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異種族の男の子と聖騎士のお姉さんの話
異世界設定
登場する人
主人公……聖騎士のお姉さん
ヒナ……お姉さんの同期
化け物くん……人里に降りてきた異種族の1人
カキン、カキン、ギギ、と剣の交わり合う不快な音が響き、化け物の身体は宙を舞う。
化け物が木の枝を掴み、飛んだ先……、抗争により崩壊した教会の跡地のような場所に向かい走ると、秋の風により紅葉が擦れてガサガサと気味の悪い音を立てた。
汚れた煉瓦の積み重なった壁を背にこちらに向いた少年の姿をした化け物に、再度抜いた刃を向け直した。
「……観念して。いくら抵抗しても無駄よ」
「う…痛いぃ……痛いよぉ…!」
ナイフを顔のすぐ前に突き立て、壁際に追いやるようにして追い詰めた化け物は、私に痛みを訴えぼろぼろと涙を流しはじめる。
先ほどまでは、どれだけの深傷を負っても涙はおろか汗ひとつ流さなかったのだ、ヒナを誑かしたその演技力で、私を欺こうとしていると理解することは容易だった。
戦闘中についた傷跡が痛々しくて見ていられなくて、それでも異種族であることもこの国の人間を殺したことも全て事実なのに。
「私は、あなたを殺さないといけないの」
彼が何を言ったとしても、それは少年の姿形を模っただけの化け物に他ならない。
次々と溢れている涙を堪えることも袖で拭うことも、泣き顔を隠すこともしないその姿は、どこか人間のそれとは異なっているように思える。
「えーん… 痛いよ、お姉さんやめてよぉ…」
その姿が、泣き声が嫌いだと、そう思う。
一度見逃されたからと調子に乗って逃げることすらしない目の前の化け物が嫌いだ。
私は、ヒナみたいに甘くないのに。
人間は……ヒナは、泣くと言うことを過大評価しすぎだと思った。
感情が溢れると称されるそれに、ニンゲンは感動し感嘆を漏らし呼応し共に泣く。
それに関しては個人の自由だが、その現象を美談として唱え、泣けば許されるのか、などという論すら起こる人間の理論は、全くもって意味がわからないと思う。
なんでヒナは「泣く」という短絡的なコマンドを放たれたというだけで、親の仇に向けたはずの刃を下ろせたのか。
同じ痛みを負うことでしか本当の意味での謝罪など成し得ることはないのに、なぜ彼女は「泣くほど謝ってるんだから」と言ったのだろうか。
全くもって、意味がわからない。
そもそも、異種族と人間の仲は決して良いものとは言えない。お互いに戦争も紛争も絶えることはなく、家族や友達恋人の仇だと憎んでいるものも多いのだ。
それでも化け物を相手取るには力が弱いからこそ私たちに依頼をすることで殺そうとするのに。
それを、平然と見逃してしまったヒナ。
“異種族でも、いい人だっているかもでしょ?”
と、にこりと笑って言う彼女は、なぜあそこまで他の生き物を信頼できるのだろうか?
そもそも依頼主や私たちの了承すらなしにこの化け物を取り逃すだなんて。
人類のうちの生命体とこの化け物の涙を天秤にかけて、彼女の中では何もなかったのだろうか?
