コメント
1件
はい、天才。2話もありがとうございます!まじ癒し空間すぎました!こっちの疲れまでとれそうです笑
「明日を迎える理由」
目を開けると、ほとけがすぐ目の前にいた。
寝起きのくしゃっとした髪。
少し赤い寝ぼけた目。
俺の胸に腕を絡めたまま、離れようとしない甘ったるい存在感。
朝の日差しがカーテンの隙間から差し込み、ほとけの頬をやさしく照らしていた。
「……ん……いふくん……?」
寝ぼけ声。
これがまた、心臓に悪い。
「起きろ。もう七時や」
「あと五分……」
「五分言うて絶対三十分寝るやつやん」
「そんなことないよ……」
「嘘つけ。昨日もそうやったやろ」
「……昨日は昨日、今日は今日だよ……」
「屁理屈言うな」
俺は軽くほとけの頬をつついた。
するとほとけは少しだけ眉を寄せて、でも目を開けずに俺の胸に顔を擦り寄せてきた。
「……もうちょっとだけ……こうしていたいな……」
「……………」
胸の奥がぎゅっとなった。
あかん。
朝から甘えてくるのは反則や。
社会人やのに、こんなふうに誰かに甘えられる日が来るなんて昔は思ってへんかった。
でも、それが今ここにある。
「……しゃあないな。五分だけや」
「ほんとに? やった……」
その瞬間、ほとけが嬉しそうに微笑み、ギュッと俺の胸にしがみついてきた。
「いふくんの匂い……落ち着く……」
「やめぇや。恥ずかしいやろ」
「恥ずかしくないよ……恋人だよ……?」
「……知らん。寝ろ」
「寝ないよ。いふくんを抱きしめるの」
「……アホ」
そう言いながらも、俺の腕も自然にほとけの背中へと回っていた。
毎朝こんなんしてたら、仕事行く気なくなるわ。
でも、それを言ったらほとけが喜ぶのがわかってるから、言わへん。
◆
結局、五分のはずが二十分になった。
慌ててシャワーを浴びて、スーツに袖を通しながら俺は言った。
「ほんま、お前のせいやからな」
「えぇ!?僕のせい?いふくんが離してくれなかったくせに」
「言うな!」
「だって本当のことだもん」
ほとけは朝食の味噌汁の味を見ながら、ケラケラ笑っている。
こいつの笑い声は、ほんまに家を明るくする音や。
俺たちは同じテーブルにつき、急ぎながらも朝ごはんを口に運んでいた。
鮭と卵焼きと味噌汁。
簡単なメニューのはずやのに、ほとけが作るとなんでこんなにうまいんやろう。
「……ん、うんま」
「ほんとに?よかった」
ほとけは嬉しそうに目を細めて、味噌汁を飲んだ。
「いふくん、今日さ……」
「ん?」
「帰り……早く帰れたら、また一緒にご飯作らない?」
「ええけど……なんかあるんか?」
「ううん、別に。ただ……いふくんと並んで作りたかっただけ」
「…………」
こういうところがずるいねん。
「ほとけ」
「なぁに?」
「……そんな可愛いこと言うてたら、家出られへんくなるやろが」
「え?僕、可愛い?」
「言わせるな!」
「えへへ……」
ほとけは嬉しすぎて、スプーン握ったまま身体を揺らす。
ほんまに子どもみたいや。
◆
家を出て電車に乗り、職場へ向かう途中。
満員電車の揺れで体力の三割くらい持っていかれながら、俺はぼんやり考えていた。
――ほとけと住み始めて何ヶ月やっけ?
半年以上。
最初は緊張ばっかで、寝る前に沈黙して気まずかった日もあった。
でも今は違う。
寝る前にくっついて、朝起きてもくっついて、気づけば一日のほとんどを隣に居るだけで満たされてる。
社会人ってこんなもんなんやろか。
忙しい毎日の中に、一個だけ本気で守りたい場所ができる。
……それが、俺にとってはほとけやった。
◆
仕事はいつも通り容赦なく降りかかった。
「威風!この書類まだやぞ!」
「すんません、今やります!」
上司に怒鳴られ、昼休みもろくに休めず、夕方になっても片付かへん仕事の山に気持ちが沈む。
でも、ふとケータイを見る。
【ほとけ】
『今日ね、帰ってきたらデザートあるよ。いふくんの好きなプリン。』
それだけで、息がふっと軽くなった。
家に帰ったら、ほとけが待ってる。
それだけで頑張れる。
人ってこんな単純になれんねんな。
◆
帰宅は少し遅くなってしまった。
家の鍵を開けると、またあの柔らかい匂いが広がる。
「いふくん、おかえり!」
走ってきて抱きついてくるほとけ。
外では絶対しない行動やから、余計に胸にくる。
「遅かったね。お疲れさま」
「……すまん。仕事押してもうて」
「いいよ。待ってた」
ほとけは俺の背中に腕を回したまま、そっと頭を撫でてくれる。
「今日はね、いふくんの好きな唐揚げ作ったよ。あとプリンも冷えてる」
「……お前、なんでそんな優しいねん」
「好きだから」
即答されて、心臓が跳ねた。
「今日はいっぱい頑張ったんでしょ。顔見たらわかるよ」
「……わかるなや」
