視点、朔
翌日。学校からの帰り道。
俺たちはいつもの通学路を外れ、古い商店街の方へ向かっていた。美佐子さんの家に来て七年、俺たちは美佐子さんの家族については知っていても、実母の家族、つまり祖父母については全く知らされていなかった。
「美佐子さんが伯母さんなら、お母さんの実家は、美佐子さんの実家でもある。美佐子さんは、お母さんの家族の話をほとんどしなかった」ひながリュックを揺らしながら言った。
「でも、お母さんが『希望の小箱』の鍵をおにいちゃんに渡した以上、その箱はきっと、二人のルーツに関わっている」
「ああ。美佐子さんが血縁を隠したのも、過去を掘り返されたくなかったからかもしれない。でも、小箱の場所を探すには、手がかりが必要だ」
俺たちは、実母の遺品の中にあった古い年賀状の束から、唯一、毎年欠かさず届いていた差出人を見つけ出していた。
『若月 園子』。美佐子さんと同じ「若月」の名字。
「美佐子さんのお母さん、つまり俺たちの祖母だ。住所は、隣町の古い工芸品街だ」俺はひなに年賀状を見せた。
「祖母……会えるかな。美佐子さん、お祖母さんの話は一度もしてくれなかったけど」ひなは不安そうだ。
「ひなは、美佐子さんを信じている。なら、美佐子さんの実の母親である祖母に会って、話を聞くことが、美佐子さんを傷つけない最善の方法だ」俺は、そう言い聞かせるように言葉を紡いだ。
古い木造の家屋が並ぶ工芸品街の一角に若月園子の家はあった。表札の隣には、小さな看板で若月工藝」と書かれている。
門を叩くと、白髪を綺麗に結い上げた、物静かな雰囲気の女性が出てきた。美佐子さんにどこか似ている、品のいい顔立ちだ。
「あの……若月朔と申します。隣は妹の陽姫です。娘さんの……」
「わかっていますよ」祖母の園子は、穏やかながらも強いまなざしで俺たちを見た。
「美佐子から連絡は来ていませんが、あなたたちが来ることは、遅かれ早かれ分かっていました」
俺たちは驚いて顔を見合わせた。
家の中は、古い木材の匂いと、微かな絵の具の匂いが混ざっていた。リビングには、様々な木工品や、色鮮やかな織物などが飾られている。
園子さんは、静かに美佐子さんと実母の過去を話し始めた。
「美佐子と、あなたたちの母親の葉月は、仲の良い姉妹でした。葉月は色彩の天才で、美佐子は形を作るのが得意だった。二人で、いつか『色と形が一体となった芸術』を創り出す夢を抱いていた。
そして、園子さんは重い口を開いた。
「二人の間に、決定的な亀裂が入ったのは、葉月が病気になる数年前、あるコンクールでのことです」
園子さんの話によると、二人は一つの作品を共同で出品したが、審査員から「形は素晴らしいが、色が平凡すぎる」という酷評を受けたという。
「美佐子は、『自分の形のせいで葉月の色彩が活かせなかった』と深く傷ついた。葉月は、『美佐子の形を表現する色が足りなかった』と、自分を責めた。そして、美佐子は『もう二度と、色の入らない形は作らない』と宣言し、夢を諦め、美術の世界から身を引いたんです」
そこで、ひなが身を乗り出した。
「色が、入らない形……。それが、美佐子さんが作った『希望の小箱』のことじゃないですか?。
園子さんは驚いたように陽を見た。
「あなたは……本当に、葉月にそっくりな子ね。ええ。葉月は、美佐子のその宣言を聞いて、『私の未来の色彩を全て注ぎ込む、形だけの箱を作ってほしい』と依頼したんです。それが、希望の小箱」
「その箱は、どこに隠されているんですか?」俺は尋ねた。
園子さんは首を横に振った。
「それだけは、美佐子の誓いだから、私にもわかりません。ただ、葉月は私に、『箱は、美佐子の才能が死んだ場所に置かれるでしょう』とだけ言いました」
俺たちは、祖母からの重要なヒントを得て、家路についた。しかし、その足取りは重かった。
「分かったよ、おにいちゃん。『色が死んだ場所』って、美佐子さんが自分の才能を殺して、二度と絵を描かないと決めた場所だ。美佐子さんの、アトリエだった場所に違いない!」ひなは興奮気味だ。
「待て、ひな。美佐子さんの家に来て七年、美佐子さんのアトリエなんて見たことがない。それに、祖母の言葉をもう一度思い出せ。『箱は、美佐子の誓いだから、私にもわからない』。これは、美佐子さんが二度と触れない場所に隠したという意味だ」
俺は、ひなの前のめりな姿勢を諌めたかった。
「だからこそ、おにいちゃん。美佐子さんは、その場所を自分の生活から完全に切り離しているはず。私たちが探すべきは、家の中の『使われていない空間』か、美佐子さんが唯一、無表情になる場所だ」
ひなは、とにかく今夜にでも探し出したいという焦燥感に駆られている。
「違う。俺は、ひなの『才能の可能性を失う時』が、俺たちが美佐子さんを傷つける時だと確信している。俺たちは美佐子さんを信じるべきだ。彼女を信じ、小箱を渡される『正しい時』を待つべきだ」
「おにいちゃんは、いつもそうだ!」ひなは立ち止まり、俺を睨んだ。
「何も行動せずに、ただ待っていればいいって?美佐子さんが伯母さんだってことを黙っていたのは、私たちを守るためだったかもしれない。でも、美佐子さんは、私たちの前で自分の夢を殺しているんだよ!それを知って、どうして何もせずいられるの?」
ひなの言葉は、俺の胸に突き刺さった。俺が秘密主義になったのは、行動せずに影に隠れている方が安全だと思っていたからだ。
「美佐子さんは、私たちが才能を開花させることが、自分の夢を諦めたことへの救済だと知っているはず。だから、私たちが行動を起こすことこそが、美佐子さんへの最大の優しさなんだよ!」
ひなはそう言い放ち、俺を置いて走り出した。
「ひな!待て!」
俺はひなを追いかけたが、彼女は止まらない。
俺たちの間には、初めて、修復が難しいほどの深い溝ができたように感じられた。俺が守ろうとする「待つ優しさ」と、陽姫が求める「行動の優しさ」。