思考は堂々巡りのままで、結局私では理解の及ばない少女への疑念が深まるばかりだ。
「……おねえさんは、なんでだと思う?」
目の前に佇む少年の姿を模ったただの化け物は、下手な泣き真似をやめ小さく首を傾げてその場にいない少女のことで1人思い悩んでいた私にそう言い放った。
「…あら。何の話かしら」
「んー……、ヒナの真意?ていうか……んー…。
うん、おねえさんの、悩んでること!」
一応とぼけてみたが、この化け物は、彼は心が読めるのか、どうやら無駄だったらしい。
さっきまでの泣き真似をやめ、にこりと人受けが良さそうな笑顔を向けてくる。
私のことをお姉さんと呼ぶ年齢でもないだろうに、自身の容姿と私の言動に合わせて言っているであろうことは想像に難くなかった。
ヒナのことを呼び捨てする仲なのだという点においても、彼は人に取り込むことに長けていそうという私の勝手な読みを加速させている。
「あはっ、おねえさんぼくのこと信頼してなさそうだね!わかっちゃうよ、エスパーだから!」
「……そう。遺言はそれでいいのかしら」
……彼はやはり人の心が読める異形のようで、エスパーというのは言い得て妙だなと少し感心した。親の仇に信頼だなんて、馬鹿なことを抜かすものだ。
「……うーん、遺言はやだなぁ。おねえさんと、もっと話したいし?」
語尾にハートがつきそうなほどの間延びした猫撫で声に、少しクラっときそうになる。
ああ、やはりこいつは化け物だと心臓が叫んでいた。気持ちが悪いくらいに可愛らしい容姿をもつその少年は、自身が殺されるという可能性を1ミリも考えていなさそうだった。
「あなたは、今私に殺されそうになっているのよ?……私と話すだなんてそんな馬鹿なことする暇、あなたにあるの?」
「あるよ?おねえさんがぼくに時間を作ってくれたら……、ね?」
誤魔化すように吐いた言葉は、いとも簡単に返された。化け物はあっはは、僕かっこいい〜なんてまるで戯けるように呑気に笑っていた。
「……そう、だけれど。私は今、あなたを殺そうとしているのよ…?」
彼に向けたはずのその疑問符は、私に深く突き刺さったようだった。ヒナ相手のように泣きすらしない彼と、私はいま会話を試みているのかと思い、数分前の自分との落差に驚く。
ヒナが異種族に甘いと思っていたはずなのに、私の方が甘かったのだろうか?
やけに冷静な思考に反して動く手が、彼の首にかけたナイフを思わず少し下ろした瞬間、彼はまた呟くように、囁くように言葉を紡ぎ出す。
「あは。おねえさん、優しいんだねぇ?」
ヒナよりもずうっと優しいよ、と言って余裕綽々とでも言うように笑う彼に、完全にペースを奪われていた。
一度深呼吸をして、いつもの調子を取り戻して、こいつを殺せと己を鼓舞する。
……私なら、こんな小さな化け物程度何十何百と殺してきた。今更、負けるなんてない。今更ためらうなんて、なくていい。そう信じよう、と。
「…優しさじゃ、腹は膨れないのよ」
一度下ろしかけたナイフをまた向け直す。
私は親の仇を取らないといけない。
優しいんだね、とかなんとか。私の親を殺したあいつも、苦しむ母さんを笑いながらそう言っていた気がする。
飢えた生き物に食糧を分けてあげようとした両親の気遣いを無下にする行動が、両親が守っていたのが貧相な私だと分かった瞬間の失望の表情が。
骨の塊に興味はないと笑われた屈辱が、あの巨体を相手取ることへの確かな恐怖が。
家族も家も全てを蹂躙し尽くされた私には、そんな異種族たちに対するどうしようもない憤りが残った。
だから聖騎士団に入った。国中の人々を守れるほどに強くなれば、あいつを殺せると思ったから。
私は弱くて、隠れるしかできなかったから。
私を守ったお父さんみたいに、私を隠してくれたお母さんみたいに、意味のある行動ができなかったのだから。
……でも今の私には、異種族だなんて根絶やしにできるだけの力がある。
こいつだって異種族なんだ、殺して終えばいい。
「やめてよぉ…おねえさんん……」
