「こっちを見つめないでよ。あぁ、目を瞑ってて欲しいのね。分かったわ。だから、ささっと置いてきてよね」
差し出された本を受け取ると、長いまつ毛が眠りにつくように伏せられる。まるでこの本が彼女の生命を握っているように見えた。僕は彼女の背後に身を潜める。
「なに、足音が聞こえないんだけど。まだ置いてきていないのかしら。いえ、違うわ。選択肢が欲しいのね。すっかり忘れていたわ。あなたが今更使うとは思えないけど」
選択肢は、今はいない僕の足元へ落とされている。
「そうね、貴方ならこのまま何もしないんじゃないの?まさかものを使って遠くに置いているなんて無いでしょ?それとももう、目の前にでも置いているのかしら…?それならあなたのすぐ近くにも本はあるのかしら?消去法でやってみてもいいかしら。あなたの傍へ行けばわかる事だわ。手を引いて頂戴。目は瞑ったまま探すから」
細指が花弁を咲かすように垂れている。それを拾いあげれば、彼女は報われるのだろうか。僕が選択肢に従えばその落ち着きのない口を封じることが、心の安息地が開くことが出来るのか。
「手も引いてくれないのね。それとももう、足音が聞こえないほど遠くへ行ってしまった?やだ、私ったらそんなわけがないでしょう。あんだけ怒ったのよ、今更答えなんてあるはずもないわ。あなたはまだそこにいる。私に負けを見せつけるために、わざと音を出していないのね。いいわ、時間を設けてあげる。忍足で遠くへ行こうなんて思わない事ね。あと、30秒でおしまいよ。それも私が数えた30秒ね」
僕は手にしていた本に決意を固めた。
「何もしないで目の前にいても、聞いてなかったとしても、選べなくて複製しても、持論で言い訳しても。選んでも、見つかったらあなたの負けよ。貴方が負けようと私が勝とうと今回で終わりよ。好きにしたらいいわ」
僕は手にしていたものと、自分の鞄に入っていた本を見比べる。どちらも古びていて辞書のように重い。けれど、彼女が持っている方には名前がなかった。だから彼女は沢山の選択肢を持っていたんだ。
「気のせいかしら。変な匂いがするわね。ちょっと、変な事はしないでよね」
僕は一言も口にしなかった。
「ほんとに何も言わないんだから。もういい?目を開けるわよ」
声に答えるものはいない。静寂が彼女を包む。気配を消してただ、息を潜める。目を開けたらしい彼女のため息が聞こえる。
「そっかぁ、貴方事消えてしまうなんてダメだって言うべきだったわ…」
僕は彼女の選択肢を選ぶことも、選択外にもしない。一人でに焦る彼女に選択という余地を与えない事を選んだ。
「ずっと独りだったんだなぁ。この空間に私は怒ってこんなにもさみしくなって…」
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