テラーノベル
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今日、という日が一年の中で一番苦手だ。
六月のとある一日。
この日だけは、一生好きになれそうもない。
きっとこの先も、この気持ちは変わらないだろう。
昨日は阿部へ、その守護霊の言葉を伝えた。
体の周期的に昨日は程よく調子が良くて、問題なく二人の頼み事を叶えることができたように思う。
ただ、それは昨日までのこと。
明後日なら、またしばらくは平穏な日常を送ることができるだろうが、今日だけは違う。
目が覚めた瞬間から、「いつもと違う」と知らせるように全身から警告音が鳴っているような感覚に襲われている。
重たい体をなんとか起こし、ベッドから降りる。
カーテンを開け放ち、伸びをしてから身支度を始めた。
「今日は…Youtubeだけ、だね。よかった」
みんなには内緒にしているが、毎年この日だけは夜に仕事を入れたくないとマネージャーに頼んでいることもあって、昼間のうちに帰ってくることができそうだ。
どこにも寄らずに帰って来れるように、夕飯のおかずも決めておき、食材以外にも足りないものはないか隈なくチェックしてから家を出た。
タクシーで事務所の前まで乗り付け、普段通りに広間へ入る。
もうみんな集まっていたようで、「おはよう、ごめん、遅くなっちゃった?」と声をかけながら荷物を手近な床の上へ下ろした。
「んにゃ!ぜーんぜん!おはよーっ!」
「佐久間、おはよう」
「舘さん、おはよ」
「うん、翔太おはよう」
「…だ、舘…おはよぅさん…」
「…ぉ、はよ…」
本日のメンバーは、佐久間、翔太、康二、俺の四人だ。
心の準備はしていたつもりだったが、いざ面と向かって康二に挨拶するとなった途端、口が重くなった。
康二も、この気配を察知しているようだった。
様子を伺うように、気を遣うように、おずおずと投げ掛けられる声がどうにも寂しそうで、もどかしそうで、ますます居た堪れなくなった。
──いけない、だめだめ。今日はいつも以上に気を張ってないと…。
これ以上の動揺は禁物だと気付き、気持ちを無理に切り替えて、いつも通りの笑みを顔の表面だけに浮かべた。
「…今日も頑張ろうね、」
ぎこちなく康二に笑いかけている間、どうしてか翔太と佐久間は俺の横顔をじっと見つめていた。
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いい具合に撮れ高ができたところで撮影は終了した。
今すぐ帰って早く寝てしまおうなんてことを考えていると、不意に肩を叩かれた。
振り返った先には、翔太と佐久間がいた。
「ん…?」
「涼太、今からご飯食べ行かない?」
「急だね、昼間なら…空いてる…けど…」
「こないだ美味しいとこ見つけたの!」
「佐久間が推してるなら間違いないね、お昼なら…うん、大丈夫」
「…じゃ、行こうぜ。腹減った」
「うん!んじゃ康二またねーん!」
「おー!お疲れさん!」
広間から出る間際に聞こえた悲しそうなため息は、間違いなく康二のものだった。
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隠れ家的名店なのか、俺たちの他には誰もいない店内で、それぞれ食べたいものを頼んで自由に食事を楽しむ。
帰りは歩きだし、こんな日くらいは昼間からお酒を飲むのも良いかもしれないと、メニュー表にあるワインの一覧に目を通していると──。
「なぁ涼太」
翔太が突然俺を呼んだ。
その声のトーンに、自然と体が強張る。こういう呼び方をする時、彼は決まって大事な話をする。