途端に泣きそうな表情になって上目遣いをし始める化け物。
ああヒナは、取り逃した先人たちは、この落差のせいか先ほどまでの強い決意の糸が弛緩したように圧倒されており、いつのまにか絆されていたのか、と少し納得した。
やりにくいなとは、私だって思う。
「…ごめんなさい、さようなら」
ナイフを彼の首に近づけて、思い切り横に動かす。カタカタと震える指先のせいで、彼の細い首が切りにくくて仕方がない。
…本当に、意味がわからない。
「…おねえさん、大丈夫ぅ?」
「あなたに心配される道理はないわ…!」
思いがけず張り詰めていたゆっくりと静かに吐き出し、再度その刃を向け直すその瞬間。
「______くんを離してください!」
甲高い透き通った声が、脳に直接響いた。
ふわり、という腑抜けた擬音が驚くほど似合うその少女が、……ヒナが、少年を庇った。
……その化け物に、名前なんてあったんだ。
少年はヒナに見えないよう、密かに笑っている。
いや……私に見せつけるよう笑っている。
私の手にぴったりとはまっているナイフは彼の首に浅く傷をつけていたのに、それでも私に向かって笑顔を向けていて気味が悪かった。
「傷がたくさん……!大丈夫でしたか…!?」
「ぼくは大丈夫だよ…」
「その、いくら異種族相手だからって何も聞かずに殺すのはだめです…!!同じ命を持った生き物なんですから…!」
ヒナは私に向き直り、優しくそれでいてハッキリと言葉を紡いでいく。
せかせかと動くヒナは、まるで異種族間に当たり前にあった分厚い壁などないかのように、躊躇いすらなく化け物の腕に触れて脈を測っていた。
…ちがう、そうじゃない。殺さないと。
「…まって、そいつを殺すから……、ヒナも巻き込みたくない、そこをどいて…!!」
「っ人も異種族も、殺すのはだめなんです…!」
「は……、任務なのよ?邪魔しないでよ…!」
ヒナは化け物を守るように、私と化け物の間に位置取る。明らかに筋違いな敵対心を向けられ、困惑と確かな苛立ちが募った。
「……その傷痛かったよね、今包帯巻いてあげるから…」
ヒナは私を無視して化け物の前に座り込み、丁寧な手つきで私がつけた彼の傷を1箇所ずつ確認し、包帯を巻き付けていく。
「なんで……」
本当に意味がわからない。
……どうしてそんなことをするんだろう、どうしてそんなことができるんだろう。危ないかもしれないのにどうして触れる?どうして関われる?
呆れにすら近いような感覚に、空いた口が塞がらなかった。
「待ってよ、どうして……なんで……」
「どうしても何もなく、助けたいから助けるんです…っ!!…っあ、打撲痕も多い…、消毒します、痛かったらごめんね…?」
携帯消毒液を取り出したヒナは、特に損傷の激しい血だらけな足の傷に塗り込み、消毒と共に応急手当てを進めていく。
「…腕、見せてください」
「うん、ありがとうヒナ」
長い沈黙の隙間に、パチン、パチンと布を裁断する音が響く。
「……あとここと…ここと……、こうして…。……はい、これで大丈夫だと思いますっ!」
ヒナは私の訴えを聞くことはなく、テキパキとその化け物を診終えたようだった。
……化け物はその効果を実感したような顔はしておらず、なんで布なんかがいるんだろう、とでもいいたげな様子だったが。
「ありがとう、ヒナ」
「はい!でも、あまり無茶はしちゃだめですよ……?人を殺しちゃうのもだめです……!」
「うん、ごめん、ぼく帰るね」
その言葉を呑み込むのに少し時間がかかった。
……もう終わった?あいつは帰る?
じゃあ私の仕事は、敵討ちの続きは?
ぐるぐると輪廻する思考をよそに化け物は立ち上がって、炎を煮詰めたように燦々と輝く夕焼けを背に、私とヒナを見渡せる位置へと下がった。ドラマチックなその雰囲気が心地悪くて仕方がない。酷い胸騒ぎが治らない。
化け物とヒナ2人だけの世界になっているが、私が確信めいた予感をしている中ヒナはその少年に問いかけた。
「あの、もう誰も殺さないでくれるなら、きみのことは私が殺したってことにしますよ…?