「んふふ、わかっちゃうんだなぁ」
からかわれてるのに、ちっとも嫌ちゃう。
むしろその声を聞くために頑張ったんやと思えてくる。
◆
晩ご飯のから揚げは、ほとけ特製の味でめちゃくちゃうまかった。
「いふくん、口の横ついてるよ。ほら」
「つけてへん!」
「ついてるって。動かないでね?」
ほとけがナプキンで俺の口元を拭った瞬間、胸がぐわっと熱くなった。
「……なんでそんな面倒見ええねん」
「僕はね、いふくんが疲れて帰ってくるのが一番嫌なんだよ。だから、少しでも『ここに帰ってきてよかった』って思ってほしいの」
「…………思ってる」
ほとけが一瞬目をまん丸にした。
「……いふくん。今の、めっちゃ嬉しい」
「言わせんなや」
「でも言ってくれたよ?」
「……気まぐれや」
「絶対気まぐれじゃない」
言い返せへん。
でも、そのやり取りがなんかむず痒くて、心地よくて、俺は少し笑ってしまった。
◆
食後のプリンを食べて、ほとけが食器を洗っている間、俺はソファでぼんやりしていた。
背中が沈む感覚。
それだけで、体が「休んでええ」と言ってくる。
「いふくん」
「ん?」
皿を片付けたほとけが隣に座ってきた。
さっきより近い。
肩が触れるほど。
「今日さ……何か嫌なことあった?」
「別に」
「ほんとに?」
「…………ちょっとだけや」
仕事で怒鳴られたこと、頼まれた仕事が終わらんかったこと。
言おうと思えば言えるけど、なんかかっこ悪くて言えへん。
でもほとけは聞いてくる。
「ねぇ、いふくん」
「なんや」
「……僕にだけは、強がらなくていいよ」
「…………」
「誰にも言えないこと、ここでだけ言っていいよ。僕、いふくんの味方だから」
ほとけの声が優しくて、胸の奥がじわっと熱くなった。
「……嫌なことがあかんほどあったわけやない。ただ……疲れただけや」
「うん」
「たまに、わけわからんくらいしんどなる日あるんや」
「うん」
「……今日が、その日やっただけや」
言葉にしてから、少しだけ胸が軽くなった。
ほとけは黙って聞いてくれていた。
それから、そっと俺の手を握る。
「……言ってくれてありがとう」
「……別に」
「でもね、いふくん」
「ん?」
「そういう日は……僕がいるよ」
当たり前みたいに言うな。
それが余計に胸に響く。
「……ほとけ」
「はい」
「……今日は、一緒に寝よな」
「うん、もちろん」
「……もっとくっついて寝よ」
「え!?いふくんから!?」
「言わせんな!」
「へへ……嬉しい……」
ほとけの手が俺の指をぎゅっと握り返した。
◆
夜。
ベッドに入ると、ほとけはすぐに俺に腕を回してきた。
「いふくん、おいで」
「誰が行くか」
「来てくれるまで離さないよ?」
「……ほんま、しつこいな」
「恋人だからね?」
言いながら、ほとけは俺の頭を胸に引き寄せた。
心臓の音が聞こえる距離。
その鼓動がゆっくりで、あったかい。
「……ほとけ」
「うん?」
「お前な……」
「なぁに」
「今日……ありがとうな」
言った瞬間、ほとけが息を呑む。
「……いふくん」
「なんや」
「僕……ほんとに嬉しい……」
ほとけは俺を抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。
「いふくんが、“ありがとう”って言ってくれる日ってさ……僕にとっては、すごく大事な日なんだよ」
「……重いこと言うなや」
「重くないよ。ただの本音」
「……俺も、本音やけどな」
ほとけがゆっくり顔を上げた。
「え……?」
「今日は……しんどかったとこ、お前が全部軽くしてくれたわ」
その瞬間、ほとけの目の奥が潤んだ。
「……いふくん……」
「泣くなや」
「泣いてないよ……泣いてない……」
「泣いとるやろアホ」
「……いふくんが優しいこと言うから……」
「知らんわ」
言いながら、俺はほとけの頭にそっと手を置いた。
「……これからも、頼むわ」
「……うん」
「俺のしんどい日、全部お前で埋めてくれ」
「……うん。埋める。何回でも埋めるよ」
ほとけは震えながら俺の胸に顔を埋めた。
「……いふくんの明日が、少しでも楽しくなるように……僕、ずっと隣にいるから」
「……勝手におれ」
「勝手にいるよ」
その答えがあまりに自然で、胸が溶けそうになった。
◆
ほとけが眠りに落ちたあと。
俺は薄暗い部屋の中で、となりにいる人の寝息を聞いていた。
――俺の“明日”を迎える理由。
仕事でも、社会でもなく。
この家に帰ってきたときの「おかえり」と「ただいま」。
それをくれるこの人が、俺にとって何より大事やと気づいた。
ほとけの髪をそっと撫でながら、俺は小さく呟いた。
「……ほとけ。
……好きやで。ほんまに」
その言葉は、静かな夜の中に溶けていった。