これは一杯飲まなければやり切れないだろうと予感し、ウエイターさんへ赤ワインを注文してから二人に向き直った。
「…なに?」
どんな話をされるのか想像もつかなくて、固くなる声をなんとか柔らかくするので精一杯だった。
瞬きのあと、翔太はこちらをじっと見つめながら口を開いた。
「お前さ、何に足踏みしてんの?」
「…え、、足踏みって…な、なんのこと…?」
思ってもみない質問だった。
翔太のことだから、てっきりラウールと康二との間にあった出来事について薄々察していて、そのことを聞かれるのだとばかり思っていた。
それについては、まだ気付かれていなかったのだろうか。
「翔太、それだとあんまり伝わらないんじゃない…?」
手助けするように、佐久間がそっと間に入ってくれた。
「そうか…?わり。あのさ、なんつーか、お前最近変」
「えっ…と、どの辺が…?」
「全部。ラウと康二もずっとしょぼくれてるし、お前はお前で余計に喋んなくなったし、お前らなんかあっただろ」
──バレてんのかよ。じゃあさっきの前振りはなんだったんだよ。
「そんでね?俺と翔太で話してたんだけど、本当は叶えたいことがあんなら、今すぐやっちゃった方がいいんじゃない?って伝えたくて、今日ご飯誘ったの」
「自分の気持ちも人の気持ちも見て見ぬフリしてたら、いつかホントに欲しいモン壊れちゃうかもしんないぞ」
「え…っと、、二人の気持ちは嬉しいんだけど、今なんでこんな話になってるの?」
「お前が、少し前の俺たちと同じに見えるから」
「今の涼太、すごく苦しそう。寂しそうにも見える。上手く言えないけど、全部諦めちゃってるような感じがすんの。俺もそういう時あって、なんとなくおんなじような気がして…」
「…」
なるほど、という言葉が瞬間的に浮かぶ。
彼らはあの夜、きっと何かを得たのだろう。
あの、全てが捩れた世界で、まっすぐなたった一つの何かを。
それは価値観だったのか、はたまた、眠っていた心の底からの望み、想いだったのか。
どちらであっても、辛く苦しいだけの記憶になっていないのだと知ることができたのはよかった。
彼らこそ、最も耐え難いほどの試練に追い込まれていたその張本人たちだと思うからだ。
翔太と佐久間以外には、俺しか覚えていない記憶がある。
秋と冬の間の一夜に迷い込んだあの世界のことを、彼らと、俺だけが覚えている。
ただ、それを二人には伝えていない。伝えるつもりもない。
彼らだけの秘密にしていた方が、ロマンがあると思うのだ。
理由はそれだけ。それだけで、いいじゃない。
長い長い夢を見た夜のことだった。その日も、寝る直前まで空には満月がかかっていた。
かまどの前でパンを焼いて、出来上がったものをメンバー全員に配って回り、夜は葡萄酒を飲んで眠る、という生活がいきなりプツリと途絶えてブラックアウトした。
その直後、また視界が明瞭になったかと思うと、テーブルの上に置いていた葡萄酒の量が元に戻っていた。
誰かの力が働いて時間が巻き戻っていると感じると同時に、犯人が誰かということも分かった。
幼馴染を見捨てることはしたくなくて、せめて、ひとりぼっちになってしまわないようにと声をかけ続けた。
殺人という行為に肩入れしていたわけではないが、自分の意思でないことは重々わかっていたし、成し遂げたいことがあったように感じられたので自然と助けたくなって、さりげなく彼の嘘のアリバイを証明する役として立ち回らせてもらった。
真夜中に家を出ていく物音がしても、敢えて知らないふりをした。
幼馴染のよしみでお節介を焼いたことは、その他にもう一つあった。
一緒に過ごしてきた時間が長いのだ。
翔太が誰に片思いをしているかなんて、聞かなくてもわかっていた。
いつまで経っても距離が近くならない二人に接点を持たせようと、佐久間に家へ泊まるよう提案してみたが、あまり甲斐は無かった。