そしたらもう狙われることもないですし…」
恩を売るためではない、ヒナに何の利益もない意味わからない提案。なのに化け物は、ヒナのその申し出を断った。
「……ううん、いいよ。全部、終わらせるから」
その言葉は、真顔で言い放たれる。
先ほどまでの猫を被った態度でも騙す気が感じられない嘘泣きでもない、興味なさげに私たちを見る感情のないその顔。
ただ一瞬よぎっただけの疑念と彼への確かな不信感が現実味を帯び、その刹那だけがスローモーションのように感じられた。
…べた、べた。
ぐちょり、ぐちょり。
……化け物は、その体躯を変形させ、まるで別の生物になった。いや、元の姿に戻ったという方が正しいだろうか。
花が開花していくようなその流れるような動きから、ほんの少しも目が離せなかった。
先ほどまで顔があった部分は、蛸のような吸盤のついた太く長い触手たちにより隠されてとうに見えなくなっており、肥大化した腕についたまるで蟹の鋏のような大きな鉤爪が夕日を反射しぎらぎらと眩い光を見せている。
私の胸程度にも満たなかった背は、いつのまにか4メートルをゆうに超えるほどになっていて、無数の触手によりその巨体を支えていた。
頭部と思しき箇所はぐわんと大きく左にうねるように曲がっており、何かを呑み込もうとするが如く大きく開かれた口からは、胃液か何かなのか炭酸飲料のようにぱちぱちと音を立てる気色の悪い粘性の液体が滴り落ちていて、到底人のものだとは思えないほどの長い舌が私たちの方へと向けられた。
私の短い人生では見たこともなかった、今まで対峙した化け物らは比べるに値しないその悍ましいその姿。私たちに待たせるようにゆったりとした変化を見せる
『 お前ら2人を殺してから、帰ることにするよ 』
と、化け物が、そう言った気がした。
ヒナは、その言葉に絶望して感情が全部抜け落ちてしまったかのように目を見開いて立ち尽くしている。
かひゅ、と鳴ったその喉は、先ほどまで可憐な声であそこに佇む化け物と対話していただなんて到底思えないほどの頼りなさで。
ヒナのせいで、だなんて他責思考に走りそうになる自分が嫌になった。
……あの長い会話の間のどこかでさっと殺しておければ良かったことくらい、理解してたから。
……ごめんなさいヒナ、私役に立てないかも。
脳だけがやけに冷静なのに冷や汗が止まらなくて、腰が抜けたみたいに身体が動かなくて。
ヒナのことを言えないくらいに、その化け物が怖くて仕方がない。化け物と呼ぶに真に相応しいその姿は、直視するだけで私の人としての本能が存在を拒むように脳がガンガンと痛んできて、それを目に入れることを嫌うかのように視界が眩んで、あの化け物を発生源に漂う酷い悪臭に喉がひりつき吐きそうになった。
それは、私だなんて矮小な存在に理解しえることは到底ない根源的恐怖を抱かせるほどのもの。
その化け物は名状しがたい雄叫びのような叫び声をあげながら、私たちのもとにゆっくりと、まるで死刑囚を斬首する執行官かのように歩んでくる。木の葉が揺れ擦れる大袈裟な音がまるで群衆たちの挙げる黄色い歓声かのようで、なぜか動かない身体にはまるでギロチンの拘束台がつけられたかのようで。
その巨体をさらに引き立たせるかのような大きく伸びた濃い影が、私たちを呑み込もうとするかのようにゆらり、ゆらりと揺れる。
先ほどまでの流れの一切が断ち切られ、私とヒナが化け物に弄ばれなぶり殺される側になったことは、既に誰の目にも明らかなものだった。
『 じゃあな、馬鹿な女ども 』
なんて、化け物に笑われた気がした。
……やっぱり、良い異種族だなんて、存在するわけがなかったんだな。
攣りそうな腕をなんとか持ち上げ、やけに重たいナイフを身体の前に突き出した。
誤字脱字抜けなどあれば報告していただけると幸いです