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気まずいんですが……。
黒木の迎えに来た車に二人並んで乗っていた。
電車で行く、と夏菜は言ったのだが。
「今日は休日出勤だし、人もそんなに来てないから、見咎められることもないから大丈夫だ。
第一、婚約者で秘書なのに、別々に行くとかおかしいだろ」
と有生に言われて。
……いや、こういう状態になるとわかっとていたから断ったんですよ、と夏菜は思う。
普段からこの人と話すのは得意でないのに、結婚相手になられてしまうと、さらに得意でなくなってしまうではないですか。
有生もこの微妙な空気は感じ取っているようで、黙って窓の外を見ていたが。
雪丸と違って、黒木はそこで気を利かせて話題を振ってくれるようなタイプではない。
あくまでも安全運転に徹している。
いやまあ、雪丸も別に気を利かせて、ベラベラしゃべっているわけではないのだろうが。
「なにか話せ」
沈黙に耐えかねたらしい有生が、窓の外を見たまま言ってきた。
なにかって……
なにか……
そうですね。
「この間、厨房の引き出しを開けたら、ストイックバッグっていうのがあったんですよ。
なにがストイックなんだろうな~と思って、よく見たら、ストックバッグでした」
「……お前、家事しないだろう」
はあ、私が手出しすると怒られるのでしませんね、と夏菜は思っていた。
それぞれ弟子たちの間で分担があるからだ。
なので、ちょっとなにかを手伝うくらいしかしたことはない。
出さないでくれと、加藤にもきつく言われている。
たぶん、私に手を出されると、余計めんどくさいことになるからだろうな……とキビキビ動く道場の男たちを思い出していたとき、有生がなにか言いかけてやめた。
またどうせ、なにか罵りの言葉なんだろうと思い、追求はしなかった。
俺と結婚することになってよかったのかと訊こうと思った。
だが、うっかり訊いて、嫌です、と改めて言われたら、なんて返したらいいのかわからないから、黙っておこう。
そう有生は決意する。
心の中はかなりヘタレな感じだったが、せめて、態度だけは今まで通りでいようと、腕を組んで偉そげな態度をとってみる。
「お前まで休日出勤しなくてもよかったんだぞ」
「はあ。
でも、あのまま家にいるのもなんだかいたたまれなくて……」
そう夏菜は言ってきた。
銀次あたりにいろいろ言われそうだからだろう。
「そうか。
だが、今日は休みで人が少ない。
……気をつけろ」
あ、はい、と右手に見えてきた会社を窺いながら、頷いたときには、夏菜の顔は、あのぼんやり顔ではなくなっていた。
さすが要人警護の人間を育てる道場で育っただけのことはあるな、と思う。
……というか。
たまに見せる凛々しい感じの顔つきも可愛いな、と思ってしまったことは黙っておこう。
休みで人が少ないから気をつけろって。
そこを狙って、社長を襲いに来る人がいるってことよね、と思いながら、夏菜は身構えていた。
一応、ボディガードだからだ。
おそらく、自分よりは、有生や黒木の方が強いとは思うが。
会社の玄関前のロータリーを回って車が停車したとき、なにかが柱の陰から飛び出してきた。
もうあの柱なくした方が、とも思ったが。
きっとみんなあそこから飛び出してくるので、逆にわかりやすくていいのだろう。
「おのれっ、御坂っ。
恥を知れっ」
と言いながら、また違うおじさんがナイフを手に突っ込んできた。
あなた、どれだけ恨まれてるんですか、と思いながら、有生をかばって前に出ようとしたが、逆に有生に突き飛ばされる。
冷たいコンクリートの上に転がりながら、夏菜は思っていた。
これではボディガードの意味がない。
そして、膝と手を派手にすりむいてしまった。
かばってもらった意味もあまりない。
そんなことを思いながら、すぐに立ち上がったときにはもう、有生の方がナイフをつかんでいた。
おじさんに向かいナイフを向けた有生は、ゆっくりとおじさんに近づきながら言う。
「いいナイフだな……」
おじさんは青ざめ、後退していく。
これがミステリードラマなら、完全にあなたの方がちょっと気のおかしい犯人ですよ、
と有生を見ながら、夏菜は思う。
おじさんの後ろにはもちろん、音もなく現れていた指月がいたのだが、そんなこともにも気づかぬように、おじさんは後退していっていた。
というか、今、指月に気づいていたら、おそらく、助けて、とすがりついていたことだろう。
指月は強いが、あくまでも冷静。
だが、有生は、なにをするかわからない雰囲気がある。
「……おい。
ナイフってのは、料理に使うものだぞ」
そう言いながら、有生が薄く笑う。
ひいいいいっ、とおじさんと夏菜は同時に叫んでいた。
この人が料理しそうだ!
