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及川の家に泊まった後日 。
「じゃあ、行ってくる」
玄関先でスニーカーを履きながら、俺はぶっきらぼうに言う。
スマホには、あの子からのメッセージ。
“今日は楽しみにしてるね!”
デート、というやつだ。
まずは仲良くなろう。と声をかけられなぜかすることになった
背後から声。
「どこ行くの?」
振り向くと、私服姿の 及川徹 が壁に寄りかかっていた。
「……水族館」
「へぇ」
軽い相槌。
いつも通り。
「例の子?」
「そうだけど」
沈黙。
数秒。
「ふーん」
及川は笑う。
完璧な、いつもの笑顔。
「楽しんできなよ。岩ちゃん」
その言い方が妙に優しくて、岩泉は少しだけ居心地が悪くなる。
「お前は?」
「俺?暇」
肩をすくめる。
「彼女作んねぇのかよ」
何気ない一言。
その瞬間。
及川の表情が、ほんの少しだけ固まる。
「……今はいらないかな」
“今は”。
「じゃ、行くわ」
ドアノブに手をかける。
そのとき。
ぐい、と腕を掴まれた。
強い力。
「……は?」
振り向く。
及川が、俺の手首を握っている。
目が、真っ直ぐ。
笑ってない。
「……及川?」
数秒の沈黙。
心臓の音だけがやけに大きい。
及川の指が、わずかに震えている。
「……やっぱさ」
言いかけて、止まる。
壊れる。
ここで何か言ったら、全部壊れる。
“行かないで”なんて言ったら。
“俺のほうが好き”なんて言ったら。
岩ちゃんは、困る。
嫌われるかもしれない。
離れるかもしれない。
それが一番、怖い。
俺はゆっくりと力を緩める。
「財布、忘れてる」
岩ちゃんは瞬きをする。
「……は?」
テーブルの上に置かれた財布。
確かに忘れていた。
「ドジだねぇ、岩ちゃん」
いつもの調子に戻る声。
でも、さっきまでの空気は消えていない。
岩ちゃんは財布を掴む。
「……ありがと、」
ドアを開ける。
一歩、外へ出る。
その瞬間。
背中に、声。
「岩ちゃん」
振り向く。
及川は笑っている。
完璧に。
「ちゃんと好きになってからにしなよ」
胸がざわつく。
「わかってる」
“ちゃんと好きになってから”
じゃあ今は。
まだ。
まだ間に合う?
「……行ってらっしゃい」
その声は、思ったより小さかった。
ドアが閉まる。
静寂。
俺はその場に立ち尽くす。
さっき掴んだ手の感触が、まだ残っている。
追わない。
壊さない。
言わない。
それがルール。
なのに。
「……離すなよ、俺のバカ」
誰もいない部屋で、ぽつり。
本当は。
あのまま引き寄せて、
俺の方が好きって言いたかった。
岩ちゃんを、他の誰かに渡したくない。
でも。
幼馴染でいられなくなるくらいなら。
今日も俺は、“追わない男”でいる。