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幸暦663年の春のことです。
幸暦、とは僕が生まれてからの年月をいいます。
僕はその日、整理整頓が苦手な恋人の部屋を掃除しようと、その扉を開けました。開いた扉は床にある何かに引っかかって、ズズズッと音を立てました。
重い扉を全開にして、その場で部屋全体を眺めながら腰に手を当て、仁王立ちしてみました。こうすると、なぜだかやる気が出てくるのです。僕はふんっと気合いを入れて、その部屋に足を踏み入れました。
八畳ほどのその部屋は、僕の恋人には小さいように感じます。寝室は他にあるのでベッドはありませんが、仮眠用の大きめなソファが窓の側に置いてあります。僕はこのソファから庭のさくらを眺めるのが好きです。他の部屋よりここの部屋の窓からの方が、より近くに感じるからです。
窓を全開にし、部屋の風通しを良くしてから、お掃除スタートです。まずは床に散乱している書物を拾い集めていきます。ソファの近くまで来たところで、ふと思い立って、ソファの下を覗いてみました。するとやはり、ソファの下にも本が入り込んでいました。手で取り出していく中で、ひとつの本が目に止まりました。
「これ…」
その本の著者の名前が、恋人だったからです。本のタイトルは『アンファン戦記』。僕は部屋の掃除を放り出して自室にもどり、その本のページをめくりました。読み終わるまで何日かかかってしまいました。
読み終わった日のその瞬間、恋人のもとへ走り出していました。
『アンファン戦記』ーーユラ=ハルト著
〜プロローグ〜
「…我のマントがない…」
ここは魔王の自宅のクローゼットである。魔王は着替えようとしたところ、お気に入りのマントがなくなっていることに気がついた。すぐさま部屋を見渡すが、見つからない。少し考えた後、魔王はとあることに気がついた。そういえば、今日はアイツを見ていない。もしかしたら、と魔王はアイツを探すことにした。
「ん、魔王様。こんにちは。おひとりですか?」
自宅から出て、魔王城内を歩く。すると、額から黒いツノが生えた人?に話しかけられた。悪魔族である。
「リオル。アイツはどこだ?」
「ユウなら、中庭ですよ。いつも居眠りしてる所、あるじゃないですか」
「そうか、わかった。助かる」
「いえいえ。ところで魔王様?今日が締め切りの書類ですが、あ、ちょっと」
笑顔のリオルが言い切る前に、魔王はその場を離れた。締め切りの話など聞きたくもないし、何より今は、アイツに、ユウに会いたかった。
もと来た道をもどる。自宅から出てきた魔王だが、自宅は魔王城の中庭の中にあるのだ。つまり、ここへ来るまでの間にユウがいたということになる。本当に、気配を消すのが上手い奴だ。まったく気づかなかった。
ユウは、中庭のさくらの木の根元で、猫のように丸まっていた。魔王はユウに近づくにつれて片手で顔を押さえた。ニヤけているのを見られないようにだ。ユウは、勇者である。本来なら魔王を倒し、世界を救うはずの存在が、今は魔王城の中庭で魔王のよく使っているマントにくるまって、昼寝をしている。これでニヤけるなという方が無理がある。威厳を保つため、また恋人にかっこ悪い姿を見せないため、常に意識している魔王にとって、自然とニヤけてしまうこの光景は天敵だった。
どうするべきか、この状況。恋人が寝ている。そんな時、全国の紳士淑女はどうするのか。ひとまずユウのそばに腰掛け、あぐらをかいた。頬杖をつき、ユウの顔を覗き込む。ここまで近づいても、寝息ひとつ聞こえない。当たり前だ。ユウに肺はない。植物だからな。知った時は驚いたが、特段気にすることもなくなった。どんな生き物であれ、ユウはユウだからだ。
