◻︎親友の早絵
「で、またその夢を見てそんな悲壮な顔してるわけだ。はい、これ飲んでシャキッとしなさいよ、チームリーダーなんだから」
パーテーションで区切られたオフィスの一角。机に突っ伏してうなだれる私に早絵が熱いコーヒーを淹れてくれた。
「あー、ありがとう」
ふうふうして一口飲む。深煎り豆の香りと、爽やかな苦味が寝ぼけた頭をスッキリさせていくようで、沁みる。
「はぁー、どうしてこう、他人が淹れてくれるコーヒーって美味しいのかね?いいよねぇ、早絵の旦那さんは」
「旦那にはこんなに丁寧にコーヒー淹れたりしないわよ。家事も育児も私がやるのが当たり前みたいに思ってるヤツに、そんなサービスしないって」
進藤早絵。私と同期入社で同じ総合職だったけど、5年前に結婚して出産して今は一児の母。育休明けで、今はまだ短時間の事務仕事をしている。共働きで郊外に一戸建てを買うのが夢…らしい。
「夢かぁ…なんでいまだにアイツのことなんて夢に見るんだろう?」
「私さぁ、茜からその話を聞いた時、本当にただの夢かと思ったわよ。なのに現実だったなんてね。デートにきた彼氏が“俺は結婚するから式には来てよ”って、そんなバカげたこと言う男が、いるなんて信じられなかったもん」
「ところがいたんだ、これが」
「前触れ…みたいなものはなかったの?」
早絵に言われて、思い出してみる。
「前触れかぁ。“茜は、付き合うにはいい女なんだよな、めんどくさくなくて”って言われたことはある。それって今思えば、結婚したい女じゃないってことだよね?」
「遊べる女と結婚する女は別!ってことだったのか。それにしても、久しぶりのデートって時に婚約者を紹介するとかさ、バカにしてるよ」
「それは…。でも、ずっと話したいことがあるって言われてたのを、忙しいからって先延ばしにしてたのは私なんだよね」
もういまさら考えてもどうにもならないことなのに、たまにこうやって夢に見るから、いつまでもあの時のショックが抜けないのかもしれない。
「もう8年も前のことなんだからさ、忘れたいよ」
「忘れたい…か。それならやっぱりほら、新しい恋をしなさいよ!女の恋は上書きされるんだから」
ぽん!と私の背中を叩く。
「えー、恋なんかもういいよ、めんどくさいから」
「でも、いつまでも一人でいるわけじゃないでしょ?」
「あ、いい、一人でいい!もうずっと一人で生きて行くから」
ぴこん♪
テーブルに置いたスマホのアラームが、会議開始5分前を知らせた。
「あ、役員会だわ、行かなくちゃ」
「頑張ってね!女性みんなの憧れの出世コースなんだから」
「ほーい、が・ん・ば・り・ま・す!」
私は資料のファイルを持って、エレベーターへ向かった。誰もいないエレベーターの中で、ほっぺをパンパン!と叩いて気合いを入れた。
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