佐久間はずっと上の空だったし、翔太も翔太でずっと落ち着きがなかったので、大した話はできなかった。
二人がどんな結末を迎えたのかは知らないが、無事に乗り越えて、今は仲良く隣り合うようになってくれたことは、純粋に嬉しかった。
しかし、彼らも俺のせいで苦しんだようなものだったと思うと、全く気が済まない。
あの世界は、強い気持ちを消化できずにいた阿部が創り出したものだった。
後日、阿部から直接「不思議な夢を見た」という話を聞き、その内容がこちらが体験していたものと全く同じだったことから、そう確信した。
今まで、全てのことは、誰かの周りで起こっていることだと思っていた。
自分がその渦の真ん中に立っていたなんて、思いもしなかった。
しかし、実際はそうだった。
そうでしかなかった。
みんなに迷惑をかけていたことへの申し訳なさ。
本質を掴めていなかったと思い知らされた居た堪れなさ。
自分の気持ちから逃げ続け、いつまでも蹲ってしまっている状態への不甲斐なさ。
暗く澱んだ粘り気のある雫が、ポタ…ポタ…、と一滴ずつ垂れて、染みを作っていく。
闇の中で、誰かに追いかけられている感覚だけが、ずっとある。
姿形の無い何かから逃げたくて。
飲み込めていたはずの劇薬を吐き出したくて。
どうしたらいいのかなんて、わからなかった。
いつだって、心に広がった濁りを片付ける時は、自分を誤魔化してきたから。
無かったことにした。
見ていないふりをした。
気付かなかった、なんてバカなふりをした。
それが、一番楽だったから。
「そんな難しく考えんなよ」
「…え、ぁ…」
「涼太、もし、もしも明日死んじゃうってわかったら、涼太は何をする?」
「へ…?」
「きっと、それが涼太の一番欲しいものだよ」
「佐久間…」
家に帰り、寝室へ直行した。
いつもであれば部屋着に着替えてからソファーにゆったりと背を預けているところだが、今日ばかりはそうもいかなかった。
外の塵に塗れた服のまま、ベッドに飛び込んだ。
「……疲れた……」
もう一ミリたりとも動けそうになかった。
「…ラウールと康二が、俺を好きになって」
「康二に初めて会った日…俺が満月の話をして」
「二人が毎月集まるたびに…事件が起こってた」
「夏に…照とふっかが」
「秋に…翔太と佐久間が」
「冬に…目黒と阿部が…」
「次の春には…あの子達が…」
「全部、全部俺が……」
俺は一体、今まで何をしていたんだろう。
偉大なことをしたかったつもりもないが、誰かを困らせるようなことがしたかったわけじゃなかったのに。
遥か遠くに置き去りにしていた記憶が蘇る。
棘だらけで、氷みたいに冷たい声が耳の奥に響いて、エコーをかける。
──「気持ち悪い」
──「怖い」
──「あの子とは仲良くしちゃダメよ」
痛くて怖くて、苦しくなることばかりだった。
:
:
人の目も、世の中の常識も分からなかった頃は、この力を隠していなかった。
俺が見ているものは、他の人にも見えていると。
俺が聞いた声は、周りの子にも聞こえていると。
物が俺の気持ちに連動して勝手に動くのは、普通のことだと。
透けた人間や小さな精霊が困っていたら、誰だって自分の手をかざして助けてあげられると。
そう、思っていた。
自分が人と違うと気付いたのは、物心がついてからすぐのことだった。
当時仲良くしていた友達と公園で遊んでいた時、黒い人影がその子に迫っているのに気付いた。
人間と同じように、霊もいろいろな性格や性質を持っている。良い霊もいれば、そうでないものもいる。
子供ながらに、それが友達に良くないことをしようとしているのを直感で感じ取った。
あの頃は、力を抑えることも感情を律することも、まだうまくできなかった。