ずっと見ていると、ユウの後ろ髪が顔にたれてきた。起こさないようにそっと、顔にかかっている髪を後ろへ流す。魔王はまた、愛おしい顔が見えて満足げに笑った。このままこっそりキスでもしてしまおうか。起きたらどんな反応をするのだろうか。普段の魔王ならば、許可なしにキスなどありえなかったが、先に魔王のマントを許可なく持ち出したのは勇者なのだ。文句は言えまい、そう考えた。ゆっくりと、顔を近づけていく。あと1センチ。
「あーー!!!!」
突然魔王城から大きな声が飛んできた。その声の主は大急ぎで魔王と勇者のいるさくらの木まで走ってきて、魔王が声に驚いているうちに、勇者を魔王から魔法で引き剥がした。
「セクハラ!!さいてーですね!!」
「なっ!違う!!」
「何……うるさいんだけど」
「わっごめんなさい勇者様!」
「起きてしまったではないか!」
「あなたのせいですよ!魔王の変態!」
「一国の王に向かってなんたる言い草だ!!」
「もとは敵同士でしょーが!」
あーもう。と起こされたユウは両手で耳を塞ぎ目を細める。この二人は本当に相性が悪い。会う度に言い合いばかりして、引き合いに出される身にもなってほしいものだ。
「ごめんなさい勇者様!今降ろします!」
魔法で宙に浮かんでいたユウを、マーヤはゆっくりと地面に降ろした。とたんに地面に倒れるユウ。そんなユウをマーヤが急いで抱き留めた。
「きゃっ!どうしましたか勇者様!あの魔王のせいですか?!」
「違うわ!」
「……眠い。この頃寝不足だから、魔王の匂いがあれば寝れると思ったのに……」
ユウは体に巻いているマントをスンスンと嗅いだ。すぐに魔王は顔を手でおおう。こんなのニヤけてしまうのが当然だろう。愛する恋人が、こんなことを!大きく息を吸い込んで、落ち着いた魔王は、ユウに提案する。
「ならば、今から我と寝るか」
「いいの?」
目を丸くして綺麗な紅色の瞳を輝かせる恋人が眩しすぎて、魔王は天を仰ぐ。
「ダメです!!魔王となんか寝たら何されるかわかりませんよ!」
「何かって?」
「セクハラに決まってます!」
「するわけなかろうが!」
「しないの?」
「う……しな、い」
正直、しない約束はできない。恋人と寝る。それがどれだけの意味を持つのか、植物の勇者は知っているのだろうか。
ぐーっと背伸びをして、立ち上がったユウは、マーヤから離れて魔王のもとへ歩いた。目の前に来ると、身長差がよくわかる。魔王は210センチ、ユウは170センチ、ゆうに40センチ差だ。この角度から見上げて来る恋人は、可愛さが限界突破していることを改めて実感する。
ユウが手を伸ばしてきたため、屈んだ魔王の顔を両手で包み、くっと背伸びをした。音は鳴らなかった。でも確かに、魔王の額に柔らかいものが当てられた感覚があった。
「ぎゃーー!!セクハラです!」
すぐにマーヤは再び魔法で二人を引き離す。
「明らかに今のは我ではなかろう!」
「勇者様になんてことさせるんですか!!」
「マーヤ。落ち着いて」
するとマーヤも、額に柔らかいものが当てられた感覚がした。それはユウの唇だった。咄嗟に額を手で押さえ、後退りをする。マーヤの顔は真っ赤だ。
「な、な、」
「やだった?」
「誰にでもしちゃダメです!!」
「そうだぞ!ユウ!我だけにしておけ!」
「誰にでもじゃないよ。好きな人だけ。じゃ、僕寝るね」
ユウは再びさくらの木の下へ行って寝転んだ。ユウが寝付くまで、近くで「我のものだ!」「私の勇者様です!」という口論が続いたそうだ。
これが、幸暦649年8月1日のこと。
これから、ユウと魔王の人生を書き記していこう。