子さんは、二人とも画家を目指していた。美佐子さんは『形』を創ることに長けていたが、今はその活動を一切していない。お母さんは『色』の才能を持っていたが、病に倒れた」
おにいちゃんは言葉を選びながら続けた。
「ひな。お母さんは、お前のことを『誰よりも色を知っている子』と表現している。それは、お前の得意な色彩感覚のことだ。美術は苦手かもしれないが、お前がいつも服や料理の色の組み合わせにこだわるのは、並外れた色彩への感性があるからだ」
私は、自分の日常を振り返った。そうかもしれない。私は、誰よりも食べ物の色が美味しそうに見える配置にこだわり、美佐子さんの服選びをすると、いつも「センスがいい」と褒められる。
「もし、『光を失う時』が、才能に気づかないまま大人になってしまう時だとしたら?」私はそっと提案した。
おにいちゃんは目を閉じて、静かに頷いた。
「お母さんは、自分の夢を託すような形で、俺たち双子の才能を美佐子さんに託したかったんだ。美佐子さんの『形』の才能と、ひなの『色』の才能を、この『希望の小箱』を通して結びつけようとしたんじゃないか」
その瞬間、私の背筋に電撃が走ったような衝撃が走った。
「そうか!お母さんは、私の才能を開花させるための導きとして、美佐子さんを、そしてこの小箱を残したんだ!私に光を失わせないように」
私たちは、美佐子さんが伯母であること、そして『希望の小箱』の真の目的を理解した。しかし、次にどうすべきかという点で、意見が分かれた。
「ひな。この箱は、お母さんが『光を失いそうになった時』に渡せ、と美佐子さんに託したものだ。俺たちが勝手に箱を開けてしまえば、お母さんの願いを裏切ることになる。美佐子さんもきっと、その時を待っている」
「でも、おにいちゃん。その『光を失う時』が、私たちが才能に気づくのが遅すぎた時だとしたら?待っている間に、私の才能の芽が枯れちゃうかもしれないよ!」
私は強く訴えた。この箱が私の未来に関わっているのなら、ただ座して待つことはできない。
「それに、美佐子さんは私たちに隠し事をしている。伯母さんであることを。もし、私が『私は光を失ってなんかないから、箱はいらない』と言っても、美佐子さんは信じられないかもしれない。だって、七年間も血縁を隠してきたんだから……」
おにいちゃんは黙り込んだ。彼が最も恐れているのは、美佐子さんをこれ以上、傷つけることだ。
「美佐子さんを傷つけたくないなら、私たちで箱を見つけ出して、それが私の未来に繋がるものだと証明するしかないよ。美佐子さんを問い詰めるより、ずっと優しい方法だ」
私たちは、しばらく沈黙した。時計の針が動く音だけが、部屋に響く。
「……分かった」おにいちゃんはついに折れた。
「美佐子さんを問い詰めるのは避ける。だが、箱を探すのは、あくまでお母さんの願いを成就させるためだ。ひな、絶対に美佐子さんに気づかれてはならない。美佐子さんが傷つくのは、秘密が暴かれたことよりも、俺たちが彼女を信じていないと感じることだ」
私たちは、この行動が美佐子さんへの究極の秘密となることを覚悟した。
「じゃあ、明日からどうする?美佐子さんは毎日家にいる。小箱はどこにあると思う?」私は尋ねた。
おにいちゃんは、鍵を握りしめ、目を閉じた。
「ヒントは、お母さんの遺言の中にある。『美佐子さんの家族の、大切なもの』。そして、美佐子さんが画家としての夢を諦めた理由……」
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