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#料理男子
俺の発言の意味も分かっていない様子で、彼女は悩んでいるという大学のパンフレットを見せてくれた。
『だから、父や兄をサポートするのに事務系の資格が取りたいので専門学校にするか、ここの秘書科がある大学がいいのか悩んでるんです。秘書科って品格や幅広い教養を身に付けるって、息が詰まらないかなとか』
とても可愛らしい悩みをもっている彼女の相談役はとても楽しかった。
ご両親や兄からもらった愛情を、こうやって愛情で返そうとしている部分が、自分にはないもので、そして自分に足りないもの。欲しかったもの。
……もし。もし彼女が迷惑でなければ。
大人になったとき、浚ってもいいだろうか。
相談に乗るうちに、頼られるのが嬉しかった。
甘えてくれる存在は、どうたら自分をしっかりさせる成長につながるらしい。
彼女の前では少しだけ、大人ぶってしまう自分に気づくと、もう自覚せずにはいられなかった。
一矢が一人暮らしを決め家を出るときに、俺も丁度大学が忙しくなるので家庭教師を一旦やめることにした。
辞めても、一矢とは今後も付き合いがありそうだし、俺の方はこれで繋がりがなくなるとは思っていなかった。
だから家庭教師の最後の夜、おじさんと一矢が飲みすぎて寝落ちした後、彼女と二人でタオルケットをかけながら、互いに顔を見合わせ笑いあった時、確かに俺は未来を感じていた。
『喬一さん、一人暮らしですか?』
『あー、そうだよ。でも忙しいときは、洗濯物をカバンにつめて実家に眠りに帰ったりしてる。この歳で情けないんだけどね』
『命を預かる仕事ですから、大学も大変なんですよね。良かったら、おばあちゃんのお野菜が沢山あるので持って帰ってください』
『自炊はしないから、野菜をもらっても。でも本当に美味しいよね』
『喬一さんはいつも祖母の野菜で作ったおかずを褒めてくださるから、私も嬉しいです』
そういうと『これ、今日買ったお弁当箱だから』とお弁当箱を洗い、中に野菜のおかずを沢山詰めてくれた。
『私も、もっと料理しなきゃ。おばあちゃんのご飯には到底及ばないので』
お弁当を差し出してくれたので、遠慮なく受け取ると彼女ははにかむ。
ああ、可愛いなと思うと同時に、彼女がいつも笑顔で食事をしているのを思い出した。
実家は相変わらず嫌な分家が顔を出す。事業を拡大したいから資金援助しろと、どの面で言いに来るのか厚かましい連中だ。
謝罪に来たと思えば、うちが持っているある権利が欲しいだの承諾してほしいだの、言い訳ばかり。
少しで良い。細やかでいい。
例えば、紗矢がくれたこの小さなお弁当のように。
お弁当箱を開いたら、入っている細やかな幸せで俺は満たされる。
料理を作るようになったきっかけも、あのお弁当箱のおかげだ。
同じタイミングで一人暮らしの一矢の家に、段ボールいっぱいに送られてきた土のついた野菜を、半分押し付けられた時からだ。
『ばあちゃん、俺にも野菜を送ってくるようになったんだよ。喬一くん、持って帰って』
細かい作業は苦ではなく、むしろ料理は仕事や家でのごたごたで鬱憤がたまったときのいいストレス解消にもなり、あのお弁当箱に細やかな幸せを詰め込む作業は楽しい。
ただやはり甘いものは苦手で、一矢や紗矢と食べるケーキ以外で甘いものを美味しいと思うことはほぼなかった。
*
俺も就職して、一矢も父親の会社に入社して、数年忙しく疎遠になっていたが、自分は彼女を迎えに行く土台造りをしている期間だと思っていた。
自分が一人前ではないのに、口説くのは、潔癖すぎるかもしれないが自分で自分が許せず、もう少し仕事が落ち着いてからなんて悠長にしていた。
でも一矢の家に行き、偶に彼女の話題になって、気になる愚痴を聞かされた。
『妹が、男の影が全然ないから心配なんだよね。最近は携帯のゲームにはまって、俺の家でゴロゴロ入り浸ってるんですよ』
そんな風に愚痴をこぼす一矢の言葉に、安心してしまう自分がいた。
過保護な父や兄のせいで、自分から恋愛をしようとしない消極的な部分は付け込める。
そんな打算的な男だが、彼女に好きになってもらおう。
俺が彼女の家で食べる甘いデザートが好きだったように。
いつまでも食べていたいと思うような甘いデザートのように。
彼女を虜にしてしまおうと。
『30歳までに結婚できなかったらもらってください』
俺の思惑も知らないで、そんな言葉を吐いていいのかな。
君が言ったのだから、俺は絶対にもう、逃がしはしない。
顔が綻んで、ついついみっともなく笑ってしまった。
『30歳なんて面倒くさい。今すぐでいいだろう』
今すぐでいい。焦ってその場でそんな言葉を吐いて、甘い言葉は言えなかったけど。
ちゃんと毎日、好きだと囁くよ。囁けば囁くほど、君は吸収してくれるのだから。
チャンスだ、逃がすものかと、蛇に睨まれた蛙のごとく、さっさとお腹に収めてしまおうと決意した。
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