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水柱の思い
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今日は夏目が稽古に来る日だ。
前回の稽古終わりに鮭大根を作ってくれた夏目。噂には聞いていたが、本当に料理が上手い。
今日も稽古の後で夕食を作ってくれると言っていたので、食事の仕度は不要だと隠に伝える。
正直言って、彼女が来てくれるのが密かな楽しみになっていた。
『冨岡さん、今日もよろしくお願いします!』
「ああ、よろしく」
木刀を握り、向かい合う。
夏目が打ち込んでくるのでそれを木刀で受け、こちらからも軽く打ち込む。
あまり怪我をさせたくないので寸止めにしてやりたいところだが、彼女のことを思うとやはりちゃんと打ち込んでやらねばならない。
しかし大分、こちらからの攻撃にも素速く反応して躱したり受けたりできるようになったな。
夏目は主に水の呼吸を使う。そして炎の呼吸も少し。最近、栗花落に教わった花の呼吸の一部と、時透のところで霞の呼吸の一部も教わって使えるようになったらしい。
水の呼吸の型を一通り復習する。
元々、合気道(聞いたことのない武道だが、大正時代末期から次の年号の時代にかけて創始された武道らしい)を習っていたという夏目は、体幹もしっかりしているし受け身も滑らかだ。
合気道は護身術として習っていたそうだが、それを実際に使うことがないのが理想だ。なのに突然この世界にやってきて、習ってきたことを使わねばならなくなった彼女の立場を思うと胸が痛む。
お館様や柱9人の前でも臆することなく弓を引いた夏目。
鬼殺隊に入り、弓だけでなく刀も扱うようになった彼女は、誰もが目を見張る速度で剣術を身に着けた。
夏目の作る料理も、噂通りとても美味しかった。割烹着を着て台所に立つ彼女の姿は、大好きだった姉を想起させ、懐かしさと寂しさに少しだけ胸の奥が苦しくなった。
本来夏目は俺たちとは関係のない世界で、平和に幸せに暮らしていた筈なのに。
剣を、弓を手に戦わなければ命が危ぶまれる日々。
家族や友人と突然離ればなれになって、さぞかし心細い思いをしているだろうに、それを微塵にも感じさせない。
稽古が終わり、片付けや道場の掃除をしながら、夏目は今日も鼻歌を歌っている。
澄んだ声で自由に奏でる旋律を聞くのも俺の密かな楽しみのひとつだった。
「夏目は…元の世界に帰りたいと思わないのか?」
俺の愚かな質問に、手を止めてこちらを見る夏目。
『もちろん、帰りたいですよ。帰れるもんならね。…こっちに来て初めの1ヶ月くらいはホームシックにもなりました。家族はどうしてるのかな、とか、私がここにいる間、向こうではどんな状況なんだろうか、とか、そもそも帰る方法なんてあるのかなとか色々考えちゃって。でもしょぼくれてても仕方ないから、こっちでの生活を楽しもうと思って』
少し寂しげに微笑む彼女。
普段の明るい顔とは異なる、儚い一面。
『それに私、ここでの生活にも愛着を感じちゃって。皆さんが支えてくださるから私は知らない世界で踏ん張ることができました。だから私も皆さんの役に立ちたいし、自分にできることをしたいんです 』
「…それが料理をするということか」
『はい。今日も張り切って作りますね!』
いつものように明るく笑った夏目。
それを見て自分の中に優しく温かな感情が湧き出てくる。
掃除を終えて台所へ。
割烹着を身に纏い、手際よく食事の用意をする夏目。
程なくして、いい香りが漂ってくる。
『冨岡さん、お待たせしました。ごはんできましたよー!』
「ああ、ありがとう」
今日も鮭大根を作ってくれた。 その他には味噌汁に、出汁巻き玉子、胡瓜の酢の物。米もつやつやに炊きあがっている。
「美味い。いつもありがとう」
『お口に合ってよかったです。冨岡さんの笑った顔、優しくてすごく好きです』
照れたように言う夏目。
俺は笑っていたのか?
でも無意識に笑顔が出るくらい、夏目の料理が美味いのは確かだな。
『食後のデザートもありますよ』
そう言って出してきた甘味。
黒蜜ときな粉が掛かった団子だった。
柔らかくて、でも歯ごたえもしっかりある。
「これも美味いな」
『よかった。お豆腐を混ぜてるので時間が経っても柔らかいんです。宇随さんのお家でも好評でした』
嬉しそうに笑う彼女。
ああ、まただ。また胸の奥が温かくなる。
自分は末っ子だったから、あまり経験したことのない感情だけれど、もし下にきょうだいがいたらこんな感じだったのだろうか。
両親や姉は、こんな風に自分を見ていてくれたのだろうか。
「夏目…いや、“つばさ”」
『はっ、はい!』
俺が突然名前で呼んだからなのか、驚いたように大きな瞳を見開く。
「今日の食事も美味しかった。団子も。また作ってくれるか?」
『はい!もちろんですよ! 』
花が咲いたように笑う椿彩。
俺が彼女の頬をそっと撫ぜると、椿彩も嬉しそうに目を閉じて俺の手に自らの手を重ねてきた。
叶うなら、椿彩を元の世界に返してやりたい。でもその方法も、できるのかさえ、何も分からない。
どうか生きてくれ。
お前は、俺を含め鬼殺隊にとってかけがえのない存在だから。
命を脅かされることのない世界に戻って、天寿を全うしてほしい。
もし、この先も彼女が元の世界に戻れずここに残る時は。
俺が…俺たちが全力でお前を守るよ。この命に変えても。
つづく