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「本番って客から求められるの?」
千紘が凪の腰に腕を回したまま聞いた。千紘にとっては未知の世界だ。男性しか恋愛対象ではない千紘は、当然男性向けの風俗を利用したことがない。女性を相手にしたこともなかった。
ただ、ゲイだと知ると仲の良い女友達はできたから、女同士でしかできないような彼氏の悪口や性事情を聞くこともできた。
女性が男性と同じように性に関して強く興味を持っていることは知っている。風俗で働く女性が友達として側にいたこともあったから、男が本番行為を強要する確率が高いことも知っている。
ゲイやバイの男同士が肌を寄せ合えば、挿入するのは100%に近い。しかし、女性発信はどうなんだろうと千紘は純粋に疑問に思った。
男女関係なく、金銭が発生すれば気が大きくなって本来のサービス以上のことを求めるのか。
しかし、昔は女性の髪もカットしていた千紘は、トリートメントやカラーで金額が増大しても、過度なサービスを求められたことはなかった。店内で他人の目があるのと、2人きりの空間とでも違うのだろうが、凪から求めるのと客から求めるのとでは千紘にとっても意味が異なるのだ。
「色々かな。向こうからしたいって言ってくる人も多いよ。でも、俺は相手から言われたらしない」
「なんで?」
「それ以上を求めてくる人が多いから。禁止されている行為だってわかってて自分から求めてくる人間は、大体図々しい。タダで延長することや店外で会うことを求めてきたりね。それじゃリピートされても金にならない」
「なるほどね……。じゃあ、凪から誘うんだ」
「うん。挿れたくなったって言うか、聞く。そこで同意が得られればする。まあ、俺からしたいって言った場合、次回からしないと自分に魅力がなくなったか、別に女がいるのかって勘ぐられることがあるから面倒っちゃ面倒なんだけど……」
そう言いながら、凪は本当に面倒くさそうに髪をかきあげた。
千紘はふーん、とゆっくり頷きながら凪の顔を見あげた。下から視線を感じた凪は軽く眉を上げて「なに?」と聞き返す。
「そこまでして客取るのってなんで?」
「は? だって、やるからには結果が欲しいだろ。1番じゃなきゃ意味がない」
「ルール違反してても?」
淡々と聞いてくる千紘に、凪は頗る嫌そうな顔をした。
「そういうこと言うなよ。この業界じゃ本番してない奴の方が少ないんだって」
「でもその少ない中でNo.1の人もいるわけでしょ」
「俺は見たことない」
「別の店にはいるかも」
「かもな。でもいないかも」
「じゃ、凪がそれになればいいじゃん」
「できたらやってる」
凪は顔を隠すように、腕を顔の上に乗せた。せっかくいつでも眺めていられた顔が見えなくなり、千紘は不服そうに唇を尖らせた。
凪は、暗くなった視界で考えた。千紘が言うように、正攻法でNo.1になれたらそれが1番いいに決まっている。凪だってそれができたらそうしたいと思う。
しかし過去には「○○くんはしてくれたのに」「してくれないならもう呼ばない」「込みの料金じゃないの? 性感全然ダメじゃん」なんて言われた数々のセリフを思い出す。
正直、あの頃は本当に辛かった。好みでないだけでなく、苦手なタイプの人間も相手にしなければならない。不潔な客もいるし、褒めるところを探す方が大変な客もいた。毎日嫌味を言われながらそれに耐えた。
ようやくNo.1になったら、良質な客が増えた。好みの女性もいたし、容姿がタイプでなくても性格の良い客もいた。自分の価値が上がれば客の質も上がる。
客から選ばれていた立場から、客を選べる立場になった。それは今の営業方法ありきのもの。もう二度と新人時代のあの辛さは味わいたくなかった。
「今が楽なのもあるかも……。俺を指名してくれる人は、ほとんどリピートばっかりだし、振り込みとか貸切してくれたら一気に何十万って手に入るし、売上伸びるし」
凪は腕をそのままにポツリと言った。千紘は凪の脇腹から腕をどけると、ごろんとうつ伏せになってから上半身を上に上げた。両腕を胸の前で合わせて体を固定する。
凪を上から見下ろしながら「振り込みってなに?」と尋ねた。
「金だけ払ってもらう。事務所に直接。貸切してもらってることになってて、実際は会ってないこともある」
「え、なにそれ……。会わないのに金だけ払うってこと?」
千紘は面食らったように目を丸くさせた。
「そう。完全に売上を上げるため。ホストに飲まないのにシャンパン入れるようなもんかな」
「あー……そう。そんなことってあるんだ。じゃあ、その間なにしてんの?」
「何も。その客と時々会ったり、プライベートを自由に過ごしたり」
「そんなのありなんだ」
「客からの希望もあるよ。金はあるけど時間はない。仕事の間は好きにしてて、みたいな時とか」
「そりゃ、楽だな……うん」
「うん。正直そこまで金持ってる客だと、心にも余裕があるから一緒にいて楽。性感するのは仕事だから別にいいんだけど、それ以上に休む時間もくれるしそれが離れてくってなると1から客集めんのしんどい……」
凪が小さく呟いた。その言葉から本当に辛そうなのが伝わってきて、千紘はすっと目を伏せた。
「ごめん、事情も知らないのに偉そうなこと言って……」
しょぼんと項垂れる千紘は、じっと目の前の枕を見つめた。ルール違反も本番行為もやめてほしいが、凪が辛いのはもっと嫌だなぁ……と切ない気持ちになった。
「悪いことだっていうのは俺もわかってる。バレたらクビだし。今までバレずにきたのは運が良かっただけだ。まぁ、今の状況に胡座かいてんのは俺だけど……」
凪がそう言うと、途端に2人の間に沈黙が流れた。この話に解決策はないような気がした。