どうしよう、どうしようと焦る気持ちばかりが募っていた。
ブランコに乗っていた友達の足を引っ張ろうと、その影が手を伸ばした瞬間、頭の血管がパツッと切れる音がした。
「だめ…だめっ…だめーーーーッ!!!」
無意識に飛び出した叫び声のあと、その影は霧を払ったように消え失せた。
友達を助けることができたと安心できたのは、その瞬間だけだった。
直後、ブランコの硬い鎖が真ん中から捻じ切れて、彼は空中に投げ出された。友達はブランコを囲む鉄製の塀に強く頭を打ち、そのままぐったりと倒れた。
砂利の上には、その子の後頭部から流れ落ちた血溜まりができていた。
幸い、彼に後遺症は残らなかった。
その子が退院したあと、謝りに行こうと家を訪ねると、彼のお母さんだけが玄関先に出てきた。
かなり厳しい言葉を投げつけられた覚えはあるが、あまりにも大きな声にびっくりして空っぽになってしまった頭では、なんと言われているのかもあまり聞き取れなかった。
最後に聞いた言葉だけは、心に焦げ付いたまま、今もずっと残っている。
「もう二度と、あの子に近付かないで」
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:
いつしか、人と深く関わることをやめてしまった。
誰かと心を通わせるなんて、怖くてできなかった。
本当の自分を知られなくなかった。
知られてしまったら、きっと拒絶される。
どうせ拒まれるってわかっているから。
心を開け渡した瞬間に崩れてしまうのなら、最初から築かなければいい。
そんな傷、ずっと負わないままでいたい。
いつの間にか、感情を抑え込むようになった。
気持ちを上げることも下げることもしない。ずっと、平坦なまま。
何が起こるか分からなかった。
人を傷つけてしまうなんてこと、もうしたくない。
どんな気持ちも関係ない。
喜びも怒りも、悲しみも楽しさも、大き過ぎればみんな、凶器になってしまうから。
ずっと考えていた。
いつだって結論は同じだった。
これが一番良い生き方だと信じて疑わなかった。
諦めているとも感じていなかった。
誰とも深く関わらない。
誰とも心は通わせない。
死ぬまでずっと恋はしない、できない。
これでいい。
これが俺にとっての正解なんだ。
…でも、どうしてこんなに苦しいんだろう。
それじゃダメなの?
精一杯考えたのに、どうして体はそれを受け入れないの?
──じゃあ教えてよ、何が正しいのか。
──俺が本当に欲しいものってなんなの?
──ねぇ、答えてよ…っ、…ねぇってば…ッ!!!
「やだ…拒まないで……乱れさせないで…やだ、…ッ、……やだぁ……っ、」
サイドボードの辺りから、
カタ…カタカタ…ピシ、パキッ…、と音がする。
──落ち着かなきゃ……。
丸めていた体を起き上がらせ深呼吸をしようとしたとき、「やほー」とのんびりした声が聞こえた。
その先には──。
「…ふっか…?」
「よっ、生き霊の方だけどねー」
「なんで…?」
「こんばんは…昨日の失礼をお詫びに参りました…」
「阿部…」
「ダテさんダテさん、今日さ、俺たちすげぇ調子良いの!」
「目黒、、」
それぞれの分身たちが、目の前でぽわぽわと体を浮かせていた。
「そうなの!俺たち今日は一人で出かけられるくらい元気っつーか、体力有り余ってるっつーか、なんか、マジで調子良いんだよ!だから遊びに来てみた」
「もっと正確に動機をお伝えするならば、ミヤダテさんが心配だったのでお邪魔しています」
「心配って…?」
「俺たちは元気だけどさ、もしかしたらダテさんはこういう夜はキツかったりすんのかなーって思って」
「そうだね…今日は、うん…」
目黒の言う通りだった。