このおじさんを!
と二人で怯える。
殺しに来たはずなのに、おじさんの目には、助けてっ! と書いてあった。
おじさんが夏菜を見る。
いいえ、警察は呼べません、と夏菜は青ざめたまま思っていた。
今、警察が来たら、有生の方が逮捕されそうからだ。
今にも殺りそう。
そんな感じ……。
ひいいいとおじさんと抱き合って、手に手をとって逃げたい気持ちだった。
ちょうどそのとき、見回り中らしいミニパトが後ろの広い道を通って行き、おじさんが、びくりとそちらを見る。
いや、どちらかと言えば、社長にびくりと見て欲しいんだが、と思ったとき、指月が、
「はいはい」
と割って入ってきた。
「そろそろ気がすみましたか?」
気がすんだのは、たぶん、社長の方だ。
自分を殺しに来た男を存分にいたぶって、すっきりしたに違いない。
「はい、行きますよ」
と指月はおじさんの首根っこをつかむと、社屋に引っ張り込む。
おじさんは今にも皮をはがれて三味線にされそうな顔をしていた。
「大丈夫か?
怪我はないか?」
ナイフを手にしたまま、有生が訊いてくる。
いや、ほとんどの怪我は貴方に突き飛ばされたことにより生じましたけど。
今、それを言ったら、そのナイフにより料理されそうで怖い、と思いながら、
「……はい」
と夏菜は言った。
そこで、有生はすりむいた夏菜の膝に気づき、
「怪我してるじゃないか。
やはり、物騒だから、休みの日は俺についてくるな」
と言ってきた。
夏菜はナイフを凝視しながら、
「いえ、私は社長の警護に雇われたので」
と頑なに言う。
有生は、ちょっと笑っていた。
「社長はいい人なんですかね?
悪い人なんですかね?」
秘書室で明日やる予定だった仕事をしながら、ぼそりと夏菜が言うと、指月が顔を上げてこちらを見る。
今日は上林は別居している家族と出かけているらしい。
再就職の報告をするそうだ。
指月が自分の椅子に腰掛けながら言う。
「まあ、なんだかんだで、女性の復讐者っていないからな」
私がいますよ、という視線を感じて、指月はこちらを見た。
「お前はなんだかわからない祟りのせいだろう。
そういうのでなくて、女でナイフ持って突っ込んできた奴はいない」
「それ、社長が仕事の上でもフェミニストで女には恨まれないって話ですか?」
いや、仕事の話じゃなくて、と指月は言う。
「あの顔と財力があったら、いくらでも女性を騙すことができるのに、騙してない。
いい人なんじゃないか?」
「……そこ、ありがたがるとこですかね?」
と思わず言ったが。
そういえば、ゆうべも廊下で寝てくれたみたいだしなー、寒いのに。
意外と不器用で真面目なのかな、と思ったあとで、ふと気づいて指月に訊いてみた。
「そういえば、さっきのおじさんは何処行ったんですか?」
指月はパソコンの画面を見ながら、
「さあ……この会社の何処かにいるんじゃないのか?」
と言って、珍しく笑う。
この会社の何処かに、指月さん専用地下室とかありそうで怖い。
もちろん、妄想の中のその地下室には、拷問道具が取りそろえてあった。
指月さんにはご無礼を働かないようにしよう。
夏菜は青ざめたまま、無言でカタカタ、キーボードを叩いていた。