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翌日。
仕事中も、悠真の頭の中には昨夜の声が鳴り響いていた。
カサ……カサ……
まるで壁の中の空気までが自分を包み込み、呼吸しているかのような錯覚に陥る。
昼休み、思わず美咲に話してしまう。
「昨夜、また……声が聞こえたんだ」
美咲は目を伏せ、眉間に深い皺を寄せた。
「悠真さん……気にしすぎじゃない?でも、前の住人のことを知ってるの……確かに夜中に変な音がしたって聞いたわ」
その言葉が、悠真の胸に重くのしかかる。
“隣室は空き家のはず”なのに、確かに誰かがいる。あるいは、何かが潜んでいる。
夜。
アパートに帰ると、壁の向こうから再び微かな音が響いてきた。
カサ……カサ……
悠真は思わず壁に近づき、耳を押し当てる。
「……見てるよ、ずっと」
声は低く、囁くようで、間違いなく昨夜のものだった。
怖い――恐ろしいはずなのに、悠真は壁の隙間を凝視して離れられない。
まるで、壁の奥に何か大切なものが隠されているかのような気さえしていた。
その夜、奇妙な夢を見た。
暗いアパートの廊下を歩くと、壁の隙間から手が伸びてくる。悠真はそれを掴もうとするが、手は宙をすり抜け、囁き声だけが耳元で響く。
「こっちに来て……」
目を覚ますと、布団の中で汗をかいていた。
しかし違和感は現実でも続く。
机の上に置いたコップがわずかに動いている気がした。
カサ……と、壁の奥から音が聞こえる。
翌日、管理人の山本に思い切って尋ねる。
「隣、前の住人、どうなったんですか……?」
山本はしばらく黙り込み、険しい目で悠真を見た後、やっと口を開く。
「……そういう話は、あまり詮索しない方がいい。ここに住む人は、皆、何かを抱えてるものだ」
はぐらかされた言葉に、悠真はさらに恐怖を募らせる。
しかし同時に、壁の奥に引き寄せられる自分を止められない。
その夜。
壁の隙間に耳を押し当てると、声は以前よりも鮮明に聞こえた。
「来て……もうすぐ、会える」
悠真の心はざわつき、体は震えた。
恐怖――好奇心――孤独。三つの感情が混ざり合い、彼を“隙間の奥”へと導き始めていた。