今日は一年で一番、月の霊力が強まる日なのだ。
真っ赤な月が空に浮かぶこの夜は、彼らの力が最も漲る。
反対に、俺はこの夜が苦手だ。絶対に家から出たくないほどに。
街を歩いているだけで、いつもの比にならないくらいの霊がそこらを漂っているのが見えるし、始終話しかけられて落ち着かないし、何気ない感情が心に浮かぶだけで何が宙を舞うかわかったものではないからだ。
きっと、つまづいて「あぶなっ…」とほんの少し焦っただけで、その辺の看板にしっかりとくっついていたはずのネジが五メートル先へ飛んでいくだろう。
月の力が高まるのに比例して、俺の能力も勝手に強くなってしまう。
普通の満月であればまだ自力で抑えられるが、赤い月が上るこの夜だけは、何の制御も利かない。
「赤い月は、普通の満月よりみんなの力を強くしてくれるから」
「へー!それが今日なんだ!」
「せっかくだし、こんなとこにいないで、みんなで出かけてきたら?」
「それはミヤダテさんの様子を確かめたあとで、是非したいものですね」
「俺は大丈夫だよ、ありがとうね。わざわざ来てくれて」
「…俺なんとなくさ、ダテさんが嘘吐いてんだろうなってことだけわかる」
「っ…そんなこと…」
「ホントに無いの?舘さん、俺たちちゃんと恩返ししたいの。まだ何にもできてないからさ」
「恩返しって、、俺何も…」
「たくさんしていただきました。夢の中でとはいえ、あなたはその命を僕に預けてくれました」
「…そう、だったね…」
残酷な毎日が繰り返されるあの夢の中で、ある夜、彼に声をかけられたことを思い出す。
「僕のマスターの願いを叶えるためなんです、すみません」
そう言って、雷を鳴らした阿部の守護霊は、俺の顔を優しく両手で包み意識を奪った。
一つも苦しむことなく眠りに落ちた後、霊魂となって辺りを漂っていた俺は、自分の四肢が薔薇園の植木に投げ出された状態で横たわっているのを見た直後、目を覚ました。
「僕のマスターの心が壊れかけていた時も、メグロさんの糸が絡まっていた時も、本当にお世話になりました。感謝してもしきれません」
「大切なメンバーだから…当たり前のことしただけで…」
「昨日だって、俺のマスターとアベちゃんの願い叶えてくれた。俺たちにはできないことだったから、ホントに嬉しかったんだよ」
「あれくらい…なんでもないから…」
お礼を言ってくれるのはとても嬉しいが、元はと言えば全部自分のせいなのだ。
「俺のせいで、みんなを苦しめちゃってたの」
知らず知らずのうちに、悪い状況を作り上げていた。
そのことに気付いていなくて、目の前の問題にしか目を向けられていなかった。
「俺は何もしてないから…」
違う。
“何もしていない”んじゃない。
“何も解決できていなかった”んだ。
俺の問題だったのに。
俺が一人で抱え込めばよかったことだったのに。
みんなを巻き込んで、辛い目に遭わせた。
…俺のせいで…
…苦しめてたくせに、気付きもしないで…
…助けてなんか、っ…なかった……
……みんなになすり付けて…
…上澄みだけ解決して…
、、っ、全部元に戻ったって、都合よく思い上がってただけだ…っ
喉が詰まって苦しくなって。
目に涙が溜まって視界がぼやけて。
体の動きに連動するように、部屋の中がだんだんと赤くなっていく。
知らず知らずのうちに植えていた苗は、一年の時を経て、今、大きな実となった。
もう、誰にも止められない。
「つ、月が…っ…」
生き霊のふっかが、俺の背後を指差しながら息を呑む。
色が強くなる。
濃くなっていく。
染まっていく。
真っ赤な月が、ついにリビングの窓にその姿を全て現した。
「ミヤダテさん、落ち着いてください。自分を責めてはいけません」
「ダテさんっ!起き上がって!こっち見て!そっちに行ったらだめッ!!」
