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引っ越して二日目の夜。
アパートの古い木の床が軋む音に、悠真はまだ慣れていなかった。外は都会の喧騒から隔絶されたように静まり返っている。窓の外のネオンも、遠くの車の音も、すべてが遠く、どこか別の世界にいるようだ。
カサ……カサ……
その音は昨夜と同じように、壁の隙間から聞こえてきた。最初は無視しようとしたが、耳を澄ますと規則正しいリズムがあることに気づく。まるで呼吸のようだ。
布団から起き上がり、そっと壁に耳を寄せる。
——確かに、誰かがこちらを見ている。
その瞬間、微かに声が漏れた。
「……こっちを見て。」
悠真は息を止めた。声は低く、囁くようで、直接耳元で語りかけられているように錯覚する。恐怖と、説明のできない懐かしさが胸に渦巻く。
「……こんなはずじゃない」
独り言をつぶやき、悠真は布団に潜り込む。だが目を閉じても、隙間の声が頭の中で響く。
カサ……カサ……カサ……
翌朝、同僚の高橋美咲に電話で相談する。
「夜中に変な音がするんだ。カサカサって……壁の中から聞こえるみたいで」
「えっ……またあの部屋のこと?」
美咲の声にはわずかな動揺が混じっていた。
「前の住人、突然いなくなったの。夜中に変な音がしたって聞いてる」
悠真はその事実を聞いて、心臓が跳ね上がった。
“隣室は空き家のはず”――そのはずなのに。
夜、再びアパートに戻った悠真は、決心して隣の壁に耳を押し当てる。
そして、壁の奥から確かに聞こえた。
「……来て。」
それは命令のようでもあり、誘いのようでもある声だった。悠真は立ちすくむ。恐怖と好奇心、そして得体の知れない親近感が入り混じり、頭の中は混乱する。
その瞬間、床の軋む音とは別に、壁の中で何かが動く気配があった。
悠真は思わず後ずさる。しかし、心の奥底で声が呼んでいる。
「……来て。」
その夜、悠真の眠れぬ時間は、隙間と囁きに支配されていった。