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#ラブコメ
カイル様が悠然と立ち去った後も、テラスを支配する凍てつくような空気は一向に晴れなかった。
アルくんの腕の中から伝わってくる鼓動は、いつもの穏やかで心地よいリズムとは程遠い。
ドク、ドクと、暴力的なまでに激しく波打ち
厚い騎士服越しでもその動揺が私の背中に突き刺さるようだった。
「……アル、くん?」
おそるおそる、震える声でその名前を呼んだ。
けれど次の瞬間、彼は私の返事も待たずに、ぐい、と強く私の手首を掴んだ。
「えっ……、アルくん!?」
返答はない。
彼はただ無言のまま
華やかな園遊会の会場を背に、人気のない王宮の裏回廊へと私を引き連れていく。
早歩きの彼に必死についていくけれど、その足取りにはいつもの余裕など微塵も感じられなかった。
「ね、ねえ、アルくん!!ちょっと待って、手、痛いよ……っ!」
私の悲鳴に近い声が静かな回廊に響き渡ると、アルくんの足がぴたりと止まった。
彼はハッとしたように足を止めると
まるで熱い鉄にでも触れたかのように、弾かれたように私の手を離した。
「ご、ごめん…乱暴にするつもりじゃなかったんだ。……大丈夫?」
口から漏れた謝罪の言葉とは裏腹に、私を見つめる彼の瞳には
いつもの慈しみ深い光は宿っていなかった。
それどころか、見たこともないような昏い情熱が渦巻いている。
そのまま、逃げ道を塞ぐように私の両脇の壁に、ダンッと力強く、しかし優しく腕が突かれた。
冷たい石壁に背中を押し付けられ、私は逃げ場のない彼の腕の中に閉じ込められる。
いわゆる「壁ドン」の形ではあるけれど、今の彼から感じるのは、甘い誘惑などではない。
剥き出しの、圧倒的な「オス」としての圧だった。
アルくんがゆっくりと顔を近づけ、私の耳元で低く、地を這うような掠れた声で囁く。
「……ねえ、エマちゃんは、ああいう男の方が、好きなの?」
その瞬間、私の背筋にゾクりと震えが走った。
至近距離で見上げた先にいたのは、いつもの優しい天使のような微笑みを湛えた彼でも
守ってあげたくなるような子犬のようなアルくんでもなかった。
獲物を追い詰め、決して逃がさないと決めた肉食獣のような
獰猛な「男」の顔をしたアルくんがそこにいた。
「そ、そういうわけじゃ…カイル様は、ただ、親切にしてくださっただけで……」
「親切?…あんな風に、僕の知らないところで君に触れる男の、どこが親切?」
アルくんは私の言い訳を遮るように低く唸ると
今度は私の両手首をまとめて片手で掴み、頭上の壁に優しく、けれど絶対に抗えない力で押し付けた。
自由を奪われ、戸惑う私。もう片方の手の指先が、私の顎にひんやりと触れる。
クイッ、と強引に顎を持ち上げられ
嫌でも彼と視線を合わせる形になった。
逃げようとしても、彼の瞳が私の意識をすべて吸い寄せて離さない。
「……僕以外の男に、そんな顔を見せないで。…このまま、僕の───」
彼の顔が、唇が触れ合うほどに近づく。
鼻先がかすめ、熱い吐息が直接私の唇にかかった。
私は心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃に、思わずぎゅっと目を閉じた。
何をされるのか、何を言われるのか。
恐怖と、それ以上の甘美な期待で頭が真っ白になり、破裂しそうな鼓動が全身を支配した
そのとき
「エマ──!エマー! どこにいるのー!?」
遠くから響いてきたのは
この緊迫した空気に全くそぐわない、場違いなほど明るいアイラの呼び声だった。
その瞬間
私を縛り付けていた熱い圧が、霧が晴れるようにふっと消えた。
「……っ。……いや、ごめん。急にこんなことして。少し、どうかしてた」
アルくんは急に手を離すと、弾かれたように一歩後ろに下がった。
恐る恐る顔を上げると、そこにはもう「獣」の影など微塵もなかった。
いつもの穏やかで、少し困ったような眉尻を下げる
優しいお兄ちゃんの笑顔に戻ったアルくんが立っていた。
「……行っておいで。アイラ嬢が探してる…魔力酔いが来たら、我慢せずに、すぐに僕を呼ぶんだよ?」
そう言って、いつものように私の頭をぽんぽんと優しく撫でると
彼は何事もなかったかのように踵を返し、立ち去っていった。
私は崩れ落ちそうになる膝を必死に支え、震える肺に空気を送り込む。
そこへ駆け寄ってきたアイラと一緒に化粧室へと向かった。
「ちょっとエマ!顔真っ赤じゃない!さっき、アルヴィン卿と二人きりだったんでしょ!?一体どうなったのよ!」
化粧室の大きな鏡の前で、アイラは興奮を隠しきれない様子で私の両肩をガシガシと揺さぶる。
私は、まだ耳の奥に残っている彼の低い掠れた声と
顎を掬い上げられた指先の痺れるような感触を思い出し、たまらず熱い両手で顔を覆った。
「……わ、わからないわ。アルくん、あんなに怖い顔をして…私を壁に追い詰めて、逃がしてくれなくて……」
「最高じゃない!おめでとうエマ! ついにあの鉄壁の理性の仮面が割れかかっているのね!」
「『このまま僕の───』の先は、間違いなく『僕のものになって』だったわね。間違いないわ!」
鏡の前ではしゃぎまくり
「次はもっと攻めるわよ!」と意気込むアイラの横で、私は鏡に映る自分を見つめた。
ハニートラップは、確かに成功している。
アイラの言う通り、彼の余裕を奪うことができた。
でも、あの時のアルくんの瞳の奥に宿っていた、暗く沈んだ熱い独占欲。
それを思い出すごとに、私の胸は
魔力酔いよりもずっと激しくハラハラと、そして甘く、切なく疼き続けていた。