その光を背に受けながら上体を起こした瞬間、一粒の涙がこぼれ落ち、膝を濡らした。
チェストの上に飾っていた花瓶が弾ける。
生けていた薔薇は、一昨日買ってきたばかりだというのに、もう萎れきってしまっていた。
──俺にできることなんて、所詮はこの程度だから。
「俺、なんにもできてなかったみたい」
気を遣わせたくなくて最後の精一杯で笑ってみたけど、一緒に出したかった「ぁははっ」って声、ちゃんとみんなに届いてたかな──。
舘さんに“超常現象探求クラブ”の会合を禁止されてしまったが、毎月のルーティーンがなくなってしまうとなんとも落ち着かなくて、康二くんの家に夕方頃お邪魔した。
それからかれこれ一時間ほど、僕と康二くんはリビングのソファーに浅く腰掛け続け、ずっと力無く項垂れていた。
ボソボソと言葉を交わす僕らの首は、捥げて今にも床へ転がっていきそうだった。
「康二くん…近況報告していい…?」
「奇遇やなラウ…俺もあるんや…」
「こないだMV撮影あったじゃない、その時、舘さんと目が合ったの…」
「おん」
「……でもね…すぐ逸らされちゃった……ぐす…」
「泣くなて…俺も今日Youtube撮影あって会ったんやけどな」
「うん」
「…めっちゃ気まずそうやった…俺もぎこちなくなってしもうたし…ずび…」
「…康二くんだって泣いてるじゃん…」
「…泣くなっちゅー方が無理な話やで…」
康二くんへ慰めの言葉をかけようとしていたとき、不意にどこからか声が聞こえてきた。
──ラウーる、ハシレ。
「…ぇ?なに?」
「な、なんや、どないしたん?」
──イソげ。
「…もしかして、悪魔くん…?」
「チビ悪魔か!なんや、なに言うてるん?」
──もうスグ、…。
「うん」
──ミヤだテ、こワレ、ル。
「待ってどういうこと!?舘さんが壊れるってなに!?」
「なんやて!?壊れる!?舘に何があったんや!!」
──ウるさイ。黙ッテ、走レ。
「そんなこと言われても、舘さんが今どこにいるかわかんないよ…、どうしよう、康二くんどうしよう!全然わかんないけど舘さんに何かあったのかもしれない!」
「とりあえず電話や!電話しよ!…〜っだぁああッ!スマホどこや!!見つからん!」
──いヌ、連れてケ。
悪魔くんの声が聞こえなくなると、突然康二くんの体がよろつき始めた。
「ぉぁ!?!なんやなんや!?引っ張らんとって!」
「康二くんどうしたの?!」
「犬が引っ張ってきよる!あかんてポン太!」
「ポン太?」
「俺がつけた名前や。ポン太!落ち着きや!」
「いつの間に名前つけてたの…」
──らウール、イぬ、みヤダての匂イ、覚エテる。
「えっ…!」
──ついテイけ。早ク。
「わ、わかった!康二くんっ!今はポンちゃんに着いて行こう!」
「なんでや」
「舘さんの居場所知ってるって!」
「ほんまか!ポン太頼むで!!…ははっ、ええ子やで!おおきにな!」
康二くんの家を飛び出し、脇目も振らず僕たちは走り続けた。
赤く、綺麗に輝く月が昇る方へ──。
コメント
2件
🤍🧡ー!❤️を助けてーー🥺🥺🥺 続き楽しみにしてます!!!!
うわ…第3話、めっちゃ重かった。舘さんの過去とか、自分の能力に苦しんできた背景がじわじわと明かされて、胸がぎゅっとなったよ。特に幼い頃の友達の事故のエピソードが切なすぎる…「もう二度と近付かないで」って言葉、ずっと舘さんの心に刺さったままなんだね。 でも、翔太と佐久間が気付いてくれたこと、阿部や目黒の生き霊たちが訪ねてきてくれたこと、そしてラウと康二が動き出したこと—みんな舘さんのこと本気で想ってるんだなって伝わってきて、そこに希望を感じた。この赤い月の夜、どうなるんだろう…続きが気になって仕方ないよ。